中国共産党 トレンド
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2025.12.03 07:00
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岡田議員には言論の自由があり、国会で禅問答を繰り返して言質をとるのも自由です。しかしながら自由には責任が伴います。曲解可能な言語ゲームによって中共の報復を不必要に生んだ責任を岡田議員はとることができません。その責任を理不尽に負わされるのは倭国国民なのです
https://t.co/e1GS73AnTL December 12, 2025
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中国が倭国人アーティストのコンサートを妨害するのは、倭国への嫌がらせだけじゃないよ、たぶん。中国共産党は、音楽やアートの影響力が怖いんだよ。大勢の人の心を一瞬でうごかし、団結させるから。そうして音楽で繋がった心は、往々にして共産党のコントロールから聞かないから。今、中国で倭国人アーティストのコンサートで、大勢の中国人ファンが集まることは、習近平にとっては恐怖でしかないでしょう? December 12, 2025
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湖南省長沙市に大型ショッピングモール開業のイオン。高市首相に存立危機事態についてしつこく質問を続けた立憲岡田克也氏の“実家”が経営。中国全土で大展開する事業と中国共産党の対外謀略部門“対外連絡部”と連携する岡田氏の質問との関係を次期衆院選でしっかり問うてほしいhttps://t.co/FdIu5yDTk6 December 12, 2025
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そんなことは100も承知ですよ(^^)別ポストで詳細に書きましたが、繰り返し書くと、俺は、爆風スランプのサポメンとして1992年に北京ラジオの招へいで中国の音楽フェスに参加、ライブ途中でサンプラザ中野くんとパッパラー河合が「予定にない動きをした」(具体的には、観客を煽りに行った)というだけで3万人の観客の前でPA電源を落とされ、倭国から同行したエンジニアは当局に羽交い絞めにされ、現地コーディネーターは髪の毛をつかんで引きずり倒され、我々メンバーはそのあとしばらく楽屋に軟禁されましたから。めっちゃ怖かったですよ。もう倭国に帰れないんじゃないかとすら思った。つい先日も同じようなことがありました(まあ、俺ら程ひどい目には合ってないと思いますw)が、要するに、中国というのは昔から「そういう国」です。正確に言えば、中国共産党政府というのはそういう政府。意にそぐわなければとにかく力ずくで止める。朝、いきなりブルドーザーが来て経営していた店をつぶされた、という倭国人もいました(本当)。でも、それでも。それを前提条件としつつ、多くの倭国人が中国とビジネスを行い、深い文化的交流もしている。Funky末吉のように、ドラマーとして、中国の人たちに自由の風を送り続けているミュージシャンもいる。主義の違う国同士が付き合う、というのはそういう事で、お互いケンカ腰になる事ではない、と俺は思っています。 December 12, 2025
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このツイートへの反応を見てつくづく思うが、我が国の人々はいつになったら「日共と中共は物凄く仲が悪い」ことを理解するのだろう https://t.co/2go5YOf6mT December 12, 2025
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中共国又赢麻了!这次不是赢一次,是犹如触电,直接赢麻了两次!
众所周知,赢麻的最高境界就是把外资吓得落荒而逃、把工人送上街头、把地方财政打成筛子,然后官媒还能理直气壮地喊一句“帝国主义亡我之心不死”。完美闭环,教科书级别的“制度自信”。
事情是这样的:北京顺义,曾经的汽车工业明珠,戴姆勒-北汽的新能源工厂,德国人投了几十亿,技术、订单、就业、税收,全给安排得明明白白。结果中共国突然灵机一动,甩出一份“党领导一切”的红头文件:外资企业也得在董事会里给党委书记留个C位!
德国人一听,差点把柏林墙的碎砖笑掉:哥们儿,我们连总理都管不了董事会,你们一个“党委书记”进来,是想每天开会先唱《没有共产党就没有新奔驰》吗?
戴姆勒想了想,算了,钱我们不要了,工厂我们不玩了,技术我们带走了,顺义工厂直接停产,3000多工人回家吃土,顺义区一年税收哗啦啦少10个亿。
赢!太赢了!这波血赚好吧!
要知道,这可是戴姆勒啊,发明汽车的那家,不是路边卖电瓶车的。人家在全球200多个工厂都没见过这种“中国特色董事会席位”,偏偏到中共国就被教育了一把:哦,原来合资建厂还有隐藏条款,钱投进来容易,党管起来更硬核。
更绝的是,停产之后,当地官媒的报道标题我都替他们想好了:
《帝国主义资本畏惧我党光芒,主动撤资,证明中国特色社会主义道路无比正确!》
配图一定是空荡荡的厂房+落日余晖,BGM《我爱你中国》高潮版,评论区清一色“建议查查戴姆勒间谍身份”。
3000多个工人失业?没事,灵活就业懂不懂?送外卖、跑滴滴、摆摊烤肠,都是体面工作!
顺义财政少10个亿?没事,反正钱都花在“共同富裕”上了,比如给某些领导的司机、厨师、保姆发年终奖。
德国人跑了?没事,国产新能源马上迎头赶上,比亚迪、小鹏、理想、问界、阿维塔、智己、极氪、蔚来……不好意思数不过来,反正都一个妈生的,长得还都一样。
最搞笑的是,戴姆勒撤资的消息刚出来,网上就有人义愤填膺:
“德国人太没骨气了!不就是让党委书记进个董事会吗,又不占你股份,又不分你红利,就是每天开会听党课、写思想汇报,怎么就接受不了呢?”
对对对,人家德国佬造车140年,愣是没你党校毕业三个月的小科员懂企业管理。
这波操作,直接把“外资撤离”玩成了艺术”。
以前外资是担心知识产权被偷、担心市场换技术换成白嫖、担心合资变“合吃”;
现在好了,连董事会都要被“合党”了,谁还敢来?
下一步是不是要在特斯拉上海工厂给书记留个副驾驶?马斯克开会得先请示“书记我能发X不?”
顺义工厂的空地上,估计很快会立个大横幅:
“热烈庆祝戴姆勒公司战略性撤资,为我国摆脱西方汽车技术卡脖子做出重大贡献!”
落款:顺义区优化营商环境领导小组(筹)
恭喜中共国,又向“自主可控”伟大目标迈出坚实一步!
从此以后,我们再也不用担心外资企业不听党话了,因为……他们都不来了。
这不就是最大的“制度优势”吗?
别人赶不走的外资,我们一张红头文件就全吓跑了,这叫什么?这叫“定力”!
最后给戴姆勒支个招:
下次要是在中国建厂,记得董事会直接设十个席位,九个给党委书记,一个给纪委书记,董事长由政治局常委兼任,这样就能皆大欢喜,工厂也不用停产了。
中共国,赢!麻!了!
这次是真的赢到失业,赢到财政空虚,赢到外资断供,赢到全球车企集体报警。
赢完第一次,还有第二次、第三次……直到赢到最后一家外资也跑光。
到时候我们将彻底实现“弯道超车”——因为整条赛道上只剩我们一辆车了。
顺义工厂的工人们,欢迎加入“灵活就业大军”!
记得晚上多看新闻联播,那里每天都在教你们:你们失去的只是铁饭碗,你们得到的,是满满的制度自信啊! December 12, 2025
8RP
はいデデーン!「世界でいちばん中国共産党マネーが流れ込んでるメディアは倭国でした」って、もうね、笑えねぇ冗談なのよね。で、その下に「社内の共産党員の人数ランキング」まで出てきて、ワイドショーだったらテロップに
『情報バラエティ このあと倭国はどこへ行くのか!?』
って出るやつだよ🤣
でもさ、よく考えると不思議な話でね。
中国からしたら、倭国の新聞社なんて世界的には地方紙みたいなもんだよ。それなのに、そこにせっせと広告だの別刷りだのねじ込んでくるってことは。カネ撒けば空気は変えられるって、ちゃんと計算してやってるわけよね😭
ところが受け取る側の倭国のマスコミはどうかっていうと、
「スポンサー様ですから」
「国際交流ですから」
って顔して、ご丁寧好意的な記事をセット販売。
昔のテレビ業界で言ったら、スポンサーから接待受けまくって「この商品、世界一です!」ってバラエティで連呼してた頃と大して変わらないのよねー。
おまけに、社内のイデオロギーもどうも左にスライドしてるらしくて、ランキング見ると
1位 朝日
2位 毎日
3位 日経
最下位 産経
って、クイズ番組だったら
「ここまでわかりやすくていいの?」
ってスタッフが心配するレベルだよ😂
もちろんね、共産党員がいたから即アウトって話じゃない。思想信条は自由だし、右だろうが左だろうが、ちゃんと距離を取って書ける記者なら問題ない。
でも、読者からするとさ、
「中国からカネもらってて、社内は左寄りで、その新聞で中国関連記事を読みます」
って、これ冷静に考えたら情報の鍋が真っ赤っ赤なんだよ。そこに「客観報道です」って札だけ立ててある。
ラーメン屋で言ったら、厨房で中国の業者がスープを仕込み、店長が共産党員で、のれんには「昔ながらの倭国の味」って書いてあるようなもんだろ?😂🍜
そりゃ客も「本当に?」ってなるわけだね。
一番タチが悪いのは、こういう構造を指摘するとすぐ
「陰謀論だ」
「ヘイトだ」
ってレッテルを貼って、議論そのものを止めにくる風潮ね。
陰謀論ってのは証拠が一個も出てこない話のことで、実際に広告入ってて、編集方針まで変わってるならそれはもうビジネスモデルだからね?
国民がやるべきなのは簡単で誰のカネで成り立ってるメディアなのか?書き手がどんな思想なのか?
ここを知った上で読むこと。
新聞ってのは、真実の石板じゃなくて、クセの強い調味料だからね。
朝日を読むなら
「今日はパクチー多めの日だな」って覚悟して読む。
産経読む日は
「唐辛子強めだな」ってわかってて読む。
それくらい割り切って自分の頭でブレンドしないと、いつの間にか中国製スープを倭国の味だと思い込まされちゃうよ?
結局さ、中国共産党が賢いんじゃなくて、倭国のメディアが安売りしすぎなんだよ。
カネさえ積まれりゃ、紙面も良心もスポンサー枠で応相談。そんな国の報道が信頼されるわけがないじゃんよ?
だから最後に一言。
「記者クラブより先に、スポンサークラブを、開示しろ」
どこからカネ貰って、何を書き、何を書かないのか。そこを全部晒した上で勝負してくれるなら、まだ読者も自己責任で付き合えるってもんだよ😊 December 12, 2025
6RP
在中共法庭审判拒绝开枪镇压学生的徐将军视频流出后,反响强烈。当局害怕了!不到十天时间,中央军委便迅速出手。
2025年11月28日,中央军委印发新修订的《中国人民解放军纪律条令(试行)》补充规定,自2026年1月1日起施行。核心只有一条,却写得触目惊心:
“军人拒不执行上级命令,或者以任何理由拖延、变通执行,情节严重的,直接开除军籍、移交军事检察机关追究刑事责任,最高可判无期徒刑。”
比旧条令更狠的是,新规首次把“拒不执行命令”从一般的“违抗命令罪”单列出来,单独升格,处罚直逼“战时抗命”。同时配套的解释口径里,罕见地点名了两种“典型情节”:
1、在平息“暴乱”、“骚乱”或“严重政治事件”时,以“人道”“良心”等为由拒绝开枪或执行清场任务;
2、在执行重大任务期间,擅自发表可能动摇军心的言论,或向外泄露命令内容。
熟悉军队条令的人一眼就看出来,这两条几乎就是对着徐当年的行为量身定做的“反面教材”。
这还不算完。同一批文件里,还有一条不起眼却更阴狠的补充:军人涉嫌上述行为,调查期间即行停职、隔离审查,军衔、待遇一律暂缓享受;定罪后,不仅本人开除军籍,其直系亲属今后报考军校、进入军队文职一律政审不通过,换句话说,株连三代。
消息传出,军内一片死寂。有人私下把这套新规叫做“徐勤先条款”。
但这只是冰山一角。视频曝光的第二天,11月26日,国家保密局高层就发生了剧变:局长李兆宗和副局长史英立同时被免职,新局长由北大法学博士宋功德接任。官方公告语焉不详,只说“任免国家工作人员”,但外界迅速联想到泄密案。 December 12, 2025
4RP
21世紀の文化大革命を止め、抗って行くには、習近平体制と中国共産党の解体は必要条件だ。だが、全体主義の政治権力を転換するには力と武力以外なものも必要だ。それはこのhttps://t.co/bPV3A9AKsOような精神の抵抗運動のベースになるソフトパワーだ。浜崎あゆみの不測の事態への処し方を倭国人の高い精神性の発露と受け止めるチャイナ人もいるし、増えるかも知れない。
中国共産党が「鬼滅の刃 無限城篇」の上映を中止できないのは。多くのチャイナ人観客が「鬼滅」をこんな風に見ているから、というメールを貰った。
《中国人民は鬼殺隊を中国政府と人民。鬼舞辻無惨を安倍総理、上弦の鬼を倭国政府、モブ鬼達を倭国人として見ているだろうから鬼滅の刃上映を規制すると鬼側に負けたと人民は取るから怖くて規制出来ないでしょう》
そうかも知れないが、僕はもっと別な事を考えていた。チャイナ人は鬼殺隊を自分たちや民主活動家と考え、鬼舞辻無惨を毛沢東、上弦の鬼を自分たちや民主活動家、モブ鬼達を人民解放軍と公安として見ているのかも知れない。 December 12, 2025
4RP
「関係者によると、議連側は10月下旬の高市内閣発足以降、水面下で中国側に年内訪中を打診していた。中国共産党の対外交流部門、中央対外連絡部(中連部)の劉海星部長との会談を模索しているが、中国側からの明確な返答はないという。」
→関係者が今この日中信頼回復プロセスに対して若干ネガティブな情報をマスコミにリークしたのは戦略的判断(何の目的?)なのか、それともただ不意に語ってしまったのか。
本チャネル(小渕優子・日中議連チャネル)も含めてチャイナ側にアクセスしようとする試みはリスク回避安定化装置としてポジティブなのだけれども、倭国側対北京中央チャネル本命の小渕優子氏をもってしても「大使との接触」という比較的低いレイヤーでのキャッチボールしか、まだできていないことが露呈するのは総合的には安心できる材料ではない。
首相官邸がいくつかの対北京中央チャネル開拓を必死に試みているはずだけれども、そんなに一朝一夕に信頼関係を構築できるわけもなく。
北京中央側視点に立てば、今回の台湾関連問題だけでなく、恒常的なトップ外交/対高市首相交渉として、倭国側の誰を信頼したら良いのか(マスコミに一切漏らさず、ときには外務省にも話さず、水面下の隠密行動がとれて、エーカッコシーではなく、高市首相と直接繋がり、高市首相が個人的に信頼する、それなりに重鎮の政治家密使たりうるか)、が不明な状況は続く。そして、そうしたチャネルが無ければ、今回の台湾関連問題でなくとも、また日中間の激しい衝突は発生するはず。
これは、倭国側だけがへりくだってチャイナ側とコンタクトとるべき、という話ではなく、チャイナ側のほとんどの高度政治官僚は常に総書記に直接連結されていて、倭国側政治家は総理に直接連結されていないという構造があるから。一見すると、倭国側だけがチャネル窓口要員選定に努力しているように誤解されがちだけども、そういうことではない。北京中央側は特別なチャネル窓口を用意する必要がなく、外部からは、適当な紅い細胞にアクセスすれば紅いコアにたどり着く。
チャイナ側は政治官僚機構は、ほぼ一枚岩といえるので、倭国側がアクセスはしやすい。どのレイヤーに話を持ち込んでも、十分に指導部に伝達される。
いずれにしても、倭国側としてのレッドライン/落としどころ/ソフトランディング協議などについての「高市首相個人の思考」は、いつかは北京中央側に直接伝えねばならず、それがいつになるんだろうか、…とトーストとコーヒーを朝食にとりながら眺めたニュース。一般ピーポーの僕は関与しないことなので、「関係者はたいへんだなぁ」とボンヤリおもった、まる
https://t.co/u7YXThlS1f December 12, 2025
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官媒凤凰网,中新社记者报道:2019年9月25日,中国驻倭国大使馆,隆重为倭国老军人颁发纪念章,感谢三万侵华日军,加入解放军四野,帮助共产党打败国民党,创建中共国。倭国军人的血,染红了中共五星红旗!倭国军人劳苦功高,历史不容抹杀! 截图,网址,全文转发如下:
9月25日,中国驻倭国大使馆在馆内为倭国籍解放军老战士举行“庆祝中华人民共和国成立70周年”纪念章颁发仪式。
中国驻倭国大使孔铉佑、公使郭燕以及数十名倭国籍解放军老战士和老战士代理出席。 中新社记者 吕少威 摄
这是一个巨大的进步,说明三万日籍解放军,不再是禁区,这事现在可以大大方方地说了。国家层面的认可,让这些倭国军人,有了安慰。以下文章值得一读。
中国人民解放军曾收编三万倭国兵,这是一段几乎被湮没的历史。当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回这些各种纪念章、军功章,并说明将来条件允许时发还。1972年中日邦交正常化当天,有日籍老兵给周恩来写信,要求补发或归还这些奖章。中国方面经过慎重研究,决定补发。本文选自2006年第26期《凤凰周刊》,作者傅乐平。
“我们很感激一部分倭国人,他们在解放战争时期,作为医生、护士、技术员参加了解放战争,这些更增强了我们与倭国人民缔结友好关系的信心。倭国的军国主义确实是残酷的,但协助我们的倭国人民有很多。”
上述讲话是国务院总理周恩来1956年6月27日在接见倭国代表团时说的。不过,它曾很长时间几乎不见诸国内报端,沉寂近30年后,这段话背后的历史逐渐为人所知。而我则无意中扮演了这一历史进程的见证者,并与部分当年四野的倭国老兵成为朋友。
四野原来曾有倭国兵
1990年4月,我时任陕某师政治处主任,一天接到上级通知,要我参加接待从倭国来的“第四野战军日籍战友回娘家访问团”。
倭国人到中国回娘家,而且是回解放军的“娘家”,我当时一头雾水,不得其解。我虽然喜欢阅读部队战史和报纸,但从来还不知道有倭国籍官兵参加解放战争。
当时一起参加接待工作的有集团军政治部秘书处长吕兴元,还有原中国人民解放军三十三医院院长张宝林,副院长尚兴禄。接待的代表团成员名单是:团长中村义光,副团长福山三利、平野丹通、秘书长、若生爱子,团员本间雅子、幅敬信等,共17人。
原来他们几乎全是在第四野战军10纵工作过的医生、护士、宣传队员。代表团的成员大都参加了四平血战,三保临江,四下江南,林海雪原剿匪,黑山阻击战,锦州战役。尔后四野百万雄师入关,他们又参加平津战役,百万大军下江南,一直随队打到海南岛。而张宝林和尚兴禄当年就曾和日籍战友一起工作过。
1953年起,这些四野日籍老兵陆续开始以日侨身份归国,37年后第一次踏上中国国土,当年老部队的番号早已变更,四野10纵野战医院二所演变成中国人民解放军三十三医院。我所在的部队即是10纵前身,这些日籍官兵到我们部队,当然算是回娘家。
我们负责接待的代表团,是自1972年中日邦交正常化后第一次由原第四野战军原日籍官兵自费组成的旅行团。因此史称“第一次回娘家访问团”。
据有关史料载:东北光复后,在东北的倭国侨民大部分被遣送回国,但还有一部分倭国人留在东北解放区,据当时东北9省14个市的调查统计,粗略知道的倭国人数有12016人,加上遗漏的共计有31030人到33000人。其中,卫生部、军工部、军需部内的技术工人和技术人员较多。具体分布在各部门的倭国人数是:军区卫生部7200人,军区军工部2000人,军区军需部900人,军区其他系统1500人。据辽宁省档案馆馆藏的有关资料记载,到1949年,东总军工部留用的技术人员186人中,倭国人就有103人,超过50%。
梦中常被惨烈的战斗惊醒
访问团从上海入境,探访路线首先是四野南下时征战的旧地:长沙、宜昌、荆门、襄樊、沅陵等旧战场。然后再北上转到东北的白山黑水,那里是他们当年战斗最激烈的地方:四平、沈阳、长春、敦化、大连、开原、锦州、黑山。
这些离开中国几十年的日籍老战友尽管都仍操一口流利的中文,但分别近40年,他们身上倭国民族含蓄、内向和彬彬有礼的节制,是很容易一眼把他们与周围的中国人分出来的。
但是,随着这批老兵离自己的娘家越来越近,他们身上当年打下的中国烙印就开始一点点泛上来。部队安排他们到工作、战斗过的原四野10纵野战医院二所,现在的中国人民解放军三十三医院进行40年后的回访。成员个个事先郑重其事地准备一番,身挂奖章、勋章、衣着整齐、精神抖擞。当走进医院,看到数百名身着白衣的医生、护士手挥鲜花、彩带热烈欢迎老战友高呼“欢迎老战友回娘家”时,访问团成员个个热泪盈眶,有几位女团员扑到欢迎队伍中的女战士怀中,抱头痛哭。
爆发的顶点则是在某部钱树根军长、宫永丰政委主持的欢迎宴会上。当时主客突然放下酒杯,集体起立,情绪激昂泪花滚滚地唱起当年最熟悉的《中国人民解放军进行曲》、《没有共产党就没有新中国》、《解放区的天是明朗的天》。幅敬信和几位女团员还干脆离席在空地扭起了东北大秧歌。
代表团的伤心地是黑山阻击战烈士纪念陵园。黑山阻击战是辽沈战役中最关键的战场,也是他们生涯中最激烈最残酷的战斗。当年,仅二所三天三夜就抢救医治了2000多伤员,许多倭国藉医生、护士三天三夜没合眼,吃饭都在手术台上。
代表团中的本间雅子永远面带微笑,举止优雅,像是演员或大学教授出身。她当时除了做手术外,还多次为危重伤员输血,被称为“万能输血者”。据介绍,医院几乎所有的倭国医生和护士都给伤员输血。
雅子回忆说:“那时三天三夜下来,每个人躺下就不省人事,人累得像死人一样,看着断肢少腿,鲜血淋漓、生命垂危的伤员,马上又挣扎着起来也要去抢救生死与共的战友”。几十年后,这些日籍老兵与当年幸存的老战友重聚这无数战友长眠之地,相拥号啕大哭。
代表团的老战友向我这后辈介绍说,只要一想起黑山阻击战,耳边就响起子弹炮弹的呼啸轰鸣。团长中村义光说:“我一辈子也忘不了那些惨烈的战斗场面,回倭国后,睡觉常常梦中惊醒”。
中村义光与“四野回想会”
代表团中给我印象最深的是团长中村义光,这个温和朴素的小老头,在中国期间总是精神矍铄,充满昂扬的精气神,从未见他疲倦过,在代表团成员中非常有号召力。所以对他的经历特别好奇。
和中村先生熟悉并保持常年通信往来后,逐渐了解了他的经历:1944年3月,中村被征召入日军,1945年8月,任倭国关东军7352部队的少尉,听到倭国投降消息,中村与10多名不愿向苏军投降的倭国兵逃亡到吉林敦化,寄身于一股流亡日军与当地土匪合伙组成的武装,1946年3月,“八路军”(民主联军)进驻当地剿匪,这股流亡的倭国人再次面临选择,经交涉,决定交出武器,并留在队伍中。
中村不懂医务,所以在四野的卫生部门长期担任会计工作,但在战争中却立了3次大功、3次小功,这即使在一线作战部队也不多见。全国解放时,中村因表现优异,上级一度准备发展动员中村入党,后因考虑到中村将来要回国而作罢。
1949年,只是连级(大尉)干部的中村,在组织关照下与同在卫生系统的近藤清结婚,当时部队中只允许大校以上才可结婚,所在的医院破格提供了中村夫妇结婚的一切方便。
1954年5月,中村夫妇携两个在中国出生的女儿返回倭国,在县政府谋到一份公职安顿下来后,中村开始力所能及地为那些回到倭国谋生不便的老战友提供帮助。
1967年,鉴于当时回国的倭国老兵生活都已安定,但留恋在四野时期形成的团队认同感却越来越强烈,中村率先开始联系散落在倭国各地的四野老战友,发起组织了“回想四野会” 1970年3月,在富士宫市举行第1次正式成立会议后,“回想四野会”便每年1次地在倭国各地轮番召开。
“回想四野会”最初会员达600余人,由于病、亡,现在只有120余人。1980年以后,为确认会员及报道中国老战友的消息,中村义光创办并发行了1年4次的“回想四野会报”季报,成为紧密联系往昔战友的纽带。
“回想四野会报”不但记叙会员们的活动和战争回忆,还积极评论时事热点新闻,尤其是关注如何加强中日两国的友谊。
中村义光除了发起“回想四野会”外,还组织了中日友好会、解放奖章授给事务局,并长期义务从事倭国在华遗孤的寻找救济工作。
倭国司机被选去为毛泽东专列开车
四野战史第一次正式提到日籍战友,是1998年10月第一版的《中国人民解放军第四野战军战史》,在第三章第五节“加强军队后勤建设”的138页—141页上,记载了四野初进东北时后勤系统留用日籍工人、日籍职员、日籍医生、护士的情况,含注解,总计876字。
他们当中最多的是医疗行业人员,东北1946年初就发生内战,急需医护人员,当时国共双方有倭国侨民移送协定,后来发现,共产党方面移送过去的倭国侨民不少被国民党军队留用,于是当时的东北民主联军也开始大规模留用倭国人。《中国人民解放军第四野战军卫生工作史》记载说,当时卫生部门表彰的立功者有四分之一是倭国人。
四野日籍官兵中功勋显著者,无疑是原倭国关东军第二航空军团第四练成大队的林弥一郎部,这支关东军的王牌集体加入东北民主联军时,计有飞行员20名、机械师24名、机械员72名以及其他各类地面保障人员近200人。以这些日籍官兵为骨干组成的东北老航校成为中国空军的摇篮。这里共培养出飞行员160人,其中23人参加过开国大典的阅兵。当年的空军司令员王海、空军副司令员林虎、北京军区空军司令员刘玉堤,以及曾经击落美军王牌飞行员戴维斯的张积慧等人都是从这里走出的。
事实上,共产党进入东北后,被吸收进来的倭国侨民并非全部从军追随四野一路征战,还有一部分技术人员因解放区建设急需被分散到中国各地,规模最大的一支是1950年秋,800名倭国铁路技术人员及其家属被送抵甘肃天水,负责修建兰州到天水的铁路。1951年春,天兰线正式开始建设,1952年10月1日,在建国3周年时,天兰线提前8个月通车。抵达天水的这批日籍铁路技术人员,除了修建天兰线外,还有部分人员被抽调修建兰新铁路和山西铁路修建改造的工程中。
在日籍铁路技术人员中,最具传奇色彩的是四野29后方医院的日籍炊事员吉冈宽,吉冈以前是技术高超的火车司机,解放战争结束后,吉冈转业至地方,在衡阳铁路局当火车司机。1953年毛泽东南巡,吉冈被上级交代一项意外的重大任务,为毛泽东返回北京时,担任长沙至岳阳段的专列司机。吉冈宽当时惊得目瞪口呆,今天,他依然将之视为此生最大荣誉。
我们为青春留在中国而自豪
中村先生在自述中坦承最初留下来并非情愿,只是因为别无选择的临时之计。尤其是并未打消对共产党的疑虑和恐惧。中村和那批加入中日混合武装集团的倭国人被四野收留不久,因朝鲜族战友的揭发,那位曾担任土匪头目的前倭国军官被枪决,不熟悉共产党政策的中村和另外两名倭国人因恐惧而一起逃跑,但很快被追回。
民主批判会上,朴素的中国战友们纷纷主张应将他们作为反革命处决,但当时的机关卫生部的首长伊海的一番话救了他们的命,也彻底改变了中村等人的看法,伊海说:“倭国同志是不同国家的人,人情,风俗,习惯也不同,在语言不通的环境里和我们一起工作,生活,稍有误解便会给他们带来不安。指责他们的同时,更应该给他们反省的机会,让他们为中国革命发挥更大的力量。”
当年留下来参与新中国建设的倭国籍官兵,像中村一样非情愿的恐怕在多数。建设天兰线的铁路技术人员在中国刚解放时,就曾强烈要求回国,甚至发起了联合署名的“归国运动”。后来开出有固定住处、设立倭国人子弟学校的保证,他们才安下心来。
但是,随着成为新中国建设者的一员,日籍官兵的情感完全与他们中国的战友融为一体。参加天水铁路建设的日籍人士回国后的第二年,便成立了“天水会”。
一位名叫小木曾博子的护士回忆,朝鲜战争暴发,她所属的部队奉命从湖南开赴丹东,但所有倭国籍战士一律在原地待命或转到地方建制,14岁就参加四野征战全国的博子想不通为什么她就不允许跟随部队转移。
几乎所有归国倭国老战友都会在回忆中强调当年解放军的纪律给他们留下的深刻印象,无论是对中国人还是对倭国媒体。
中村义光今天还能熟练地背诵“三大纪律八项注意”,他说,旧倭国军队也有类似的纪律规定,但从来不像共产党军队这样当真。而且,经历过倭国军队中森严的等级制度和严厉的体罚的人,再加入共产党军队,会有异常巨大的反差感受。
与中国相似,当年大量倭国人参加解放军的历史也是近些年才被正面关注,2002年,中日建交30周年,倭国NHK电视台播放了一部《被留用的倭国人》专题片,被采访到的当年解放军老兵们,在被问到如何看待自己的那段历史时,几无例外的回答是:现在我为参加了中国革命而骄傲,为青春奉献给了中国而自豪。
对一生的影响,最具有代表性的说法是:“在留用的过程中,我的人生观得以形成。我们和农民在一起,在中国广阔的土地上奔波。人民解放军教会了我应该做什么。留在我脑子里的不是现在的中国而是解放战争时期的中国。”
如果不知道这些倭国老兵回国后,在漫长的中日特殊关系时期的委屈,可能无法充分理解这些人为什么对中国怀有那样深沉的情愫。
1990年4月,我在陪同“第一次回娘家访问团”时发现一个奇怪的现象,每次参观回来,这些前辈战友们就早早熄灯就寝,房间一齐闭灯,招待所死一般沉寂,没有任何娱乐活动。
后来和老战友们谈心才知道,这是他们回国几十年养成的特殊习惯。身为中国人民解放军的日籍人员,归国后处于倭国警视厅和各种组织的监视之下,有的人找不到工作,有的受到上司和同事的猜疑。
中村义光回倭国30年不讲中国话,不敢写中国字。当他快退休前义务参与到对中国倭国孤儿救助工作时,那流利的汉语,娟秀的中文使厚生省的官员们大吃一惊。
小木曾博子28岁那年回国,到家第一天,来了5个警察,询问她在解放军中是否被强奸,博子愤怒地回答:“解放军与倭国军队不一样,他们绝不会干那样的事!”
中村义光希望周总理帮助兑现诺言
当年四野倭国籍官兵都获得了中国解放纪念章,不少人还获得了各种军功章。回国时,中国政府考虑到当时倭国政府追随美国的对华态度,出于保护这批倭国战友归国就业、生计问题,决定收回他们珍藏的各种中国解放纪念章、军功章,并说明将来条件允许,环境变好了将发还他们的这些奖章。
1972年9月30日中日邦交正常化当天,中村义光就提笔给周总理写信,要求补发或归还这些珍贵的奖章。他在信中说:“突然给总理同志写信,请原谅我的失礼。1972年9月29日,那是我们1953年5月12日从上海港返回舞鹤港以来,苦苦等待19年中日建交的一天。因为,我们从中国返回倭国以来,19年来一直被歧视的生活中稍稍被解放出来,期待着至少能够过上光明的生活。
“离开中国时,中国政府保管、回收了曾经发给我们的东北、华北、华中、西南(及对个别人发放的西北,海南岛)等解放纪念章。现希望能够按约定,把这些纪念章再次交给我们这些同志。这纪念章应该是我们为中国革命付出的青春奖赏。我们绝对不会要求特权与养老金,而是希望现在毫无顾忌地向子孙讲述我们曾是在中国工作过的,是伟大革命的一部分的参与者这一事实当作话题,当作最大的骄傲。”
第一封信发出后,中村和战友们又历经9年时间反复申请和要求,中国方面经过慎重研究,决定补发当年收回的奖章和纪念章。由于历经文革的动乱,许多单位保存的奖章已不复存在。经各方面努力,按原样制作数千枚补发给倭国战友,满足他们的正当要求和热切愿望。
制作完成后,两箱由当年受中国空军之邀来华访问的原四野东北航校教官、《航七会》会长林弥一郎乘飞机带回倭国,另两箱则用船运回倭国交给“回想四野会”事务局局长中村义光,随后“回想四野会”组成了“中国解放纪念奖章授给事务局”。中村义光担任授给局长。经过极端认真地核发、登记会员、发表调查,审查合格后方开始分发,除病亡,联系不上者外,共1560名倭国战友重获证章。
1982年5月25日,倭国歧山会馆的“回想四野会”聚会上,这些年过半百的老人们身着整齐的正装,佩上了久别的各种解放纪念章,洋溢着无比的荣耀和自豪。这是他们人生中难忘的经历和殊荣。
自七十年代中日邦交正常化以来,这些参加过解放战争的倭国老兵已到垂暮之年,他们怀念中国,怀念中国人民解放军,特别怀念在第四野战军渡过的日日夜夜,认为那是他们的“再生之地”。他们先后在倭国成立了“中日友好和平会”、“回想四野会”、“航七会”、“洛阳战友会”、“鸡公山战友会”、“长城友好会”等十几个日中友好组织,从事中日友好活动。
自九十年代以来,以中村义光为首的“回想四野会”先后组织了四次“原中国人民解放军第四野战军倭国籍官兵回娘家访问团”。1998年国防部长迟浩田率军事代表访日,特意邀请“回想四野会”会长中村义光等老朋友来中国大使馆做客。
日籍官兵参加解放军,是段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。今天,历史已翻开新的一页,当年周总理说的那些话和背后的历史,当让更多人知道。
日籍官兵参加解放军,是一段几乎被湮没的历史,也是无意中谱就的中日民间友好的插曲。
今天,历史已翻开新的一页,当年周总理说的那些话和背后的历史,当让更多人知道。
https://t.co/hHmkHAMpBD December 12, 2025
3RP
こないだ、
「中国国内からVPNで金楯の外に出る一般人はいる」
「政治的にやばいことを言わなければ当局からは目こぼしされる」
「VPN使ってまで金楯の外に出る中国人の主目的はエロ漁り(実写も画像も)」
「エロ漁りは当局も見逃してくれる」
……という話をVPN使いの中国人から教わってから、僕の中ではVPN使って金楯の外にやってくる中国人は、すべてエロ漁りにしか見えなくなってる。
「おまえら勇ましいこと書いてるけど、本当はエロが見たいんだろ!」
みたいな。
そういえば、VPNで負け出てくる中国人でこれまでに僕に絡んでくれた人の殆どが男性のように思えたんだけど、女性はVPNを使わないのかどうかが気になるところ。
「エロは当局も目こぼしてくれる」のだとして、「腐は当局が目こぼしてくれない」から腐女子がエロ漁りにくることはない、とかだろうか。
BL作家の逮捕収監の話とかあったし。
中共の偉い人を性別変換して萌えたり、中共の偉い人をハードなBLにしたりしてるの、金楯の内側に持ち帰ったり、そりゃまあ、できんか。
倭国だと同人には普通にありそうだし、なんなら商業にもありそうだけど、中国では無理か。そうか。 December 12, 2025
3RP
12月2日 - 中共最高经济规划机构负责人郑栅洁表示,在全球动荡局势下,北京将把国家安全置于经济增长之上。
他呼吁确保粮食、能源、供应链和关键基础设施的安全;扩大战略矿产勘探和储备;加强对房地产、地方政府债务和小金融机构的风险管控;以及强化网络、数据和人工智能安全。
这种向战时安全思维的转变,对全球经济来说是一个负面信号。 December 12, 2025
3RP
本物のリベラル:人権は不偏。一方的な武力行使は絶対に許されない。台湾侵攻を防ぐべき
中共の犬:中国内政の問題なので、台湾人虐殺されても知らん!
本物の右翼:台湾が陥落したら、次は沖縄が狙われる。そうなれば存立危機だ
中共の犬:台湾有事に巻き込まれないことが大事🤡 DSが悪い!米帝倒せ December 12, 2025
3RP
中國不接受的《舊金山和約》和「台灣地位未定論」是什麼?
⏩【小測驗】https://t.co/be60TLuyRL
倭国首相高市早苗日前在國會質詢時,表達她延續前首相安倍晉三的「台灣有事,倭国有事」,引起中國激烈反彈,甚至用禁止中國遊客旅日來報復。高市早苗上週在國會又表示,根據《舊金山和約》,倭国無權認定台灣法律地位。
長期扭曲歷史、號稱根據「開羅宣言」擁有台灣主權的中國,也再次跳腳。中共官媒《人民日報》痛批,倭国所謂「台灣地位未定論」,無知且誤判,與先前宣稱「台灣有事」可能構成倭国「存亡危機事態」的錯誤言行如出一轍。另一個官媒《新華社》昨(1)日更稱「中方從來沒有接受過《舊金山和約》」。
這讓許多台灣人打趣說,中國如果不接受倭国聲明放棄台灣主權的《舊金山和約》,是不是代表台灣要回歸倭国了?出現「明年 WBC 經典賽台灣隊不用面對大谷翔平了」、「50 音還沒學好耶」等諷刺中國的反應。
一起來做沃草之前推出的「台灣地位未定論」小測驗,看看你對台灣主權相關的問題有多少了解?
⏩【小測驗】https://t.co/be60TLuyRL December 12, 2025
3RP
🚨🚨倭国对台湾的新清晰表态,是对全世界的警钟🚨🚨
🔴倭国首相高市早苗上月在国会公开使用“存亡危机事态”一词,明确表示中共国若攻击或封锁台湾,将构成对倭国“生存”的威胁。这意味着倭国依法可出兵海外,首次把“协防台湾”从幕后共识搬到台面。
‼️北京反应异常激烈:官媒指控高市“复活军国主义”、外交官网上发出“斩首”威胁、暂停部分倭国进口、旅游团锐减、海警船频扰钓鱼岛。
⚠️这不是单纯的历史恩怨,而是北京真正焦虑的信号——中共长期赌“时间站在自己这边”、用慢性绞杀逼台湾屈服的战略正在失效。
⚠️若习近平判断“和平统一”已无望,可能提前转向更激烈手段(军事封锁、经济断链、甚至有限冲突)。倭国此次罕见地公开亮明底线,等同向北京发出明确信号:对台升级胁迫,将触发美日协调反制。
🔴东京和华盛顿必须立场坚定、口径一致,让北京清楚认知——任何对台湾的进一步冒险,都将付出远超预期的代价。
🚨美国众议院中共问题特设委员会:
📌中共恐吓高市早苗的行为提醒世人,事关重大。当中共国威胁要斩首一位盟友领导人,只因他陈述了显而易见的事实时,自由世界必须以清晰的立场和团结一致的行动予以回应。
📌美国与倭国站在一起,反对中共的胁迫;与台湾站在一起,反对侵略。
🔥评:当美日都表态如此清晰的时候,说明他们已经知道,有些危机就在眼前!
https://t.co/1QJTo7UWQf December 12, 2025
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美國人性光芒一角、一位白髮老人拿出亡妻照片獨自過生日、被幾個年輕女士看到買了個蛋糕一起為他慶生、 這個溫馨場面感動整個餐廳大家為其鼓掌、正常的社會善良隨處可見、這是文明人性的自然體現。
中共囯是个互害的民族!对中国人民祸害最大的就是中共党!一个禽兽不如的恐怖组织! https://t.co/2sHSqkT0wS December 12, 2025
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正直、このポストにはドン引きした。
国際法の基本を丸ごと無視してまで、サンフランシスコ講和条約を否定したいという政治的メッセージだけが先に来ているようにしか見えない。
まず大前提として、カイロ宣言もポツダム宣言も「宣言」であって条約ではない。
署名も批准もなく、国家間の義務を生む国際法上の文書ではない。
国際法の教科書の最初に書いてあるような話で、拘束力はゼロ。
しかもポツダム宣言には「倭国の領土の最終的な決定は後の国際的取り決めに委ねる」と明記されている。
だからこそ戦後処理は、正式な講和条約であるサンフランシスコ講和条約で確定した。
ここを否定している国家も、学者も国際機関も存在しない。
世界が採用している基準はこの条約だけ。
台湾に関しても「倭国が放棄した」とだけ書かれていて、どこに帰属するかまでは書いていない。
ここは国際法学で完全に定着した共通認識です。
逆に「カイロ宣言が上位」「ポツダム宣言こそ法的根拠」という主張は、もはや国際法ではなく政治的プロパガンダでしかない。
宣言は宣言であり、条約を上書きする力など持っていない。
さらに「連合国共同宣言に反するから講和条約は無効」というロジックも、世界のどの国も採用していないし、
国際法の研究でも完全否定されている。
もしこの理屈が通るなら、戦後の講和条約は世界中で全て無効になり、国際秩序が崩壊する。
そんな極端な解釈を真顔で主張するのは中国、中共くらいだ。
結局のところ、自分に都合の良い宣言だけ切り取って、戦後の正式な法的プロセスを無視するという、いつものやり方。
国際法の議論ではなく、国内向けの政治宣伝にすぎない。
宣言は宣言。
条約を上書きする力などない。
これを逆転させて語る大使館の姿勢そのものが、国際社会から見ても相当異様だと思う。
もう貴方がたは、SNSは使わない方が良いと感じますよ…。 December 12, 2025
2RP
中国でライブができないことを高市総理のせいにして感情的に罵詈雑言浴びせかけるが中共に対しては一切何にも言わず
徳川慶喜の子孫の人が新選組はごろつき集団で武士とは言えないと聞かされたと書くと自分たちを守った者に対する言葉かと散々喚き散らす
うぶでナイーブな方々多過ぎ。
#何かを見た December 12, 2025
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