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総合科学技術
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2025.11.29 21:00
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総合科学技術・イノベーション会議を開催しました。倭国に強みがある技術の社会実装や、勝ち筋となる産業分野の育成を促進する「新技術立国」を実現すべく、基礎研究から社会実装までの一気通貫の支援、戦略的な科学技術外交等の検討を踏まえた、基本計画のとりまとめを関係閣僚に指示しました。 https://t.co/JCjTFcWXyw November 11, 2025
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高市早苗首相は28日、政府の総合科学技術・イノベーション会議で、国立大学に配分される運営費交付金などの基盤的経費や、基礎研究への投資を大幅に拡充するよう検討を指示した。倭国の研究力が低迷している現状を打破する狙い
高市政権の方針を強く支持します。素晴らしい
https://t.co/wTQ5o67fzt November 11, 2025
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〇私がJCO事故対策のために科学技術庁に出向して、原子力災害対策特別措置法を策定した時のメンバーで、懇親会を開きました。当時総括政務次官だった斉藤鉄夫公明党代表、原子力局長だった興直孝さん、筆頭室長補佐だった柳孝さん、法案担当室長補佐だった私とコンビの法案担当係長だった伊佐進一前衆議院議員。東大ヨット部後輩で弁護士の服部真尚さんが興さんと仕事を一緒にしている縁で、集まることができました。
というのも、当時の河野博文資源エネルギー庁長官が私たちが学生時のヨット部の総監督。その河野さんが科学技術庁に出向していた時に席を並べていた親友が、興さん。昨晩興さんからお聞きしたのですが、JCOの事故が発生してすぐに河野さんから興さんに電話があって「倭国の危機だ。通産省から選りすぐりのエースを出すから使ってくれ」と申し出があったというのです。私はそれまで、亡くなられた河野さんから「興君には、『勉強はしていないけど体力だけはある奴を送るから思う存分使ってくれ』と言っておいたよ」と聞いていたので、改めて河野さんの先輩としての温かさを実感しました。その河野さんには、今はもう会えません。
斉藤鉄夫代表と興さんは、実は島根県の同郷。議員をやっていた斉藤代表のお父様が地区の竹下登選対の責任者だったこともあって、政治家を通じて50年以上の付き合いがあったというのも、昨晩はじめて知りました。興さんは、総合科学技術会議ができた時の内閣府統括官。尾身幸次担当大臣と衝突して退官し、その後静岡大学学長などを務めた硬骨漢。改めて芯の通った立派な官僚であったなと思いました。柳さんは、当時から科学技術庁のエース中のエースでしたが、その後文部科学省の事務方トップの事務次官にまでなりました。退官後は、一切天下りは受けずに実家のある新潟に帰り、お持ちの名刺の肩書は「自由人」。格好良すぎます。そして、伊佐さんと私は今、政治の世界でもがいています。
振り返ってみれば、すごいメンバーが集まっていました。当時は2ヶ月間ほぼ家には帰らず、日中は法案作成のために地元茨城県や東海村、関係省庁と協議を行いながら法案を作成し、夜に内閣法制局の審査を未明まで受け、夜中の2、3時に帰って法案の修正を行い、オフィスのソファーで数時間仮眠してまた同じプロセスを繰り返すという毎日を送っていました。国会審議では、政府の責任を問う野党からの厳しい追及を受け、答弁能力が低い当時の科学技術庁長官が火だるまになる中で、斉藤総括政務次官が満身に矢を受けながら答弁するという戦場のような現場で、後ろから必死に答弁を書いて渡していました。
でも、なぜか楽しかった思い出しかありません。最近官僚の勤務環境の悪さがしばしば報道されますが、私には上司とそりが合わず苦しかったときはありますが、忙しくて辛かったということはありませんでした。それだけ「国を背負っている」という充実感があったのでしょう。今は、永田町(国会)も霞ヶ関(官僚)も、そういう熱い空間で仕事をすることが少なくなってしまっているのかもしれません。楽しかった官僚時代を懐かしく思うだけでなく、ありうべき政と官の関係を作り上げていくことも「令和の政治改革」なのだと思います。 November 11, 2025
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