聖なるもの 映画
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2025.12.09 01:00
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「ラクダが針の穴を通るより難しい」
このフレーズ、分かる人には一瞬で「お、聖書のやつね」と伝わるのに、知らない人には完全に意味不明なんですよね。
聖書って、世界で一番売れてる本なのに、ちゃんと読んだことある人は意外と少ない(自分も含めて!)。でも実は、小説・映画・絵画・洋楽・スピーチなど、あらゆる文化のネタ元になっていて、知ってるだけで「あ、これ元ネタあれか」と気づける場面がかなり増えます。信仰があるかどうかは関係なく、教養として押さえておくとけっこう便利なジャンルだと思います。
というわけで、「ラクダが針の穴」以外にも知っておきたい聖書の名言を20個まとめました^^
【聖書の名言 20選】
1. 自分の目の丸太
他人の目のおがくずは全力で指摘するのに、自分の目に刺さってる丸太はガチで見えてない。
→ 批判する前に自分を見ろ。
2. 盲人が盲人を導く
知識のない人が同じく無知な人を導くと、みんな一緒に失敗する。
→ 教える側がまず分かってないと全員沈む。
3. 豚に真珠
価値あるものを理解できない相手に与えても、無駄にされるだけ。
→ 届ける相手を間違えるな。
4. 犬もパンくずは食べます
異邦人の女性がイエスに「子供のパン屑でもいいから」と粘り強く願い、癒しを得た話。
→ 諦めず食らいつけば道は開ける。
5. 新しいぶどう酒は新しい革袋に
新しいワインを古い皮袋に入れると破裂する。
→ 新しいアイデアには新しい枠組みが必要。
6. 右の頬を打たれたら左も差し出せ
暴力に暴力で返すのをやめ、相手に反省を促す。
→ 復讐の連鎖を止めるには誰かが耐えるしかない。
7. 塩が塩気をなくしたら意味がない
塩が味を失ったら、ただのゴミになる。
→ 自分の役割を失ったら価値なし。
8. 砂の上に家を建てた人
岩の上に建てた家は嵐に耐え、砂の上は崩壊する。
→ 基礎固めを怠るな。
9. からし種ほどの信仰があれば山を動かせる
小さな種のような信仰で、大きな奇跡が可能。
→ 信仰の本質は量じゃなく質。
10. 狭い門から入れ
広い道は楽だが破滅へ、狭い道は厳しくても命へ。
→ 簡単な選択ほど危ない。
11. 羊の皮をかぶった狼
外見は穏やかだが、中身は危険な偽者。
→ 人は行動で判断せよ。
12. 一粒の麦が死ねば多くの実を結ぶ
種が死なないと実らない。
→ 犠牲や変化なしに成長はない。
13. 人はパンだけで生きるのではない
食べ物だけじゃなく、神の言葉が必要。
→ 物質より精神・意味が大事。
14. 自分の十字架を背負って従え
自己犠牲を覚悟して従う。
→ 中途半端なコミットは無意味。
15. 蛇のように賢く、鳩のように素直であれ
賢さと純粋さを両立せよ。
→ 頭脳と誠実のバランスが最強。
16. 口から出るものが人を汚す
食べ物より、言葉が人を汚す。
→ 発言が人格を決める。
17. 聖なるものを犬にやるな
神聖なものを軽視する相手に与えるな。
→ 相手を選ばないと自分が損する。
18. 死人に死人を葬らせよ
死んだ人を埋葬するのは死人に任せ、今すぐ従え。
→ 言い訳せず即行動。
19. 鋤に手をかけて後ろを振り返るな
農作業中に後ろを向くと失敗する。
→ 決断したら迷うな。
20. 木はその実でわかる
木は実で判断されるように、人も行動で。
→ 言葉より結果が本質。
2000年以上前に書かれた言葉が、令和のXでも普通に刺さる。人間、結局そんなに変わってないんですよね。だから何千年も残ってきた言葉には、それなりの理由があるんだと思います! December 12, 2025
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名前に宿る契約──聖書が教える「呼び名」の深遠な意味 後編
創世記17章、32章:変容する名──アイデンティティの再創造
神の名の啓示と並行して、もう一つの「名づけ」のドラマが展開します。神が人の名を変えられるという物語です。
アブラム(「尊き父」の意)は99歳の時、神から新しい名を与えられます。「あなたの名はアブラハム(『多くの国民の父』の意)となる」(創世記17:5)。この改名は、単なる呼称の変更ではありません。子供のいない老人が、「無数の民の父」となるという、人間的には不可能な約束の実現を宣言するものです。名の変更は、神の約束による存在の変容を象徴しています。
さらに劇的なのは、ヤコブの物語です。「かかとをつかむ者」「押しのける者」という意味の名を持つヤコブは、人生の転換点で神と格闘します。夜明けまで続いたその闘いの末、神は彼に言われます。
「あなたの名は、もうヤコブと呼んではならない。イスラエル(「神と戦う者」「神が支配する」の意)と呼びなさい。あなたは神と人とに争って勝ったからだ。」(創世記32:29)
この改名は、ヤコブの人生の総決算です。これまで人を出し抜き、自分の才覚で生きてきた彼が、神と真っ向から向き合い、祝福をかきむしるほどに必死になることで、初めて「イスラエル」という新しいアイデンティティを与えられます。名の変更は、過去の清算と、新しい使命への召命なのです。
出エジプト記20章7節:聖別される名──十戒における神聖な重み
シナイ山で与えられた十戒の第三戒は、この名の神学に決定的な転換をもたらします。
「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかれない。」(出エジプト記20:7)
この戒めを、現代的な「神の名を汚す言葉を使ってはいけない」という表面的な理解で終わらせてはならないと、私は思います。ヘブライ語原文の「ラッ・シャーウ」は「虚しく」「無意味に」「偽りをもって」という意味です。
古代世界において、名はその人の実存的現実そのものでした。名を知り、名を呼ぶことは、その人に対して一定の影響力を持つことでもありました。神の名を「みだりに」唱えるとは、神の名を魔術的な呪文のように用いたり、偽りの誓いの保証に利用したり、軽率に口にしたりすることです。それは、神をご利益のための道具に貶める行為にほかなりません。
この戒めの深さは、逆説的に「では、神の名をどのように用いるべきか」を示唆している点にあります。真実な祈りの中で、感謝と賛美をもって、契約の忠実さを証しするために──神の名は、神との真実な関係の中でのみ、「正しく」用いられるべきなのです。名は聖なるものとして「区別」され、尊重されるべき現実なのです。
民数記6章22-27節:祝福として臨在する名
モーセ五書の「名づけ」の旅は、アロンの祝祷という美しい頂点に向かいます。
「主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに向けて、あなたを照らし、あなたに恵みを与えられますように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜りますように。彼らがこのようにわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。」(民数記6:24-27)
ここで名は、単に口で唱えられる言葉を超えて、人々の「上に置かれる」ものとなります。ヘブライ語の「スーム・シェム」(名を置く)という表現は深いです。名は、神の臨在そのものが注がれる器となるのです。
また、申命記では繰り返し「主が御名を置くために選ばれる場所」(申命記12:5など)が強調されます。エルサレムの神殿は、神の名が「住まわれる」場所として理解されます。名は、神の臨在が具体的な「場」を持つことを可能にするのです。
この祝福の中で、名は保護の傘となり、恵みの光となり、平安(シャローム)の源となります。私たちが神の名の下にあるとき、私たちは神の保護領域の中にいるのです。
結び:名による契約の神学
モーセ五書を貫く「名づけ」の物語は、一貫した神学的ビジョンを描いています。それは「名による契約の神学」と呼ぶことができるでしょう。
神はまず、名づけによって世界に秩序を与えられます(創造)。次に、その創造の権威の一端を人間に委ねられます(委任)。そしてご自身の固有の名を啓示され(自己開示)、その名によって人と契約を結ばれます(契約)。さらに、その契約関係の中で人に新しい名を与え、その存在を変容させられます(変容)。契約の民は、神の名を聖なるものとして敬い(聖別)、その名の下で祝福と保護を受けます(祝福)。
名は、神と人との関係を結ぶ「結び目」です。それは単なる記号ではなく、関係性そのものが凝縮された聖なる現実なのです。
#モーセ五書マンガ
#聖書の名づけ神学
#契約としての名前 December 12, 2025
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