ボイコット トレンド
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2025.12.11 14:00
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書籍『道徳的人間と非道徳的社会――倫理と政治に関する一研究』 』Reinhold Niebuhr (神学者・政治哲学者) 1932年
〜「良い人」が「悪い社会」を作る矛盾
➢ あなたの「善意」が社会を悪くする?
➢ 理想ばかり唱える人々の危険な無責任
➢ 変えられない現実と向き合う覚悟
「個人は利他的になれるが、国家や企業、階級といった『集団』は本質的に利己的だ」- ニーバー
「平和や愛を声高に叫ぶ人々は、しばしば現状の不平等から利益を得ている」- ニーバー
「不正と闘うには、説得だけでなく『力』が必要だ。しかし力は新たな不正を生む」- ニーバー
私たちは「個人の倫理」と「社会の倫理」を混同している。個人の善意が、集団の利己主義を覆い隠す「社会の偽善」を生み出す。理想と現実のギャップから目を背けるな。
🔹 集団はなぜ道徳的になれないのか
私たち一人ひとりは、友人や家族に親切にし、困っている人を助けようとする。しかし、同じ私たちが属する「国家」「会社」「民族」は、冷酷な利己主義に駆られる。ニーバーは、この個人と集団の道徳的ギャップを「政治の根本問題」と断じる。
集団は、成員のエゴが増幅され、理性や同情心が機能しにくい場なのだ。ここで問題になるのが、「世界平和」や「人類愛」を掲げる人々の危険な無自覚だ。彼らの理想主義は、自分たちが利益を得ている現在の不正義の構造を、かえって強化してしまうことがある。
🔹 支配者の巧妙な「自己正当化」
歴史上、権力者や富裕層は常に、自己の利益を「公益」や「文明の使命」として正当化してきた。帝国主義は「未開の地の教化」として、経済格差は「努力の結果」として語られる。ニーバーは、この「集団的偽善」こそが社会不正の核心だと看破する。
では、どうすれば変えられるか? 彼の答えは辛辣だ:説得や教育だけでは不十分。圧倒的な権力を持つ側は、自らその権力を手放さない。だから、抑圧された側も「力」——政治的勢力、経済的ボイコット、時には抵抗——で対抗しなければならない。しかし、その力の行使自体が、新たな暴力や不正を生む危険をはらむ。
📌 未完の正義への不断の追求
ニーバーは、完全な正義や恒久平和を約束する“万能薬”をすべて退ける。暴力革命は新たな専制を生み、無力な理想論は現状を温存する。彼が示す道は「未完のプロジェクト」だ。
個人としては誠実であれ、社会の不正に対しては冷静に「力の構造」を分析せよ。そして、非暴力の抵抗や政治的交渉など、状況に応じた現実的な手段で、少しずつ社会をよりマシな方向に「近似」させていくしかない。完全な理想郷は来ない。しかし、より悪い社会になるのを防ぎ、ほんの少しでも公正に近づける不断の努力——それこそが、偽善に流されない、大人の責任なのである。
参考文献:Moral Man and Immoral Society (1932) – Reinhold Niebuhr December 12, 2025
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