プレミアリーグ スポーツ
0post
2025.12.19 16:00
:0% :0% ( 30代 / 男性 )
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
これは英国政府の荒技だ。凄い決断だ↓
英政府、ロシアの富豪アブラモビッチ氏のプレミアリーグの強豪チェルシー売却の5200億円を没収し、ウクライナ支援に回すという。
アブラモビッチはロシアのウクライナ侵略のため、制裁対象になっていた。
https://t.co/8zj0J0Fvr9 December 12, 2025
10RP
U-18の“倭国一”を決める
2大ファイナルをABEMAで無料生中継📺
/
高円宮杯大会公式アンバサダー・板倉滉選手の
サイン入りアベマくんを1名様に🎁
\
応募条件
❶
@ABEMA
@ABEMA_soccer
をフォロー
❷この投稿をリポスト
〆12/20 23:59
高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2025 ファイナル
🗓️12/21(日)13:15~
ABEMAで無料生中継📺
▶️https://t.co/m9tDL3S2lI December 12, 2025
7RP
【本日発売】『ブラックアーセナル』翻訳後記にかえて②: アーセナルがイギリスで最も多様性があり、黒人サッカーファンがホームと感じられるような居場所を築き、反人種差別の先陣を切るクラブになった過程の中で、大きな役割を果たし、訳していて特に印象に残った5人を紹介できればと思います。
①イアン・ライト
もちろんライトがアーセナル初の黒人選手だったというわけではないのですが、ちょうどプレミアリーグが創立され、商業化の波がイングランドサッカー界に押し寄せたというタイミングもあり、黒人のサッカー選手として、イングランドで初めて広く国民的な人気を獲得した存在の一人といっても良いのがイアン・ライトでした。
ピッチ上で得点を量産しただけでなく、現在も解説者としても垣間見せるその天性の陽気なキャラクターを持ち、かつその飾らない等身大の姿勢が多くの人を惹きつけました。当時当たり前のように黒人選手に対して行われていた差別に公然と対抗し、またオレはオレらしくあるだけだ、と当時はスーツ着用が当たり前だった入団会見にもベースボールキャップとレザージャケット、という服装で臨んだりと、自分を貫く姿勢が愛され、多くの人を勇気づけました。
②ジョージ・グレアム
グレアムがライトのような確固たる信念を持っていたかは定かではありませんが、監督として他の何よりも規律を重視し、低迷したアーセナルを変えるため、高給を得ていたベテラン選手でも自身のやり方に適応できない選手は放出し、代わりに若手を積極的に起用しました。
その過程でトップチームに台頭したのがポール・デイヴィス、マイケル・トーマス、デイヴィッド・ローカッスルの3人で、時期によっては彼ら黒人選手3人を同時に中盤の中心として起用し、ビッグゲームなどにもその布陣で送り出したことは、当時としては異例中の異例とも言って良いことでした。
また、恐らくイングランドサッカー界にとって衝撃的だったであろう点は、このグレアムが堅固な守備を武器に非常に強力なチームをくみ上げたことでしょう。今も「1-0 to the Arsenal」というチャントが歌われますが、これはこの頃のアーセナルの代名詞で、この頃からイングランドサッカー界に存在していた、黒人選手はアタッカーとしては悪くないかもしれないが、気まぐれで頼りにならない、のような固定観念が揺らぎ始めたようです。
③パット・ライス
アーセン・ベンゲルと並んで座るパット・ライスの姿を覚えているファンの方も多いかもしれませんが、基本的にパット・ライスは96-97シーズンに一瞬だけ暫定監督を務めたのを除けば、アーセナルではユース監督やアシスタントコーチと、どちらかというと現役引退後は裏方に徹していました。
ただ、『ブラックアーセナル』内に寄稿する元ユース選手は「アーセナルのユースアカデミーにパット・ライスが居たことは本当に幸運だった」と話しています。ライスの口癖は「アーセナルのバッジを背負うにはそれにふさわしい実力を持たなくてはならない」で、常にアーセナルを代表するのにふさわしいかを選手たちに問うていた一方で、逆に重要なのはその一点のみで、その選手が白人か黒人かなどはまったく気にしていなかったそうです。
④アーセン・ベンゲル
様々な分野での科学的なアプローチの導入やスカウティングなど、非常に多くの革新をイングランドにもたらした伝説的な監督のベンゲルですが、外国人選手や黒人選手の起用を通してもイングランドサッカー界を一変させました。
「私が見ているのはプレイの質と姿勢だけだ、パスポートなんて見ていないよ」と語ったこともあるベンゲルですが、まさにその言葉通り、最も強く最も美しいチームを作るのに必要か、以外のことを全く気にかけなかった彼は、ソル・キャンベルのようなイングランドの黒人選手、アンリやヴィエラといった黒人の欧州の選手、ローレンやコロ・トゥーレといったアフリカ出身の選手をチームに織り込み、11人全員が外国籍の選手で構成された先発メンバーを送り出し、多くの黒人選手を含む先発メンバーを送り出したりと、イングランドに激震を走らせました。
後者の2002年のリーズ戦が、黒人のサッカーファンにとって、またイングランドサッカー界にとっていかに衝撃的な出来事だったかについても、『ブラックアーセナル』内では語られています。
また、これはグレアム・アーセナルにも同じことが言えますが、特筆すべきは、このベンゲルのチームが他に並ぶものが居ないほど強く、素晴らしいサッカーを展開していたことでしょう。人種差別的な固定観念が誤りであることを、ベンゲルのチームはピッチ上で繰り返し証明し続けました。
⑤ティエリ・アンリ
等身大のヒーローとしてファンを勇気づけたのがイアン・ライトだったとすれば、むしろ全く異次元の存在として君臨したのがティエリ・アンリでした。
アンリはその圧倒的なプレイと類稀なるカリスマ性で、名実ともにプレミアリーグの顔であり、アーセナルのアイコンとなりました。ブラジル人選手を除いても、欧州で黒人選手としてスターとなった選手はアンリが初めてだったわけではありませんが、どちらかというとジョージ・ウェアやフリットが例外的な扱いを受けた一方で、アンリは「黒人選手として史上初」のような枕詞をつけるまでもなく、シンプルにプレミアリーグ史上最高の選手の一人でした。
その唯一無二性を象徴しているのが、2000年代前半にアンリがフランスの自動車会社ルノーのCMに出演したことです。このように、黒人サッカー選手が、人種や競技性を強調されることなく、欧州ブランドの広告塔として起用されるのは、当時としては極めて画期的なことでした。このCMでアンリはただリビングで寛ぎ、ルノー・クリオを運転しただけでした。ルノーを引き付けたのは、アンリの洗練されたスタイリッシュさと近代的なイメージでした。
また、現代も続く、特にアメリカのセレブリティの間で「アーセナルを応援するのはファッショナブルである」という風潮やトレンドを、アンリの存在が決定的に加速させました。 December 12, 2025
チェルシーvsアーセナル!!難しい試合なるなぁ!?②#shorts#サッカー#プレミアリーグ#arsenal#アーセナル#チェルシー
https://t.co/CxaThjBBnH
#ChunichiDragons #マルク野球 #中日ドラゴンズ https://t.co/dJB8lV9yN6 December 12, 2025
その一瞬の隙間で何か生み出せるチーム相手には危険なんだよな
外切り、中嵌めが減って来てるのもこれ、多少マークに付かれていても処理出来る選手が多い。特にプレミアリーグ December 12, 2025
🚢卒団文集 #トモニ歩んだ航跡記 vol.3🚢
⚽️#林楓介 ( #伊丹池尻キッカーズFC→神戸U-15)
「ヴィッセル神戸で過ごした7年間」
小学6年生のときにスーパークラスへ入ったことが、自分が初めてヴィッセル神戸と関わるきっかけでした。
そのままヴィッセル神戸U-15に入団しました。
中学3年間で一番の思い出は、やっぱり冬の全国優勝です。自分はケガで一試合も出られず、決勝の日、試合に立てない悔しさが込み上げて試合前に涙がこぼれました。でも、優勝した瞬間、今度は嬉しさから涙が止まりませんでした。後輩が自分に優勝メダルをかけてくれて、みんなが自分を真ん中に呼んでトロフィーを持たせてくれたあの時間は、一生忘れません。自分には「最高の仲間と指導者」がいるんだと、心の底から思いました。
高校での3年間は、中学以上に挫折を味わった時間でした。初めて親元を離れ、寮生活を送る中で、楽しさや安心感を感じる一方、食事の重要さや、自分の体に対する意識、集団生活のルールやモラルなど、人として大切なことを三木谷ハウスで多く学びました。
怪我が多く、思うようにプレーできない時期もあり、2年のときには心が折れてしまい、最初は辞めるつもりでスタッフに話しました。 それでも「いつでも帰ってこられるようにしておくから、一回休んでおいで」 と優しく言葉をかけてもらい、一度休部しました。初めてサッカーから離れて生活してみて、やっぱりみんなとサッカーがしたい、あの寮に戻りたいと強く感じ、復帰を決めました。戻った日、スタッフや選手のみんなが何事もなかったかのように温かく迎えてくれて、自然にチームに戻れたあの優しさは、一生忘れません。
大学では、みんなとは違うステージから挑戦する道を選びました。関東に行く選択肢もあった中で、本当にこの決断で良かったのか悩んでいたとき、進学先を伝えた際にトレーナーに言われた一言を今でも覚えています。
「どっちを選んでも後悔はある。でも、選んだ道を正解にするのは自分だよ。」
この言葉のおかげで迷いが消え、一日一日を後悔なく積み重ねていこうと強く思えるようになりました。
とても優しく、熱く、常に前向きな言葉をかけ続けてくださる、まさに「漢」と呼べるコーチがいました。その方のようにポジティブな精神を持ち、この先どんな環境でも、逃げずに前を向き挑戦し続けていきたいです。
また、Aチームで練習していた週でも、週末のBチームの試合ではベンチに座ることがあり、立場が常に保証される環境ではないからこそ、一日一日の練習が勝負であり、その厳しい競争の中に身を置いて過ごせた時間は、自分にとって本当に価値のある経験だったと感じています。
そんな環境で、プロ内定の選手や世代別代表に選ばれる選手たちと共に生活し同じ時間を過ごしプレーできた経験は、自分にとって凄く貴重な経験です。 この7年間で味わった悔しさも喜びも、仲間の温かさも、すべてが自分にとってかけがえのない宝物です。
そして、ヴィッセル神戸というクラブで過ごした7年間は、誰にも負けない自分の財産です。仲間やスタッフに支えられてきた時間と経験を活かし、そして3年後、再び同じステージで試合する事が、大学での一番の目標です。
プレミアリーグWEST優勝という結果を、メンバーとして迎えることはできず悔しく思いますが、自分達の代で優勝できて嬉しく思います。ファイナルに向けてAチームのみんなと練習し、最後まで同じ時間を過ごせたことを嬉しく思います。ファイナルでは、鹿島を倒し、最高の形でシーズンを締めくくってほしいなと思います。
最後に、ここまでサッカーを続けてこられたのは、決して自分一人の力ではありません。小さい頃から支えてくれた家族、そして技術や戦術だけでなく、人として大切なことを教えてくださり、苦しいときも見捨てずに向き合ってくださったスタッフの皆さんには、感謝の気持ちしかありません。
この7年間クラブで出会えたすべての人への感謝を忘れず、これからも成長した姿を見せられるよう努力を続けていきます。 7年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
#visselkobe #ヴィッセル神戸 #ヴィッセル神戸U18 December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



