ポピュリズム トレンド
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2025.12.10 02:00
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「倭国の偽サッチャーが12兆ドルの債券市場を吹き飛ばしつつある」という吹き出しそうな見出しだが、内容は高市のやってることの真面目な解説になっている。最後の一文に痛烈な警告がある。
訳:倭国はいま、危険ぎりぎりの綱渡りをしている。
世界で最も債務を抱える国家が、市場を挑発するかのように、追加国債発行としては到底正当化しがたい計画を掲げている。
財政運営の無責任さは、アメリカ、フランス、あるいは「福祉国家化」した労働党政権下の英国と比べて取り立てて悪いわけではないかもしれない。しかし現在、債券市場の“自警団”が照準を合わせているのは倭国である。
高市早苗が6週間前に政権を握り、コメのバウチャーや化石燃料補助金などを含む 1,350億ドル(1,010億ポンド)規模の「質の低い」財政拡大策 を示して投資家を驚かせて以来、倭国国債の利回りは満期を問わず激しく跳ね上がっている。これらの施策は、彼女自身の政策がもたらしたインフレ効果を覆い隠すための小手先の策と受け止められている。
このポピュリズム的な冒険の規模は、国際金融システムに激震を走らせると同時に、東京の経済エスタブリッシュメントを震撼させている。
10年国債利回りは東京の取引時間中に1.94%まで跳ね上がり、一週間前の1.79%から急上昇し、1997年以来の高水準にほぼ到達した。かつて氷河のように動きの遅かった 12兆ドル規模 の倭国の公的・民間債券市場が、今はほとんど恐ろしい速度で変動している。
倭国総合研究所の川村さゆり主席エコノミストは、高市首相が方針を改めなければ、英国リズ・トラス政権のときのように市場の信認が突然失われる危険があると述べる。
新政権が無謀な政策に踏み込む以前から、債務返済コストはすでに上昇基調にあった。「あらゆる兆候が財政上の清算を指し示している」と彼女は言う。
完全雇用に近く余剰能力のほとんどない経済にこれほどの刺激策が投入される見通しであれば、通常なら円は上昇すべきだった。独立した中央銀行を持つG7諸国では、大規模財政は通常、金利の上昇と資本流入を伴う。
それにもかかわらず、円は依然として低迷している。日銀がようやく3%のコアインフレに対して何らかの措置を取る可能性を示しているにもかかわらずだ。
円は依然として1ドル=155円(0.75ポンド)という極端な水準で推移し、実質ベースでは半世紀ぶりの弱さにある。「高市氏は市場の警告に謙虚に耳を傾けるべきだ」と、野村総研の木内孝胤氏は述べる。
円はスイスフランとの連動を失い、もはや安全資産通貨としての振る舞いを見せていない。むしろ新興国の通貨のように、あるいはトラス政権のミニ予算案後に世界の投資家が英国債とポンドを同時に売り浴びせた時のポンドのように動いている。
木内氏は、政府が倭国売りを全資産クラスで引き起こす恐れがあると警告する。
「悪化する財政状況への燻る懸念は、大規模危機へと発展しうる。景気循環に逆行する拡張的予算を押し進めれば、株式、債券、円の三重安が発生し、倭国からの資本流出につながりかねない」と彼は述べる。
高市氏は倭国初の女性リーダーであり、自らをアジアのマーガレット・サッチャーとして売り込んでいる。しかしサッチャーと同様、他のキャリア女性に対してはほとんど寛容さを示さない。
高市氏は、女性を家庭の柱と見なすサムライ時代の価値観を理想化するナショナリスト的運動の一員でもある。
倭国ではまた、1937年の中国への全面侵攻(支那事変) と第二次世界大戦を含む「大東亜戦争」における倭国の行動を「欧州帝国主義からアジアを解放しようとした試み」として肯定的に評価する立場が存在する。
欧米の読者には意外かもしれないが、倭国は1905年にロシア艦隊を撃破(日露戦争)し“白人支配”の神話に傷をつけたことで、インドネシア、インド、エジプトの反植民地活動家から尊敬された歴史がある。
こうした複雑な道義的背景は、フランス系レバノン人作家アミン・マアルーフの著作『Le Labyrinthe des égarés』に描かれている。同書は倭国の中国占領下の行為を正当化するものではない。
高市氏は、サッチャーが財政規律に極めて厳格で、不況期の1981年でさえ景気抑制的な予算を押し通したことを理解していないようだ。高市氏の“ばらまき”の寄せ集めはサッチャリズムを愚弄している。
世界の投資家にとって「不安定な倭国」はまったく新しい事態である。
過去30年間、世界に危機が生じれば円が上昇するのは当然視されてきた。倭国は世界最大級の対外債権国であり、世界流動性の主要供給源だったからである。
倭国の投資家はリスクオフ局面で海外資産の一部を本国に戻し、円キャリートレードを急激に巻き戻してきた。その動きは迅速で強烈だった。
1998年、ロシアのデフォルトとLTCMヘッジファンドの崩壊が起きた際、円は1日で10%上昇した。2007年初頭のアイスランド危機から始まり、2008年末の欧米銀行危機へと至る世界不況のなかで、円はポンドに対して2倍に達した。
倭国の債務を不安視する必要はほとんどなかった。倭国は国内貯蓄で自らを賄っていた。倭国国債を空売りした投資家は「ウィドウメーカー(未亡人製造機)」と呼ばれる取引で損失を重ねた。
しかし今後は、倭国の債務に対してより注意を払う必要があるかもしれない。FRBが利下げを行い、米国の雇用情勢が急速に悪化しているにもかかわらず、円がドルに対して弱含みで推移していることは異例である。
川村氏は、米日金利差の縮小にもかかわらず円が反応しないのは、投資家が倭国の「財政・金融規律」に対する信認を失いつつある明白な兆候だと述べる。
彼女は、政府が1940年代後半の安定化危機以来となる措置、たとえば資産税や銀行預金の凍結といった drastic measures(極端な措置) を取らざるを得なくなる可能性を警告する。「財政再建は緊急の国家的優先課題とならなければならない」と彼女は指摘する。
高市政権は、倭国の基礎的財政収支(PB)黒字目標を放棄した。これは英国の財務相が財政規律を投げ捨てるに等しい。
歳出の一部はAI、半導体、量子技術、造船といった産業政策に振り向けられ、一定のリターンを生む可能性がある。しかし多くは浪費されている。
利払い費は40年近く約10兆円で安定していた。金利がゼロ近くに抑えられていたため、債務比率がGDP比260%に達しても支払負担は抑えられた。しかしインフレの復活が、この不安定な均衡を破壊した。
債務比率は230%に低下したように見えるが、それは名目GDPの増加による錯覚にすぎない。最初のインフレの波は、債務残高の実質的負担を一時的に減らしただけであり、その“刈り取り”の反動は遅れて訪れる。
日銀が今月利上げするかどうかは、ほとんど枝葉の問題である。市場は、日銀がすでに財務省の影響下にあると疑っている。投資家は自ら動き、借入コストの大幅な再評価に踏み出している。
債務返済コストは、償還を迎える国債がはるかに高い金利で借り換えられるにつれ、急激に上昇しようとしている。IMFは利払い費が2030年までに2倍、2036年までに4倍になると予測するが、これは市場が秩序を維持することを前提としている。しかし、この種の市場転換が秩序立って進むことはまれだ。
倭国は依然として3.4兆ドルの対外純資産を持つ主要債権国のひとつだが、「倭国だけは例外」という金融的特権の時代は終わった。
かつては、倭国が世界の動揺に応じて数千億ドル規模の資産を突然引き揚げ、世界的な流動性を枯渇させ、資産の投げ売りを加速させる可能性が懸念されていた。しかし今は、国内事情によって倭国がそうせざるを得なくなることが懸念されている。
10年国債利回りの2%が“臨界点”だという指摘もある。もしそうなら、高市政権が方向転換するか、あるいはどこかで何かが壊れるかの瀬戸際にある。
訳註:
「円はスイスフランとの連動を失い」→スイスフランは典型的な安全資産通貨。円が連動を失うのは「安全資産としての地位喪失」を意味する。
「全資産クラスで倭国売り」→株式・債券・通貨・不動産・コモディティなど倭国関連資産が一斉に売られる状況を指す。 December 12, 2025
5RP
境界知能や発達障害の人がいることについて、近代的自我を想定した民主主義システムや資本主義システムはどのような矛盾をはらむでしょうか?
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民主主義も資本主義も、「自律的で理性的な判断ができる個人」という近代的自我を暗黙の前提としています。しかし現実には、境界知能(IQ70-85程度)の人々は人口の14%程度、発達障害も含めれば、この前提が成り立たない人々は決して少数派ではありません。
最も深刻な矛盾は、形式的平等と実質的不平等の乖離です。民主主義は「一人一票」の平等を掲げますが、複雑化した政治情報を理解し、自分の利益を代表する候補者を選択するには、相当な認知能力が必要です。選挙公報を読んでも内容が理解できない、抽象的な政策論争についていけない人々にとって、投票権は実質的には機能していません。むしろ、理解できないがゆえに単純化されたポピュリズムに動員されやすくなるという皮肉な状況すら生まれます。
資本主義システムの矛盾はさらに直接的です。市場経済は「情報を理解し合理的に選択する消費者」を前提としていますが、悪質商法のターゲットになるのは往々にして判断能力に困難を抱える人々です。契約書の意味が理解できない、リスクを見通せない、即座の欲求を抑制できない——こうした特性を持つ人々は、自己責任論のもとで搾取されます。
そして最も残酷なのは、「自己責任」という言葉が持つ暴力性です。近代システムは「自己決定できる個人」を前提とするがゆえに、うまくいかない理由を個人の努力不足や能力不足に帰属させます。しかし認知的な制約は「頑張れば何とかなる」ものではありません。システムが前提としている能力そのものを持ち得ない人々に対して、「自律せよ」「自己決定せよ」と要求することは、泳げない人に「溺れるのは自己責任だ」と言うようなものです。
興味深いのは、近代社会が一方で「人権」という普遍主義を掲げながら、他方でその人権を実質的に行使できる能力を持った人だけを想定しているという矛盾です。福祉国家は部分的にこの矛盾を緩和しようとしましたが、それでも基本的には「一時的な支援で自立できる人」を想定しており、恒常的な認知的制約を抱える人々の存在は、システム設計の想定外に置かれ続けています。 December 12, 2025
2RP
シンガポール🇸🇬国営放送であるCNAで参政党の事が取り上げられました❗️
参政党が何故、躍進したのか?
海外でも注目されているようです😌
「Far right」と表現されていたり、ポピュリズムの危険性や排外主義の懸念を訴える専門家や自民党の政治家が登場していたりと、偏りは感じるものの。
参政党の山中泉@SenYamanaka 参議院議員や支援者のインタビューが使われております。私も取材を受け登場しておりますので、海外でどの様に報じられているのか。
ぜひ一度、ご覧になってください☺️
https://t.co/UQAhrRzeVC December 12, 2025
2RP
【視点】雑誌『世界』2025年1月号掲載の上野千鶴子氏の論稿「フェミニストが高市首相を歓迎できないこれだけの理由」のなかで、この朝日新聞デジタルのコメント欄における私の発言が批判的に取り上げられていたので、それを受けて改めてコメントしたい。
上野氏はこの論攷のなかで、私の以下のコメントを引用している。
「初の女性○○が事件になる時代は、とっくに終わ」ったのだろうか。「ガラスの壁」を打ち破ることを歓迎する女性たちは「時代遅れ」なのだろうか。「女なら誰でもいいという時代では、もうありません」という上野氏の「選別の時代」宣言には、「リベラルな学者に選別されてしまう」女性たちの分断を生みかねないという懸念を抱いてしまう」。
そしてこのコメントに対して、上野氏はこう論じている。
「女性の選別はとっくに起きている。女が一枚岩であってほしい、あるべきだというのは男の傲慢で無責任なロマン主義ではないか。女が一枚岩であったことは、これまでも一度もない。ちょうどすべての女性がフェミニストではないように」。
だが私のコメントの趣旨は、全文読んでいただければわかるように上野氏の主張が「『進んだ女性』と『遅れた女性』、『保守的な女性』と『リベラルな女性』という女性の選別を前提にしているようにみえる」ということだ。つまり「選別をしてしまっている」という私の批判に対して、上野氏は「すでに選別はなされている」と応えているわけで、つまりそもそも噛み合っていない。
この噛み合わなさの原因は、朝日新聞の上野氏のインタビューが実は女性を分析対象にしているのではなく、上野氏が想定する特定のフェミニズム思想と運動を代弁したものであるということが不明瞭だからだ。もちろん私は女性が「一枚岩」とは考えていないが、生物学的に規定された女性の政治的、経済的、文化的傾向から政治を論じることは重要と考えている。「ガラスの天井を破る」という言葉がいまも世間で流通しているということは、女性全般における社会的進出と平等の困難がいまだあり、女性総理の誕生は特定の象徴的意味を持つと私は考えている。だから私は「そんなものが事件になる時代は、とっくに終わってる」という上野氏による裁断に異論を呈し、フェミニズムと女性との乖離に懸念を表明したのである。
では上野氏のいうフェミニズムとはどのようなものか。上野氏は、『世界』の論攷のなかでジェンダー平等に肯定か否定かの4つの基準を提示している。
① トランスジェンダー差別に反対するかどうか
② 選択的夫婦別姓に賛成するかどうか
③ 包括性教育を推進するかどうか
④ 女性議員を増やすためのアファーマティブアクションに賛成するかどうか
この4つの基準をクリアしないと「フェミニズム」とはいえないというわけだ。だが例えば①のトランスジェンダリズムについては世界的にも是非、あるいはあり方について論争と対立が繰り広げられている。さらに、この4つの基準には、経済や再分配に関わることが一切入っていない。上野氏が言う通り「女が一枚岩であったことは、これまでも一度もない」。そのとおりである。そして格差社会化の中で、経済、学歴、雇用における女性の「非一枚岩化」はますます進行している。この4つの基準は、特定の女性の「階層」には歓迎されるかもしれないが、他の女性の「階層」には歓迎されないかもしれない。基準をこの4つにしてしまうことで、女性の選別はますますすすんでしまうのではないだろうか。
上野氏はこの『世界』の論攷のなかで、「参政党的なものに女性がなぜ動員されたかという問いに向き合わなければならない」と述べ、さらにこう論じている。
「戦後有権者の動向の基礎には根強い生活保守主義がある。その生活保守主義が求める福祉国家は、その裏面に排外主義を伴う。倭国では限られた原資をどのように配分するかをめぐる「再分配の政治」は、ますます厳しさを増すだろう。外国人の次は高齢者が、そして障害者や貧困層が、ターゲットになることは容易に想像できる。いや、排除と攻撃はすでに始まっている」
上野氏は公的介護制度の重要性を訴え続けており、そこで働く労働者の処遇改善を求める氏の活動にはそれについて私は強く共感し、深い敬意を抱いている。「再分配の政治」こそがいまのポピュリズムの焦点であり、公的な介護を必要とする女性たち、その現場で働く女性たちにフェミニズムの声と運動を届けるうえで、この「4つの基準」は、むしろフェミニズムから排除されると感じる女性を増やしはしないだろうか。じっさいその影響が「参政党への女性の動員」につながっている可能性はないだろうか。問いに向き合うためには、上野氏が関心をもつ介護や医療をはじめとする、さまざまな産業の現場で働く女性たちとの対話からはじめるべきではないだろうか。 December 12, 2025
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