マルクス トレンド
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2025.12.16 03:00
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【⚠️警鐘】東京都の「女性活躍推進条例(通称:思い込み条例)」が本当に危険な理由
「思想統制が危険」と言われても、正直ピンとこない人も多いと思います。
でもこれは、過去の共産主義思想が使ってきた“人民支配の手法”そのものです。
かつて
・マルクス主義
・グラムシ
・フランクフルト学派
などが唱えたのは、
法律や暴力ではなく、“価値観”を行政が矯正することで人々を支配する方法でした。
今回の条例で「解消すべき思い込み」とされている例👇
・リーダーは男性であることが多い
・女性は理系が苦手という考え
・女性は守られる存在だという意識
——しかし、これらは
✅ 正しいか間違っているか以前に
✅ 個人が自由に持つ意見や価値観です。
それを行政が
「これはダメな考え」
「直すべき思想」
と指導し始めた時点で、完全に思想統制です。
「今は罰則はありません」と言っていますが、
そんな言葉が信用できないのは歴史が証明しています。
消費税も
3% → 5% → 8% → 10% → インボイス
と、気づけば後戻りできないところまで拡大しました。
思想統制も同じです。
最初は
「啓発だけ」
「お願いベース」
でも、必ず
👉 指導
👉 圧力
👉 罰則
へとエスカレートします。
実際、ヨーロッパでは
SNSの書き込みだけで家宅捜索・逮捕
という事例がすでに多数起きています。
これは男女の問題ではありません。
民主主義の根幹である「思想・表現の自由」の問題です。
どんなに“聞こえのいい言葉”で包んでも、
行政が「正しい考え方」を決め始めた瞬間、
それは自由社会の終わりです。
民主主義を脅かす思想統制条例は、絶対に可決させてはいけません。 December 12, 2025
5RP
米国では、2028年の大統領選挙で民主的社会主義の候補者に勝ってほしいとする若者が過半数を占めた。
世は空前のマルクスブーム。倭国共産党の出番や。
#志位和夫 #倭国共産党 https://t.co/2NpvOnxKzR December 12, 2025
ネパール王宮と王政への懐古
ネパールは立憲君主制だったが、2008年に共和制に移行、君主制をやめてしまった。だが今回、ネパールの人々と話をしていると、汚職と腐敗が続く共和制より、政治家の腐敗をたしなめられた立憲君主制の方が良かったとの声を聞いた。
そこで地元の方にお願いして王宮を訪問した。ここは、立憲君主制廃止のきっかけとなったネパール王族殺害事件(いわゆる「ナラヤンヒティ王宮事件」)が起こった場所であり、殺害現場も公開されている。ただし、撮影は禁止。
この事件は2001年にカトマンズの王宮でネパール王室の中枢が一夜で壊滅した王族銃撃事件だ。
2001年6月1日夜、首都カトマンズのナラヤンヒティ王宮で行われていた王族の晩餐会の場で銃撃が発生し、ビレンドラ国王とアイシュワリヤ王妃、王太子ディペンドラを含む王族10名が死亡したとされる事件が「ネパール王族殺害事件」。公式説明では、王太子ディペンドラが泥酔状態で家族や近親の王族に対して自動小銃等を乱射し、その後自殺を図ったとされている。
ネパール政府の調査委員会は、犯人はディペンドラ王太子であり、恋愛・結婚問題をめぐる両親との対立などが引き金となった「一家心中型」の事件だと結論づけた。結婚相手に選んだ女性を国王夫妻が強く反対したうえ、王位継承権の剥奪まで口にしたことが、王太子の強い不満と怒りを生んだと説明されている。
一方で、泥酔した王太子が複数の銃器を使い分け、近親の要人だけをピンポイントで撃ち抜けたのか、現場検証との整合性などから多くの疑問が指摘され、「宮廷クーデター」説などさまざまな陰謀論が今も存在する。特に、事件当夜に王宮内におらず、事件後に国王となったギャネンドラ王(ビレンドラの弟)が関与していたのではないかという噂が国内外のメディアや一部政治勢力から繰り返し提起されたが、ギャネンドラ本人は一貫して関与を否定している。
事件当時、ビレンドラ国王は立憲君主制・民主化を推進し、国民からの信望も高かったが、その突然の死と王室中枢の集団死は王制への信頼を急激に失墜させた。新国王となったギャネンドラは、後に議会停止や非常事態宣言など強権的な政権運営を行い、これに対抗する民主化運動とマオイスト(毛派反政府勢力)の武装闘争が一層激化する要因ともなった。
王族殺害事件を契機とする政治不信・王室不信、内戦の激化、大規模な人民運動を経て、2006年にはギャネンドラ国王の政治的特権が剥奪され、事実上の立憲君主としての地位も大きく低下した。そして2008年、制憲議会が共和制への移行を決議し、王制は廃止されネパール王国(ゴルカ朝)は終焉し、ネパールは連邦民主共和制国家となった。
だが、国王なき共和制は、政治家たちの腐敗を生み、政治は流動化する。
2025年9月、政府がSNS禁止令を出したことをきっかけに、汚職や縁故主義への不満を背景とした若者中心の抗議行動が全国に拡大し、治安部隊との衝突で多数の死傷者が出た。
こうした抗議の高まりにより、オリ首相(共産党統一マルクス・レーニン主義派)と主要閣僚が相次いで辞任し、既存政権は事実上崩壊した。マオイストたちも国民の支持を失った。
政党や市民社会勢力の協議を経て、ポウデル大統領は元最高裁長官のスシラ・カルキを暫定政府の首相に任命し、ネパール初の女性首相となった。
カルキ暫定首相は下院を解散し、2026年3月5日に連邦議会選挙(総選挙)を実施する方針を表明するとともに、財務・エネルギー・内務など主要ポストから段階的に閣僚人事を進めている。 December 12, 2025
@haru_negami 私は数学から拒否された勢ですが先生の此の連ツイは非常に興味深いと思いました.昨日マルクス経済学の先生とネトウヨの私がやり取りした得た事と併せて思います.美しく綺麗な構造は他の方法では言い換える事が難しいぐらい洗練されているから感性の違う人には全然わからん.まるで公理のような🙇♀️↓ December 12, 2025
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