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ニューヨーク
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2025.12.06 14:00
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ニューヨークタイムスに掲載されたコラムの翻訳。読まれてほしい。「高市氏がこの状況を作り出したわけではない。長年にわたる中国の容赦ない圧力が作り出したのだ」「倭国は毅然とした態度を貫き、米国もそれに協力すべきだ」 https://t.co/oaxtFOf155 December 12, 2025
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年末、NHKBS「世界ふれあい街歩き」のスペシャルで香港も特集されるみたい🇭🇰
観なくては…!
世界ふれあい街歩き
ニューヨーク×香港×ベルリン
時を越える旅スペシャル
BSP4K :2025年12月28日
18:00-19:29
BS :2025年12月30日
19:30-20:59
https://t.co/G9wyBIcpW8 https://t.co/MHhMoQbOPK December 12, 2025
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本日の記事
스포츠동아
ニューヨークのセントラルパークに「BTSV専用ベンチが登場
ニューヨークのセントラルパークの真ん中に、"BTSV"の名前を刻んだベンチが静かに居着いた。
Vの米国ファンが12月30日、Vの誕生日を記念してセントラルパークにベンチを寄付したと明らかにした。 軍服務後初めて迎える誕生日をグローバルファンと一緒に祝うためのプロジェクトだった。 今回の寄付は米国ファンが運営する慈善団体「TAEHYUNG TUESDAY」が主導した。
この団体は「テヒョンのコーナー」という名前で年中多様な寄付活動を持続しファンダムの影響力を社会的実践に連結している。
セントラルパークの寄付ベンチプログラム"Adopt-A-Bench"は1986年から運営されてきた制度で、公園内ベンチの新設と補修に必要な財源を用意するために始まった。 個人や団体が2万ドルの税金控除寄付金を出せば、公園内の空いているベンチに銘板を設置することができ、設置されたベンチは永久的に保存される。 このプログラムは非営利団体であるセントラルパーク保存協会(Central Park Conservancy)が管理する。Vのファンたちは「ニューヨーク中心部にキム·テヒョンのためのベンチが用意された」として「ファンと訪問客がVの存在感を思い出し交感できる空間になることを願う」と伝えた。 続いて、ベンチがVの芸術性と暖かさ、そして彼が作ってきた影響力を記念する意味のある象徴だと説明した。
ファンの祝賀はニューヨークだけではない。 ハワイのファンベース「THV Hawaii」はオハウ地域にVとBTSメンバー7人の名前で木7本を植える活動を行った。 ファンダムの誕生日祝いが地域社会に肯定的な変化を作る実践につながっていることを示す部分だ。
記事にイイネを。
🔗https://t.co/R3W5S7it94 December 12, 2025
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12月5日夕刻、東の空に昇ったコールドムーンの前を横切ったのは、羽田発ニューヨーク行き、倭国航空6便、エアバスA350−1041[JA07WJ]だった。ニューヨークまでの長旅、お気をつけて…。
#MOONAGE #Coldmoon https://t.co/osegKtcpIa December 12, 2025
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@DCT_MASATO まささんの再フォロー嬉しいです🫶☺️
優しい心違いにますますマサマニアが増えちゃうですね💓
ニューヨークの夜景と満月🌕️ステキです✨
こちらでも昨日の満月の空を見上げていました😉 December 12, 2025
@U_fort 映画『センチネル』で、地獄から現世への地獄の門がニューヨークにあり、はるか古代からカトリック教会が、自殺未遂するなどのスポイルされた人間をマークしていて、地獄の門の監視人・センチネルという世捨て人にし続けていたという話がありましたねえ(´ω`) December 12, 2025
これ見た瞬間声出たわ…カーハートのダブルニー加工しすぎてヤバい!欲しいけど金欠で泣ける😂
innocence ny イノセンスニューヨーク再構築カーハートダブルニーデニム
https://t.co/DADHodgzPK December 12, 2025
歳の瀬のニューヨーク🗽
多感な頃に読んだオー・ヘンリーの短編を思い出させる、ビターエンドな物語でした!
#僕たちはどうでもいいこと話したい https://t.co/Bm86tmSVWJ December 12, 2025
#ジャグラー 観た。半世紀も前の作品ながら普遍的な面白さでいっぱいだった。目玉焼きアート、手提げラジカセで音楽を聞く男、暴走刑事、サウスブロンクスの荒廃感、ニューヨークの猥雑感、犬、警部が意外と真面目とかいろいろ印象的だった。
https://t.co/n5BuhDx2xE December 12, 2025
@DCT_MASATO 大好きなマサさんと繋がれて、すごい時代だなと改めて感謝しています😊
ニューヨークも月がきれいですね。今夜の東京も楽しみです。
あたたかくしておやすみください⭐️ December 12, 2025
ジャグラー/ニューヨーク25時
副題の25時の意味がちょっと分かんないけど、勘違いから誘拐された娘を追う父の街を巻き込んだ大騒ぎ追跡劇は面白かった。
そしてスクリーンに映る雑多なニューヨークシティとそこに生きる人々は「人種のサラダボウル」と呼ばれ、かつて僕が憧れたアメリカでした。 https://t.co/ZuDlSNOtBn December 12, 2025
メッツのナイキパーカー青くてかわいすぎて本気で欲しい…誰か私に買って〜!笑
Nike MLB ニューヨークメッツ drifit パーカー M
https://t.co/jC6jHfypt1 December 12, 2025
#THEMANZAI2025
#フレマスターズ
CM詰め込み過ぎ
CXにはACが合う😆冗談
・ニューヨークの事故物件
センチネル
・ぼったくりバー
ヘンダーソン
普通に好き、期待大
・キャバ嬢
スタミナパン
名作 オムロンの血圧計😆
・写真集
リニア
ヤル気マンマン🤭
・井戸端会議
おおぞらモード
いい漫才 December 12, 2025
@zakomarokun 私も兼業なのですごく気持ち分かります!今月はいい時と悪い時があり収支が上下してます😅結局+1万と微益 ニューヨークがいい時もあるのでそこで勝負しようと思ってます! December 12, 2025
ニューヨークコンジミントレカ出てる~!あの日のジミニー天使すぎて今見ても悶絶する🐹💜
BTS JIMIN トレカ NEW YORK ニューヨーク
https://t.co/17Kg8GuFoi December 12, 2025
ジャグラーニューヨーク25時。
二時間以内で無駄なく結末まで行くのがすごい。あと、新幹線大爆破(s50)に通ずるものもあった。
あと元々はアメリカはコロンビア配給で倭国は東和配給となっていたのも幻の作品になった一因か December 12, 2025
【泉薬湯温泉津温泉元湯 歴史館】
~18代伊藤恕介の社会事業活動~
①国際社会事業大会と欧米視察(昭和11年・ロンドン)…その2
●171日間の視察旅路
・昭和11年5月14日 ~7月25日
横浜港-太平洋-桑港(サンフランシスコ)
紐育(ニューヨーク)-大西洋-倫敦(ロンドン)
・7月26日~9月11日
倫敦-北海-伯林(ベルリン)
・9月12日~22
日伯林-羅馬(ローマ)-巴里(パリ)
・9月23日~10月31日
巴里-印度洋-神戸港
恕介の記録は大学ノートに綴られ、『渡米船中の感』から始まり、次に『各国の社会事業家と語る』『神仏と歩む感激の旅』と題し、『Honolulu Hawaii 5月21日寄港 港につけば盛んな楽隊にておばあさんがウエルカムをなし 実に壮快…』と続きます。
以降、船内や寄港地での出来事や体験を通じて感じる思い、今後の展望などその時々の自分の気持ちが思うままに書いてあります。もう一冊のサインブックには当時の船内で知り合った外国人、現地の方、視察先の関係者のサインや名刺が挟んであります。約半年間の出来事・思いがつまったノートとサインブックに書かれている関係者とを突合させることで見えてくることもあると思いますが、情報量が多いこと、あまりにも恕介の文字が達筆すぎる?こと、筆跡が薄くなっていること、また私が当時の国々の時代背景に関する専門知識が浅いこともあり残念ながら恕介の思いを汲みとりながら解読することができていない部分が多くあります。じっくりと解読するにはまだ時間がかかりそうですが、そんな中、今回ふと目に留まったのが『ヒトラーと面会』『31日アルブレヒトノ事務所ヒトラーの家ニ行く』『9月1日ヂーメンスノ幼稚園Boser女史保母』…「ヒトラー?あのアドルフ・ヒトラーと面会していたのか。どんな会話を交わしたのだろうか?」興味のあるところです。同ページに「フリードリヒスハインの幼稚園、アム・グイア通り16-23 二階に乳児寝室…5才・6才40人、先生5人…」と視察内容が書かれています。
【ドイツ冬季救済事業とナチス】
恕介はロンドンでの国際会議に出席後、ドイツに渡り「冬季救済事業」の視察を行っています。当時ドイツはベルリン五輪が開催され、失業対策が進み、福祉国家的政策が進んでいると国際的に評価されていた時期です。ナチス政権下で冬季救済事業は「国家的隣保活動」として、「冬季失業者・貧困層支援」「国民統合の手段としての福祉活動」が大規模に展開されていました。ただ、現代だからこそわかる当時のドイツの表向き政策と内実があります。当時のヒトラー政権の幼児教育政策は表向き「健康・規律・勤労精神の育成」とされていましたが、実質は「国家社会主義イデオロギーを子供の段階から浸透させること」「健康なアーリア人の育成」でした。恕介達が視察した『ドイツ冬季救済事業』は「福祉国家ドイツ」の象徴のようにみられていましたが実質は「巨大な連帯儀式」「政治体制への忠誠心を可視化するためのツール」「対象者は政治的に好ましい階層(アーリア)中心」というイデオロギー的統制・優生政策・差別が基盤にありました。ナチスはキリスト教を利用しつつ、最終的には国家教義を優先します。一方、恕介の思いは弱者救済・地域信仰・共同体倫理を基盤に生活改善を志向することなのでナチスとは宗教倫理観も異なっていました。また実践の方向性においても上意下達の巨大組織であるナチスに対し、恕介の目指す現場主義かつ小規模で実効性のある社会事業とは考えがかけ離れていました。
とは言え、1936年前後の倭国では、ドイツの社会福祉は「世界最先端の理想モデル」とされ、多くの社会事業家が肯定的に評価していました。ただ少数の専門家は優生政策や国家統制の強さに違和感を示しており、恕介の渡航後の活動を見ているとドイツ視察前と後では視察時にドイツの社会政策に対する表向きの考えを評価しつつも本質的な違和感を持っていたと推察されますが本音の部分はわかりません。
また、恕介のノートに「ヒトラー」の文字は何度か出てきますが、オリンピック、ヒトラーユーゲントなど単語は読めますが内容把握はできていません。
●写真は恕介が記録した大学ノート
左上:『各国の社会事業家と語る』『神仏と歩む感激の旅』と題し、『Honolulu Hawaii 5月21日寄港 港につけば盛んな楽隊にておばあさんがウエルカムをなし実に壮快…』
右上:上の紙縒りの下方に『ヒトラーと面会』の文字
左下:中央付近に『8月30日飛行機ノル』『31日アルブレヒトノ事務所ヒトラーの家ニ行く』『9月1日ヂーメンスノ幼稚園Bore女史保母』の文字
右下:「1936年9月1日 シーメンス児童ホームガイドツアー ヨッテ・ボーレ」とドイツ語で書かれたもの(恕介のサインブックより)
#泉薬湯 #温泉津温泉 #元湯 #温泉津 #伊藤恕介 #ドイツ冬季救済事業 #ヒトラー #ナチス December 12, 2025
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