有力者 トレンド
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2025.12.15 08:00
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今日のミュージカル、最後なので演者さんがノリノリw
第五中隊の隊員さんがいつもの3倍位のテンションでセリフを言うので、ヨンジェさんが笑っちゃって、拍手でした
一旦は我慢しようと思ったのに、ダメでしたw
あ、前転したとこもありました
村の有力者の奥さんの手にキスするとこは、お姫様抱っこになってました
隊員さんがブレイクダンスしたり、お料理逆さにしちゃったり、アドリブ満載でまだまだ思い出せるかな?
カズタのアドリブはマジックでした
チョコチョコ小さなアドリブはしてました
あー動画で皆に見せたいw
カーテンコールもそれぞれの演者さんに歓声凄かったですが、チョチョルガンさんはなお一層
カズタとミンジェさんは出て来た時からカズタ泣いてました
ヨンジェさんとユジさんは、スイスの背景前で見つめ合うところで観客にバイバイしてくれました
#nSSign_カズタ
#愛の不時着 December 12, 2025
肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。
コリント人への手紙 第一 1章29節
(質問)
そもそも、絶対者の前で誰も誇れないのに、あえて神が弱い者を選ばれたのはなぜですか?
(回答)
神(絶対者)の前では、賢い者であろうと愚かな者であろうと、本来「等しく無力」であり、誰も誇る権利などないはずです。
それなら、「あえて(わざわざ)」弱い者や愚かな者を選ぶ必要はないのではないか、という疑問は論理的にとても正当なものです。
この点について、聖書学者たちは、単に「謙虚になれ」という道徳的な意味を超えて、「神の力の本質の証明」や「人間の価値観の転覆」という観点から解釈しています。
1. 「人間の錯覚」を完全に打ち砕くため
ジャン・カルヴァン(宗教改革者・神学者)
カルヴァンはこの箇所を、「人間の自己過信(うぬぼれ)を根こそぎにするための神の戦略」と解釈しています。
* 解釈のポイント:
論理的には「誰も誇れない」はずですが、現実に人間は少しでも知恵や力があると、それを「自分の手柄」だと勘違いし、誇ろうとします。
もし神が「賢い者」や「強い者」を選んで救いの業を行えば、人々は「それは彼らが優秀だったからだ」と誤解し、神の恵みが隠れてしまいます。
カルヴァンによれば、神があえて無学な者や弱い者を選んだのは、「成功の原因が人間側には1ミリもない」ことを誰の目にも明らかにするためです。
つまり:
「強い者を選んでも誇れないはず」というのは神の視点での真理ですが、人間はそうは受け取りません。
だから神は、人間が言い逃れできないほど徹底的な方法(弱い者の採用)をとったのです。
2. 「十字架の愚かさ」と一致させるため
ゴードン・フィー(新約聖書学者・ペンテコステ派)
著名な聖書学者ゴードン・フィーは、この箇所を「キリスト論的」に読み解きます。彼の解釈の中心は「十字架」です。
* 解釈のポイント:
神の救いの手段が、当時の常識では「最大の恥・弱さ・愚かさ」である「十字架(処刑された救い主)」であったことに注目します。
救いの方法が「愚かなもの(十字架)」である以上、それを受け取り、証言する民もまた「愚かなもの(弱い者)」でなければ、メッセージとメッセンジャーの整合性が取れないと考えます。
神は、世的な「知恵」を否定し、逆説的な神の知恵を示すために、あえて世の基準から外れた者たちを選びました。
つまり:
弱い者が選ばれたのは、「十字架につけられたキリスト」という神の逆説的な愛を、その存在自体で体現するためです。
3. 世俗的な「価値の序列」を無効化するため
N.T. ライト(新約聖書学者・歴史家)
現代を代表する学者N.T.ライトは、当時のローマ帝国の社会背景(階級社会)から解釈します。
* 解釈のポイント:
当時のコリント社会は、ステータス、家柄、知恵を極端に重視する競争社会でした。
神が弱い者を選んだのは、単に「誇らせないため」という消極的な理由だけでなく、「ある者(有力者)」を「無に帰する(無効化する)」という、神の積極的な「審判」の意味があると説きます。
神は弱い者を選ぶことで、人間が作り上げた
「賢い=偉い」
「強い=神に愛されている」
という価値のピラミッドそのものをひっくり返し、それを無意味なものだと宣告しているのです。
つまり:
弱い者の選びは、この世の権力構造に対する神の革命的な異議申し立て(ジャッジメント)なのです。
4. 「無からの創造」の再現
カール・バルト(組織神学者)
20世紀最大の神学者バルトは、これを神の「主権的自由」と「無からの創造」の文脈で捉えます。
* 解釈のポイント:
神は「あるもの」を使って何かをするのではなく、「ないもの」から「あるもの」を呼び出す方です。
「無に等しい者」を選ぶ行為は、天地創造の時と同じく、全く何もないところから新しい命を生み出す神の創造の業を、歴史の中で再現していることになります。
絶対者の前で「誇れない」のは当然ですが、あえて弱い者を選ぶことで、「存在の根拠はすべて神にある」という真理を啓示しています。
○まとめ:
人間は、放っておくと「自分には価値があるから神に選ばれたのだ」という因果関係を捏造してしまいます。
神があえて弱い者を選ばれたのは、以下の3点を歴史的事実として確定させるためです。
* 証拠の提示(カルヴァン):
人間の能力が救いの根拠ではないことを、視覚的に証明するため。
* 方法の一貫性(フィー):
弱さ(十字架)を通して働くという、神のスタイルを貫くため。
* 価値の転換(ライト):
人間社会の序列を無効化し、新しい神の国の秩序を示すため。
「誰も誇ることがないように」という言葉は、禁止命令というよりも、「神の恵みだけが、私たちがここにいる唯一の理由である」という圧倒的な事実を理解させるための神の配慮なのです。(了) December 12, 2025
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