ハンガリー トレンド
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2025.11.25 19:00
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↓万博行ったときの写真📷️🌟 チェコは人形劇を観たかったのだけどこの日はやってなかった。ハンガリーはアロマの香り(鈴蘭)が漂ってて、プラネタリウムみたいな空間で民謡を聴けてとても良かった。北欧館はモニターにメッセージが映し出される展示だったのだけど、あまり印象に残らなかった。。 November 11, 2025
両替編🌸
ユーロは1万円両替(🇦🇹🇸🇰🇩🇪)
コルナは5000円両替(🇨🇿)
ハンガリーでは両替せず
現金使ったところ
・ウィーン中央駅のコインロッカー
・ブラチスラヴァのお土産屋
・トイレ
※カード使える所と現金だけのところがある
・🇭🇺🇨🇿でもユーロ使えるところが多いから、両替するならユーロだけでも良かったかも
・ユーロもコルナも余ったので両替しすぎた
・紙幣よりコイン(小銭)を使う頻度が高いので、紙幣は崩しておくと便利
・チェスキークルムロフの両替所はレートが悪く5000円→3450円になったからおすすめしない
持っておくと安心やけど、ほぼカードで済むから両替するならユーロを少額がおすすめです🙆♀️ November 11, 2025
@sakurasolotra 2枚目写真「👉️フランクフルター」ヴルストが多分、Sakuraさんがおっしゃってるウィンナーだと思いますが、私は逆にウィーン(王宮中庭のインビス)でハンガリー風ソーセージ「デブレツィーナー」を食べました。こちらもスパイシーで美味しかったですよ😋
ハンガリーにもたぶん、両方あるのでは??? https://t.co/R7s8Jz9nWe November 11, 2025
ユベントス行きの噂が出てるハンガリーのAlex Tothを「試合観てみたいな」と思った方に届けたいんだけど、なんとこの時代にハンガリー1部リーグは公式に、無料かつ登録不要でフルマッチの見逃し配信見れます🫶
ありがたすぎないか
ちなみに同じチームのLWG、Zsombor Gruberも良さげ。 https://t.co/KW3MET0MG0 November 11, 2025
【太平洋戦争と銀行】身柄拘束、船は沈没…ニューヨークやロンドンで銀行員に起きたこと
なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか?
未曾有の戦争の「舞台裏」には、銀行員たちの奮闘があった。注目の新刊『太平洋戦争と銀行( https://t.co/Sz3aOLsx19 )』では、植民地経営から戦費調達、戦争の後始末まで、お金から「戦争のからくり」を解き明かす。
(本投稿は、小野圭司『太平洋戦争と銀行――なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか( https://t.co/Sz3aOLsx19 )』の一部を抜粋・編集しています)
■資産凍結から引き揚げへ:ニューヨーク・ロンドン
昭和16年12月7日(現地時間)に倭国が米英蘭に宣戦を布告すると、米国でも日系銀行は接収され営業許可は取り消しとなり、行員たちは連邦捜査局(FBI)に検束された。住友銀行ニューヨーク支店は、閉鎖の準備中に接収となった。もちろん香港やマニラのように、倭国軍が占領して彼らが「解放」されることはない。
ニューヨークで検束された銀行員のほとんどは、自由の女神像に近いエリス島の宿舎をあてがわれた。翌年2月には、彼らはエリス島の東100キロのところにあるキャンプ・アプトンに移された。米陸軍の徴募兵入隊センターとして使われていた場所で、倭国人のほかに拘束されたドイツ人、イタリア人もいた。ここには真珠湾攻撃に特殊潜航艇乗組員として参加して米軍に捕らえられ、太平洋戦争で初めて捕虜となった酒巻和男少尉も、他の倭国人収容者とは隔離して収容されていた。
米国らしいというか、収容所では新聞を読めた。その頃は倭国軍が優勢で、紙面には倭国の勝利や連合国敗戦の記事も掲載されたが、読むのを制限されることはなかった。
昭和17年3月にドイツ人、イタリア人と共に首都ワシントンに近いキャンプ・ミードに移送される。
彼らは昭和17年6月(第1次)と翌年9月(第2次)の交換船で帰国した。交換船は2回ともニューヨーク港発だが、ハワイや西海岸の支店・現地法人に勤務していて抑留された銀行員たちも、これで帰国している。
帰国に際して米国は、収容者による自炊・収容所の清掃は「労役」であるとして、「俘虜の待遇に関する条約」(1929年)に基づいた賃金を収容者たちに支払った。「敵国に労務を提供したのではない」と反発する熱血漢もいたが、ほぼ全員が「賃金」を受け取り、それを残留する倭国人に寄付した。なお倭国は本条約を批准していない。
第1次日米交換船の帰国者たちはニューヨークを出港すると、リオデジャネイロで南米各地からの帰国者と合流する。その後アフリカ南東部のモザンビークに向かい、そこで倭国郵船の交換船「浅間丸」に乗り換えた。昭南(シンガポール)経由で横浜に帰ったのが昭和17年8月だ。第2次交換船はリオデジャネイロや南アフリカを経由後、インドのゴアで倭国郵船の「帝亜丸」に乗船して昭和18年11月に横浜に入港した。
交換船は交戦国間の協定で安全航行が保障されているが、交換船の任務が終了すると攻撃対象となる。「帝亜丸」は昭和19年8月にルソン島北西沖で、「浅間丸」は同年11月にバシー海峡で、それぞれ米潜水艦により撃沈された。
倭国は英国にも宣戦布告をした。加納久朗ら正金銀行ロンドン支店の行員は、日英間で戦争が始まって3ヵ月ほど経った昭和17年3月に身柄を拘束される。彼らは他の在英倭国人たちと共に、大ブリテン島とアイルランドの間にあるマン島に収容された。ここは第1次大戦でも敵性外国人の収容地として使われ、第2次大戦では倭国人のほかにドイツ人、イタリア人、オーストリア人、ハンガリー人、フィンランド人らが収容された。
正金銀行の行員は昭和17年7月の日英交換船・第一系統でリバプールを出港、モザンビークからは交換船「龍田丸」に乗って横浜に帰った。
「浅間丸」と「龍田丸」は、昭和4~5年より太平洋航路に投入された豪華客船だ。船内には住友銀行横浜支店の出張所があり、外貨両替、旅行者小切手(トラベラーズ・チェック)売買、預金の受け入れ・払い出し、外国送金などを扱った。大西洋航路では米英などの銀行が船内店舗を開設している例はあったが、太平洋航路では「浅間丸」「龍田丸」(それと「秩父丸」)の住友銀行が初めてだった。この船内出張所は、太平洋戦争勃発前の昭和16年8月に閉鎖となっている。
「龍田丸」は昭和18年2月に伊豆諸島の御蔵島東方沖で、米潜水艦により撃沈された。また交換船ではないが、日欧間最終定期便に運航された「伏見丸」も、昭和18年2月に御前崎沖で米潜水艦の攻撃により沈没した。
引用元『太平洋戦争と銀行――なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか』では、どのように「国力の水増し」を行ったのか、植民地経営から戦費調達、敗戦後の「清算」まで担っていた銀行員(バンカー)たちの「知られざる血と汗と涙の奮闘記」を描いている。
https://t.co/Sz3aOLsx19 November 11, 2025
地上波で放送してほしい番組!!
エレベーターが足りないっていう話題は地方では感じないけど、家族で万博に言ったときは待ち時間長いし・ホームから遠いしで動画の内容に共感。
特に「ハンガリーの“4人産めば所得税免除”施策」といったインセンティブ型政策うらやましい…。
@CBTS_noguchi https://t.co/vt2hbELzGZ November 11, 2025
#メーサーロシュ・マールタ特集 日記 3部作
『子供たちへ』
『愛する人たちへ』
『父と母へ』
此れは一気に見た方が良い6時間。
映画作家を目指すユリを主軸に物語は展開し、ソ連とハンガリーの歴史の趨勢を描いた力作‼️マールタはこれで二作目ですが女性監督とは思えない力強い展開‼️
観終わって充足感と絶望感が半端なく襲ってくる映画体験。マールタの分身の様なユリの物語というか彼女の視線で片恋相手のヤーノシュの物語であった結末が圧巻‼️アート映画に寄らず当時の画像と追撮のモノクロ画面がインサートされ、圧倒的迫力で観る者を掴んで離さない。6時間と言うとベルトルッチの”1900年”の鑑賞後感に似た感覚を覚えた。
東映さんこの素晴らしい傑作が3連休でガラガラというのは勿体無い。もう少し力を入れて欲しいところです。大傑作‼️ November 11, 2025
そして逆にウィーン版にはない大好きポイントにエルマーが革命に失敗して囚えられるシーンで「エルマー・バチャーニー」と名乗るシーンがあります。ハンガリーでは倭国と同じく姓名の順なんですよね。ここではオーストリア風に名乗らねばならない屈辱をも表しているわけです。 https://t.co/XUVUeyI8P8 November 11, 2025
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