ソーン トレンド
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2025.12.16 22:00
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先日の浜松、ソーンとローラ。
いつもとは逆に、休憩してたローラに挨拶に行くソーン。
ローラのお顔、喜んでる?…うーん…?
#浜松市動物園 #アムールトラ https://t.co/rjzxZbkwRm December 12, 2025
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戦友を見捨てなかった英雄
マイケル・E・ソーントンは1967年にアメリカ海軍に入隊し、1992年に海軍大尉として退役するまでの25年間、ネイビーシールズの隊員として輝かしい軍歴を歩んだ。彼のキャリアは、一人の兵士の献身と英雄主義の象徴とされている。
高校卒業後すぐの1967年に入隊したソーントンは、駆逐艦での短期間の勤務を経て、1968年11月に悪名高い基礎水中爆破訓練(BUD/S)に挑んだ。この過酷な訓練を1969年に修了した後、彼は精鋭部隊であるSEAL Team ONEに配属され、ベトナム戦争の激戦地へと派遣された。
彼の軍歴の頂点ともいえる出来事は、1972年10月31日に発生した。この日、ソーントン二等兵曹(当時)は、トーマス・ノリス少尉率いる5人編成(米シールズ隊員2名、南ベトナム海軍特殊部隊”LDNN”隊員3名)の偵察チームの一員として、北ベトナム軍支配地域での情報収集任務にあたっていた。しかし、彼らは夜明けとともに50人以上の北ベトナム兵による大規模な待ち伏せ攻撃を受け、激しい銃撃戦となった。チームが圧倒的な劣勢に立たされ、水辺への後退を試みる最中、ノリス少尉が頭部に致命傷を負い、意識不明となった。LDNNの隊員がノリス少尉の戦死を確信し、その場を離れざるを得ない状況で、ソーントン二等兵曹は上官を見捨てず、単身で救出に向かう決断を下した。
彼は降り注ぐ敵の砲火の中、約400〜500ヤード(約360〜450メートル)の開けた土地を駆け戻った。ノリス少尉の遺体(と思われていたもの)を脅かしていた2人の敵兵を倒した後、まだ息があることを確認した。自身も手榴弾の破片で負傷していたにもかかわらず、ソーントン二等兵曹は意識のないノリス少尉を肩に担ぎ、さらに負傷したLDNN隊員も引きずりながら、再び海岸線を目指した。彼は全員を水中に引きずり込み、ノリス少尉に救命胴衣を着けさせて浮かせた状態で、銃撃を避けながら約2時間にわたって危険な海域を泳ぎ続けた。最終的に捜索に来た支援艇によって全員が無事救助され、ノリス少尉の命は奇跡的に助かった。
この並外れた勇気と英雄的行動に対し、ソーントン二等兵曹は1973年10月15日、リチャード・ニクソン大統領からアメリカ軍人最高の栄誉である名誉勲章を授与された。この功績は長く記憶され、フロリダ州フォート・ピアースにある国立海軍UDT/SEAL博物館には、この英雄的行為を記念する彼のブロンズ像が設置されている。
戦後も彼のキャリアは続き、1974年から1977年までBUD/Sの教官を務め、1978年にはイギリスの特殊舟艇部隊(SBS)に派遣された。1980年には、リチャード・マコウィッツ司令官によって、海軍初の対テロ特殊部隊であるSEAL Team Six(現在の米海軍特殊戦開発グループ、通称”DEVGRU”)の創設メンバーとして選ばれた。
1982年6月には、下士官から専門的な技術・管理職に就く「限定任務士官(LDO)」プログラムを通じて士官に任官され、1990年には中隊長として湾岸戦争での砂漠の盾作戦、砂漠の嵐作戦の支援にも貢献した。そして1992年5月、ソーントンは海軍大尉の階級で25年間の輝かしい兵役を終え、退役した。 December 12, 2025
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誰かソーンのグッズと交換しない?ソーンのグッズあまりに余ってる人いないかな?いいねとリツイートして欲しい
#コンパス
#コンパス痛バ https://t.co/ZzGJHuQIcR December 12, 2025
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