メーテル トレンド
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2025.12.19 04:00
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おはようございます。
今回は昭和の青函連絡船とメーテルです。
自分は瀬戸内で育った人間なので、
東北や北海道とは、これまで特別な縁があったわけではありません。
それでもなぜか、昭和の青函連絡船という言葉には、
昔から不思議な親しみを覚えてきました。
夜の瀬戸内もそうですが、
港に停泊し、闇の中で煌々と光る船には、
ほかでは代えがたい美しさがあります。
それはただの乗り物ではなく、
人の人生を載せた、静かな光の塊のように思えるのです。
中学生の頃、
大阪から生まれた瀬戸内の島へ戻りました。
正直に言えば、
自分は都会の賑やかさが大好きでした。
最新の映画があり、展覧会があり、
電車がひっきりなしに行き交う街。
一方、島には、それらはありませんでした。
一日だけ本土の都会で遊び、
夕暮れが近づいてフェリーに乗り込むと、
胸の奥に、言葉にできない寂しさが込み上げてきたものです。
当時の自分は、不登校でした。
島へ帰るフェリーに乗らず、
「・・・いっそこのまま家出してしまおうか」
そんなことを考えたこともあります。
きっと、それは自分ひとりの、
誰にも見えない小さな葛藤だったのでしょう。
話が少し逸れました。
瀬戸内の小さな島と本土を結ぶフェリーは、
青函連絡船に比べれば、ずいぶん小さな船でした。
それでも、甲板や客室にいる人たちを眺めていると、
自然と物語が浮かんできました。
遊園地に連れて行ってもらったのか、
嬉しそうに親と話す子ども。
本土で働き、
くたびれた背中を丸める老いたサラリーマン。
同じ中学校に勤める、
若い教師の姿もありました。
畳のスペースで、
麻雀のカードゲームに興じる高校生たち。
一隻の船の中に、
それぞれの世界が、確かに存在していたのです。
瀬戸内の小さなフェリーでさえ、こうなのです。
それならば
もっと大きな青函連絡船には、
どれほど多くの人生と物語が詰まっていたことでしょう。
港の空気も、
きっと独特だったに違いありません。
そんなふうに、
昭和の青函連絡船は、
いつの間にか自分にとって憧れの存在になっていました。
そして一昨年の冬、
ついにその海を、この身で渡ることができたのです。
もちろん、船は最新のもので、
当時の連絡船とはまったく違いました。
それでも、港の雰囲気や、
歌にも歌われてきた津軽海峡を、
この目で見ることができたとき、
胸の奥が静かに震えました。
この百年のあいだに、
どれほどの恋人たちが、
この海を越えて駆け落ちしていったのだろう。
どれほどの父親が、
子どものためのおもちゃを抱え、
本土から家路についたのだろう。
あるいは、
どれほどの子どもたちが、
胸を躍らせて遠足に出かけていったのだろう。
黒い雪が舞う津軽海峡の海を眺めながら、
自分の想像は、
船のエンジン音をBGMに、
果てしなく膨らんでいきました。
港で船を待つあいだ、
かじかんだ手を客室で温め、
缶コーヒーをひと口飲みました。
そのとき、
天から舞い落ちる粉雪が、
まるで海へ注がれるクリープのように見えたことを、
いまでも、はっきりと覚えています。
静かで、切なくて、
それでいて、どこかあたたかい
そんな冬の記憶です。 December 12, 2025
3RP
#PSO2NGS_SS
まりん「私は、時の流れの中を旅してきた女」
···byメーテル
#ギャル集会クリスマス編 https://t.co/UVPlHQGd9O December 12, 2025
1RP
展覧会のポスターに使わせていただいた作品は、「さよなら銀河鉄道999:アンドロメダ終着駅」(1981年/りんたろう監督)から。
「鉄郎、スリーナインに乗りなさい…」
と、メーテルからのメッセージに導かれた鉄郎が旅の先に辿り着く、惑星プロメシュームの風景です。
#椋尾篁 https://t.co/PC7QZm0IjK https://t.co/DVJNQ4nR1E December 12, 2025
そういえば火曜日、病院の帰りに後ろ姿がメーテルみたいな人を見た。
長い黒髪なんだけど、長身で全身がすらっとしていた。
もうおっさんになった私だからアレだけど若かったら顔を見たいなあと思ったかも。
最近ヤマトⅢ見てたからなあ。😃 December 12, 2025
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