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ならしている
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2025.11.26 07:00
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葬祭業の悪徳業者についての記事なのですがちゃんと最後まで読まない方がお寺に対する不満をリプライしている方が多いですね。
そのような方はお寺が人々を騙し集客して洗脳し搾取しているように捉えているようですが、それは考え方が逆です。民衆が先祖の成仏を願い供養するためにお寺を建てて僧侶を住職に据えたのです。
信仰が先です。
私が住職をしております宝泉寺というお寺は江戸時代以前はありませんでした。もともとこの地域は湿地帯で誰も住んでいなかったのです。そこに入植者が入ってきて水を抜いて埋め立て、村ができて人々が住み始めました。そうすると必ず亡くなる人も出てくるわけです。そこで村人が集まってお金を出し合ってお寺と神社を建立したのです。それは亡くなった方々の供養をするためにお寺を建て墓を作り弔い事をしたのです。
その維持費を檀家が負担するのは当たり前です。共同財産だからです。いまでも宗教法人法によりそのように規定されています。寺は個人の持ち物ではありませんし、勿論商売ではありません。
人生の苦しみに答えてきたのが仏教でありお寺です。人生の最大の苦しみは「死」です。友人、知人、家族、自分自身の死。これらは耐え難い苦しみです。それに応えたのが、葬儀であり法事です。
葬儀社は昔は存在しませんでした。村民総出で葬儀を営んでいたのです。
村八分という言葉がありますね。冠・婚・葬・建築・火事・病気・水害・旅行・出産・年忌の 10種のうち、火事、葬を除く8種に関する交際を絶つことを「村八分」と言います。どんなに疎遠な人・共同体に非協力的な人であっても火事と葬儀だけは皆付き合いましょう、という言葉です。それだけ大変なのです。大変だから専門職に任せるようになったのです。
現代でも遺体の管理、衛生の管理、地域の習俗に精通していないと葬儀業はできません。それに対して対価を払うのは当然のことです。
だだし、中には記事のように高いノルマを設定して収益にのみ走る業者もいるので警鐘をならしているのです。
ご理解をいただきたいと思います。 November 11, 2025
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