ネットリンチ トレンド
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2025.11.28 12:00
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No bodyさんの感想はもっともだと思う。
藤木による”見知らぬ友”へのネットリンチ・個人情報晒しを、
”離間工作”とか”場外乱闘”とか訳わからぬ詭弁を弄し、
見て見ぬ振りをしたことが、
私が飯山氏に大きな疑いを持ち始めたキッカケ。
その後に「守る会」の寄付金集めを調べ、
飯山氏自身が、
規約を隠し、
規約施行日前であることも隠した、
悪質な寄付金集めを呼びかけていたことが分かり、
私の飯山氏へ疑いはカクシンへと変わった。 November 11, 2025
【解説】「悪いことをやめさせるための批判」はなぜ“正当な是正手続”になり得ないのか
SNSではしばしば、
「悪いことをやめさせたいから批判しているだけ」
という主張が繰り返されます。
しかしこの発想は、
制度的にも構造的にも、そして歴史的にも“正当な是正手続”とはまったく別物です。
以下、その理由を網羅的に示します。
1.批判には“権限”が存在しない
人の行為を是正したり社会的制裁を加える権限があるのは、
・法律
・裁判所
・行政
・組織の懲戒機関
・公的な倫理委員会
こうした“公的に権限を付与された主体”だけです。
私人が他人に圧力を加えたり、行為を強制的に止めさせようとする行為は、
制度上は私的制裁(私刑・リンチ)に分類されます。
どれほど“正義のつもり”であっても、
その行為に正当性は付与されません。
2.批判は“適正手続”を満たしていない
正当な制裁手続には最低限以下が必要です。
・事実調査
・証拠の評価
・反論機会
・公正中立な審査
・透明性
・行為と制裁の均衡
しかしSNSの批判には、この全てが欠けています。
つまりSNSの批判は、
制度的には「裁判なしの有罪」を下しているのと同じ構造です。
これが、ネットリンチが近代法から最も遠い行為とされる理由です。
3.SNS環境そのものが「誤情報の温床」
SNSの言説は必然的に、
・誤読
・切り取り
・推測
・デマ
・群衆心理による過剰反応
が混入します。
この構造的欠陥がある限り、
私人による“是正のつもり”の批判は制度的には暴走以外の何物でもない。
本来、誤情報や推測ベースの批判は、制度的な是正どころか危険な不当介入です。
4.批判は“感情”で動く
制度による制裁は「事実」と「規範」を基準とします。
しかしSNSでの批判は、実際には
・怒り
・嫌悪
・反感
・印象
・好き嫌い
・ノリ・空気
こうした個人の情動を動力にしています。
その行為が制度的な是正手続ではないことは、性質の違いから明白です。
5.「悪いこと」の定義は私人の主観でしかない
ここが最重要ポイントのひとつ。
法律やルールは
合意と基準によって「悪」を定義します。
しかしSNSで語られる「悪いこと」は、
・個人の価値観
・その場の空気
・感情
・好き嫌い
・思い込み
に左右される“主観の産物”です。
主観で他者を裁き、制裁を加えようとする行為は、
制度上恣意的な私刑(リンチ)に他なりません。
6.批判は“私人の表現”であって“制裁”ではない
批判はあくまで、
個人の意見表明の一形態
でしかありません。
そこに制度的な強制力や正当性は存在しません。
にも関わらず、「悪いことをやめさせるため」という目的を掲げて
批判を“制裁の代役”にしようとする人がいます。
しかし、制度的には完全に無効な行為です。
7.SNSでは“量が暴力”になる
ここが社会心理学的に極めて重要な点です。
・批判が集まる
・同時多発化する
・匿名化により責任分散が起きる
・集団心理で攻撃性が増幅する
この構造により、批判は意図に関係なく攻撃として作用します。
つまり、
「悪いことをやめさせるため」という動機がどれだけ高潔でも、
結果は“攻撃”になる。
これは避けようのない構造上の性質です。
8.“法が動かない領域は私人が裁いてよい”という発想が最も危険
よくある反論に、
「法律が裁けないグレーな悪事だから、世間の批判(社会的制裁)が必要だ」
というものがあります。
しかし近代法が「自力救済(私人による制裁)」を原則として禁止しているのは、
私人の感情や主観による裁きが、暴力の連鎖や集団的迫害へと発展しやすいことを、
歴史が繰り返し証明してきたからです。
この危険性に基づき、近代社会では
処罰や強制力の行使は、法と公的機関に限定する
という原則が確立しました。
これは“法の支配”の核心を支える要素の一つであり、
・魔女狩り
・自警団の暴走
・リンチ
・村八分
・群衆の吊し上げ
といった、私人の正義が暴徒化した歴史的惨事の教訓そのものです。
つまり、
“法が動かないから私人が制裁してよい”は、法治国家そのものを否定する論理
です。
むしろ、法が動かない領域(=価値観が揺れ動く領域)だからこそ、
私人の暴走や主観的制裁を最も慎重に戒めなければならないのです。
■まとめ
批判には
・権限がない
・手続がない
・情報精度を担保できない
・主観で動く
・制裁の正当性がない
・SNSでは攻撃作用を持つ
・歴史的にも私刑と同じロジック
という性質があります。
つまり、
「悪いことをやめさせるための批判」は、
制度的にも構造的にも歴史的にも“正当な是正手続”には絶対になり得ない。
批判は批判であり、
正当な制裁でも、正当な是正手段でもありません。
これは価値判断ではなく、
制度・歴史・社会構造から導かれる厳然たる事実です。 November 11, 2025
まぁ堺市がそういう対応取るなら別にいいよ
加害者の情報がネット上に流れて多くの私罪に殴られてもいいなら
そして加害者側はネットリンチした方が悪いという
そうなった場合
堺市はのせいだよ情報が流れたのは
市が認めれば現段階で納められるのにバカだねぇ https://t.co/6TmuuzzOOS November 11, 2025
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