ドイツ人 トレンド
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2025.11.28 20:00
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私は銀行の信用創造について説明しました。
まず最初に必要なのは、実体経済のための銀行信用創造を拡大することです。その方法として、政府には基本的に三つの手段があり、分かりやすく言えば第一の方法を
QE1、第二をQE2、そして第三の措置と呼ぶことにしましょう。
QE1とは、銀行システムが不良債権まみれで機能不全に陥っている時
中央銀行がそれらを額面どおり、つまり100として
買い取ることです。
当然、銀行は大喜びします。
彼らのバランスシートは極めて強固になり、史上例の
ないほど流動性が高くなります。
これで銀行危機は解決します。危機は消滅します。
すると、「問題を中央銀行に移しただけではないのか?」と疑問を呈する人が出てきます。しかし違います。中央銀行は時価評価(mark-to-market)をする必要がなく、これらの保有資産については「忘れてしまってよい」のです。
では、「中央銀行が貨幣を生み出したのでは?
その結果、インフレや通貨安という形で私達が負担しているのでは?」という疑問も出ます。
しかし、いいえ、それは貨幣創造ではありません。
貨幣創造とは、銀行システムが新しい信用を生み
それを非銀行部門に注入したときに起こるものだからです。
ここで起きているのは、銀行と中央銀行という銀行システム内部の取引であり、中央銀行が銀行から不良資産を買い取っても貨幣創造にはなりません。これは単に銀行のバランスシートを社会的コストゼロで浄化しているだけであり、税金を使う必要もありません。
そして、なぜこれをやらないのか?
まさにそこが重要です。中央銀行が銀行危機を深刻な
事態や不況に発展させたくない時には、いつもこれを行うのです。
その例を二つ挙げましょう。
1914年8月、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国は
ドイツとその同盟国(オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国)に宣戦布告しました。
これが第一次世界大戦の始まりです。
しかし問題はその翌日に起きました。
財務省、イングランド銀行、政府のもとに英国の銀行家たちが駆け込み、帳簿や書類を手にこう言ったのです。
「申し訳ないが、あなたが戦争を宣言したせいで、私達は破綻状態です」
なぜそうなったのか?
当時ロンドンは文字通り世界の金融センターであり、
オスマン帝国とハンガリーの間の手形決済でさえロンドンを経由していました。また、それらの取引の多くはポンド建てで、ポンドは最も流動性の高い国際通貨でした。
ところが、これらの主要国(ドイツ、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国)が一夜にして敵国となったため、英国の銀行が保有していた敵国関連の全ての手形は回収不能、不良資産と見なされました。
銀行の自己資本比率は10%以下であるため
一定割合の資産が毀損すればすぐに債務超過に陥ります。
英国は戦争を宣言したばかりで、銀行危機や不況
経済恐慌を抱える余裕はありません。
このため中央銀行は、この問題が重大危機へ発展することを望まず、QE1、つまりイングランド銀行がそれらの資産を額面で買い取る対応をとりました。さらに、財務省は信認維持のために紙幣を発行する措置もとりました。
しかし実際の核心は、イングランド銀行がこれらの資産を額面で買い取ったことにあります。これによって問題は消え、銀行危機は起きませんでした。
ここで質問が
「第一次世界大戦の話が出たので、今まさに大規模戦争の瀬戸際にあるこの状況で、銀行は戦争をどのように見ているのか?」
あなたは銀行を「社会における人間行動を最も強力に支配するメカニズム」と表現しました。私も、とくに中央銀行はその中でも特に強大な力を持っていると考えています。
銀行が巨大であればあるほど力は大きく、その力は他の銀行との関係をはるかに超えて、国家の内部で起こる多くの出来事を左右します。しかも中央銀行は有権者の統制を受けません。
つまり、最も強力でありながら、完全に民主主義の
外側に存在する機関なのです。これは異常です。
私も、その経緯を知りたいと思っています。
では、彼らは戦争についてどう感じているのか?
中央銀行と戦争は極めて密接に結びついています。
先ほど話したように、近代的な大銀行、つまり最初の
近代的中央銀行はイングランド銀行ですが、
その設立を定めた議会法には、抵抗を避けるために
イングランド銀行という名前は明記されていないものの、
政府に多額の資金を貸し付けるためのメカニズムを
創設するという形で書かれています。
実際には、投資家が政府に貸し付けるための会社
つまりイングランド銀行を設立することを認める法でした。
そしてその目的は何か?
戦争遂行のためです。
イングランド銀行の設立文書には、まさにその点が
書かれているのです。
では、なぜアメリカの連邦準備制度(FRB)が設立されたのか?
なぜ1914年、第一次世界大戦が始まった年を目前に、急いで設立されたのか?
これも同じ構造です。
FRBは1913年12月23日
議会がほとんど休会状態の時に成立しました。
同時に連邦所得税も導入されました。
これらは同じ法律の中で導入されたもので
中央銀行が設立されるときには、いつも税制が
変更され、新しい税が課されるのです。
理由は簡単で、政府が借金を返済するために
確実な税収が必要になるからです。
民間が所有する中央銀行を設立する時に使われる
常套手段は「政府が自ら通貨を発行したくないなら、
我々があなたに代わって通貨を発行します。その代わり、政府は我々から借りればよい」というものです。
そして政府は借金をする側になる。
では彼らはどうやってそのお金を回収するのか?
政府が税を課すからです。
FRB創設以前、連邦所得税は存在しませんでした。
両者は切り離せない関係です。中央銀行が設立される時には、何らかの新税が導入されるのが常です。
そしてアメリカの中央銀行であるFRBは、第一次世界大戦の直前、まさに数か月前に創設されました。
では、その戦争、過去千年で最も重要だったとも言われる戦争の中で中央銀行はどのような役割を果たしたのか?
それは戦争経済の頂点に立つ存在でした。
これは疑いようのない事実であり
ドイツ側でも事情は同じでした。
1917年、アメリカとドイツは正式に交戦状態になり、多くのドイツ系アメリカ人やドイツ人が戦争を望んでいなかったにもかかわらず、兵士たちは塹壕で戦い、両国経済は完全な戦時体制へ移行しました。
その頂点に位置していたのが中央銀行でした。
ここで重要なのは、ドイツ帝国の中央銀行である
ライヒスバンク(Reichsbank)の中心人物が
Max Warburg(マックス・ヴァールブルク)であり
アメリカ側のFRBの創設者であり主要人物が
Paul Warburg(ポール・ヴァールブルク)であったことです。
この二人は実の兄弟です。
形式上の総裁ではありませんでしたが
政策決定において極めて重要な地位にいました。
Paul Warburgは1911年までドイツ国籍で、
FRBを整備するためにアメリカへ渡ってきた人物でした。
彼は英語を話すときも半分ドイツ語混じりで
少し調べればすぐわかる事実です。
では戦争中、彼ら兄弟の地位はどうなったのか?
失われたのか?
いいえ。Max Warburgはその後もライヒスバンク
(ドイツ帝国銀行)内で力を持ち続け
1930年代にはヒトラーが提示した中央銀行総裁案に
署名する立場にもありました。
彼は依然として中枢にいました。
ただし、特定の家系だけを責める意図はありません。
JPモルガンをはじめ、多様な背景の銀行家一族が同様に
中央銀行と結びつき、国際金融ネットワークを形成しています。
ポイントは、これはインサイドゲーム(内輪のゲーム)
であるということです。
そして次の例が1945年の倭国です。
倭国の銀行は国家敗戦の時点で実質的に破綻していました。
戦時国債は敗戦でほぼ無価値となり、軍需産業向けの
強制貸付先は破綻し、満洲や台湾、朝鮮の喪失により
担保も消失しました。
大都市は焼夷弾で壊滅していました。
銀行危機や不況を抱える余裕はありません。
この時、日銀は不良資産を額面で買い取り問題を処理しました。QE1です。
私は1995年の段階で、不良債権比率は銀行資産の
約25%に達すると考えていました。
1980年代の不動産融資の増加率を見れば合理的でした。
実際その通りになりました。
たとえ日銀が額面で買い取って不良債権を一掃しても、
貸出担当者たちは経験した損失により恐怖から
貸し出しを再開しないだろうと考えていました。
救済されても、すぐに貸出を増やすわけではありません
そこで私はQE2を考えました。
QE1が銀行からの不良資産買い取りなら、QE2は
中央銀行が非銀行部門から正常資産を買い取る仕組みです。
当時私は「中央銀行は東京の不動産を買い取るべきだ」と提案しました。
将来の不良債権化を防ぎ、公園化して都市環境を
改善でき、同時に銀行に信用創造を強制できるからです。
なぜ強制できるのか?
土地所有者は中央銀行に口座を持ちません。
中央銀行が土地を買うと、代金は商業銀行の口座に振り込まれます。
中央銀行は商業銀行に支払いを指示し、商業銀行は
中央銀行から準備預金を受け取り、顧客の口座に預金を記帳します。
これが預金創造、つまり信用創造です。
これにより中央銀行は、銀行の貸出(信用)を
確実に増やすことができます
Richard Werner Exposes the Evils of the Fed & the Link Between Banking, ... https://t.co/23xCA13OVw @YouTubeより November 11, 2025
9RP
>GHQに言わせれば「12歳のガキだから」
→この「倭国人12歳説」も面白い話しがありまして、実際は、以下になります。
1951年5月3日にアメリカ上院軍事・外交合同委員会で語ったマッカーサー証言内での「倭国人12歳説」
引用『マッカーサーと倭国占領』
半藤一利
>
ロング議員 :
ドイツと倭国の違いはどうか?
マッカーサー :
科学、美術、宗教、文化などの発展の上からみて、アングロサクソンは四十五歳の壮年に達している、とすればドイツ人はそれとほぼ同年輩である。
しかし倭国人はまだ生徒の時代で、まず十二歳の少年である。ドイツ人が現代の道徳や国際道義を怠けたのは、それを意識してやったのである。国際情勢にたいする無知識ゆえの故ではない。
その失敗は、倭国人が犯した失敗とは少しくおもむきを異にする。
ドイツ人は自分がこれと信ずることに再び向かって行く。倭国人は、このドイツ人とは違う」
→この言葉を、倭国の新聞/マスメディアは、マッカーサーは、倭国人は12歳レベルの子供だ!と言った/バカにしたと報じたら、倭国のマッカーサー様熱も、冷めていったんです。
それまで、「マッカーサー記念館」や「マッカーサー元帥神社」を作ろうとしていたんですが、全部中止になったんです。この幼稚性が、
倭国人です。笑えます。面と向かって言えないのに。 November 11, 2025
5RP
移民賛成派へ。
シャリーア法(イスラム法)をどう考えているのか?
欧州では、
イスラム移民が現地の住民へ
「音楽を聴くな!シャリーア法違反だ!」と襲いかかっている。
多文化共生派、移民賛成派に聞きたい。イスラム教徒の移民たちが、その国の憲法よりも重要だと信じているシャリーア法では、「音楽を聴くことは違法」という解釈がある。
ドイツではイスラム移民たちがシャリーア警察を勝手に作って、現地の「ドイツ人」たちへ「酒を飲むな!音楽を聴くな!」と襲いかかる事件が起きた。しかも、それを「移民政策」を進めるドイツ当局は「無罪」にした。
「私はイスラム教徒でないから関係ない」は通用しないのだ。
イスラム教徒は人数が増えれば必ずドイツやイギリスのように、現地の異教徒を「征服」しようとする。
そして、ブルネイのように、イスラム世界では手足切断、石打刑などの処罰がある「シャリーア刑法」は外国人や非イスラム教徒にも適用される。
また、シャリーア法では性犯罪に遭った女性の方が「不倫」「不貞」をしたと見なされて石打刑にされることがある。
「多文化共生」名目で、「音楽を聴くな!」「シャリーア法違反は手足切断!女性は石打刑だ!」と本気で考えているイスラム教徒を倭国に受け入れることに何の意味があるのだ?
多文化共生派は、逃げずに答えるべきである。
移民に賛成するならば、
「多文化共生は素晴らしい。差別主義は良くない。シャリーア法も、音楽禁止も手足切断も石打刑も、私は受け入れる」とはっきり宣言すべきである。 November 11, 2025
2RP
私は疑い深い人間だ。先日ポストした通りエクアドルの首都キトにある赤道記念碑は実は赤道から約240mズレている。その近くの「インティニャン博物館」が赤道直下らしいので行ってみた。ここは本当に赤道下か?と思いGPSで見たらやはり赤道から少しズレている…。客のドイツ人オヤジが「赤道からズレているよね!?」とスタッフに言うが「間違いなく赤道が通っています!」と反論。この博物館では赤道をまたいで「南半球と北半球では排水口の渦の向きが変わる」という実験をする。たぶんここに赤道は通ってないから意味のない実験…。調べるとその実験にも信憑性はなく、演出をしている可能性大とのこと。もう何も信じられない…。 November 11, 2025
1RP
トランブや高市などの反良識が跋扈する時代において、良識的な言動は普遍的な価値を持つ。
ドイツのフランクワルター・シュタインマイヤー大統領は26日、ドイツ人はスペイン内戦(1936~1939年)中の1937年に行った「ゲルニカ爆撃」という「罪」を忘れてはならないと述べた
https://t.co/IRl3KU0Qy4 November 11, 2025
1RP
@1931_0302 @CHA_0327 昔の倭国の教科書はドイツ人もフランス人も全て英語読みだったらことを知ったらどう思うんでしょうね。
例:カール5世→チャールズ5世 November 11, 2025
逆に気が弱くてもイエスノーはっきり言えなくても、優しく穏やかにフォローしてくれるのはポーランド人とか、オランダより北の国の人だよなと思う
ドイツ人も優しいけど、ドイツ人男性何人かたまに話噛み合わないときはあった(自分の話ばかりしてくるというか)
もちろん人によるんですけどね November 11, 2025
逆に気が弱くてもイエスノーはっきり言えなくても、優しく穏やかにフォローしてくれるのはポーランド人とか、あとはオランダより北の国の人だよなと思う
ドイツ人も優しいけど、ドイツ人男性何人かたまに話噛み合わないときはあった(自分の話ばかりしてくるというか)
もちろん人によるんですけどね November 11, 2025
倭国と西洋の『考え方』の違いは大きいなぁ〜
とぞおもふ
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「値段がどんどん高くなっちゃう」 ドイツ人が倭国のコスパに驚き 「倭国では無料で出てくる」と感動したサービスとは(Hint-Pot) https://t.co/gDg86mnttL November 11, 2025
@minakichijapon ドイツ人ですら、シュトーレン一個をちびちび食べてクリスマスまで食べるなんて風習聞いたこと無いってポストを見ますので
クリスマスまでに好きなだけ好きな大きさで何個も買って食べるのが正解らしいので
11月正味でも問題は無いはずです November 11, 2025
@VgxujwLjhXICBgg 🇩🇪人、食に興味ありません風に見せかけてパンにはすごい拘るし美味いパン屋はみんな朝から並ぶよね。普段行列嫌がるドイツ人が並ぶ店は本当に美味しい店だよねw特に屋台! November 11, 2025
お世話になってる人とカフェに☕️
ドイツ人奥さんとマレーシア人旦那さんがたまに連れてくる子どもがいて、ほんと可愛いんです🥹癒された…!
2枚目のポテチはその子の,,>᎑<,,
ドイツのこと色々聞かせてもらって、こういうとき海外で生活するのが楽しいって感じる🤭
#フリーランス #エンジニア https://t.co/KYZM8srYrb November 11, 2025
お世話になってる人とカフェに☕️
ドイツ人奥さんとマレーシア人旦那さんがたまに連れてくる子どもがいて、とんでもなく可愛いんです🥹癒された…!
2枚目のポテチはその子の,,>᎑<,,
ドイツのこと色々聞かせてもらって、こういうとき海外で生活するのが楽しいって感じる🤭
#フリーランス #WEBデザイナー #エンジニア November 11, 2025
ドイツ人に言われたこの言葉は私は悔しかったし、羨ましかったな
ありのままで居られる、それを尊重して認め合えるって素晴らしいなぁって
倭国はそういう風に見られてるんだなぁって
自己肯定感っていう意味では、倭国はすごく劣っていると思う
出る杭は打たれる文化だから November 11, 2025
私が大好きなドイツ人はギドブッフバルト氏とウーべバイン氏。
30年近く前になりますがJリーグ浦和レッズにやってきたワールドカップドイツ代表のお二人。 https://t.co/2qGveZ6Z6h November 11, 2025
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