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不出来
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2025.12.08 07:00
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「北緯30度以南の島は倭国領ではない」という主張、どの戦後文書にも存在しません。念のため、一次資料で全部追って確認してみましたが、根拠ゼロでした。
まず、中国がよく持ち出すカイロ宣言ですが、これは「連合国の方針表明」にすぎず、条約でもなく、署名手続きもなく、国際法上の拘束力はありません。誤解なきように言うと、カイロ宣言で領土が決まることは絶対にありません。 この点は国際法学の教科書どれを開いても同じ結論です。
実際に領土を確定したのは1951年のサンフランシスコ講和条約だけです。ここに、倭国が何を放棄し、何を放棄していないかが明確に書かれています。しかし条文のどこを読んでも「北緯30度以南」などという地理線は出てきません。倭国が手放したのは朝鮮・台湾・澎湖・南樺太・千島・南洋群島であり、琉球も尖閣もその中には含まれません。
むしろ講和条約は、琉球・奄美・小笠原は倭国の主権を保持したまま米軍の施政下に置く と明記しており、施政権と主権を明確に区別しています。これは国際法の基礎です。
では「30度ライン」はどこから出てきたのかというと、戦後占領期に米軍が行政上の便宜のために設定した「統治区分のライン」であって、主権線ではありません。占領行政はあくまで暫定的な管理であり、主権の移転とは全く別物です。これは主権概念の初歩です。
つまり、「北緯30度以南=倭国領ではない」という解釈は、国際条約にも出てこないし、占領軍の内部メモにも書かれていない、完全に後付けの政治スローガンということになります。
尖閣についても、日清戦争とは無関係に1895年に倭国が領有を宣言し、当時の清国は一度も抗議していません。国際法では黙認は重要です。その後、沖縄施政権の一部として米国が管理し、1972年に施政権が返還されています。中国が領有を主張し始めたのは1971年、海底資源の存在が明らかになってからです。
要するに、「30度以南は倭国領でない」という話は、国際法的にも歴史的にも根拠が全く無い。条約上は一貫して倭国の主権が保持されており、米軍は施政権を代行していただけ。これ以上でも以下でもありません。
こうして一次資料で確認すると、今回の主張がどれほど作り話かわかります。
「戦後文書で規定されている」と断言するなら、まずその文書名を出すべきですが、当然出てきません。存在しないので。
所谓“北纬30度以南的岛屿都不是倭国领土”这种说法,其实在任何战后文件里都不存在。我把相关的一次史料重新核对了一遍,结果很简单——没有任何法律依据。
中国这边常提的《开罗宣言》,本质上只是当时同盟国对外发布的“政策声明”,既不是条约,也没有签署程序,在国际法上没有约束力。说得直白一点,领土归属不可能靠一个新闻公报来决定。这是国际法的基本常识。
真正决定战后领土归属的只有《旧金山和约》。条约里写得很清楚,倭国放弃的是朝鲜、台湾、澎湖、南库页岛、千岛群岛、南洋群岛等地区。但无论你怎么看条文,都不会看到“北纬30度以南”这样的地理线。琉球、尖阁等根本不在放弃范围内。
相反,《旧金山和约》明确写着:琉球、奄美、小笠原等地,倭国保留主权,由美国行使施政权。施政权和主权的区别是国际法的最基础概念,两者不能混为一谈。
至于“30度线”到底从哪里来的,其实只是美军占领时期为了行政管理方便划出的暂定区划,完全不涉及主权问题。占领行政从来不等于主权转移,这一点在任何国际法教科书中都是基本原则。
换句话说,“北纬30度以南不是倭国领土”完全是后来硬凑出来的政治口号,在历史文献和法律文本里压根找不到依据。
再说尖阁(钓鱼岛)。1895年倭国公布领有时,清政府从未提出抗议,而国际法上“长期不抗议”本身就是一种重要的态度表示。战后钓鱼岛被纳入美军管理的琉球施政范围,1972年随琉球一并将施政权交还倭国。中国开始声称拥有主权,是在1971年——也就是海底资源被发现之后。
综合所有史料来看:
无论历史、条约、国际法,主权线从来没有因为什么“30度线”而发生变化。倭国的主权始终存在,美国只是代行施政权,仅此而已。
所以如果有人坚持说“战后文件已经规定”,那他应该先把那份文件的名字拿出来。但现实是——拿不出来,因为根本不存在。 December 12, 2025
3RP
倭国新内阁官员公开了个人资产。小泉防卫大臣以 2亿7248万日元(约1300万人民币)名列第一。茂木外务大臣 1亿9397万日元(约1000万人民币)。林总务大臣 1亿5088万(约700万人民币) 也突破一亿。
高市早苗首相总资产3206万
(约150万人民币),明显低于多名核心阁员。
资产最低的是松本数字大臣,
申报仅 550万(约25万人民币)。文科大臣松本洋平704万(约32万人民币)。
中国官员公开财产喊了几十年,眼睜睜看着他们一个个富可敌国,现在除了贪官露出财富的冰山一角,恐怕永远也不会公开财产了,主要是不敢公开!早在1987年11月17日,时任全国人大常委会秘书长、法制工作委员会主任王汉斌,在第六届全国人大常委会第二十三次会议上就指出:“ 一些国家规定公务员应当申报财产收入,我国对国家工作人员是否建立申报财产制度问题,需在其他有关法律中研究解决。”
从那时至今,快40年了,其间1994年,全国人大常委会正式将“财产申报法”列入立法规划,中共中央办公厅、国务院办公厅等相关部门也相继发布了一些官员财产申报的规定,一些城市也有过类似的试点。但时至今日,从县级官员到中央部委官员,其财产状况公民仍然只能通过一个比一个更惊人的贪腐案曝光才能得知冰山一角。
官员财产申报制度曾屡次被中共领导提及,并被视为反腐的一项重大举措,大多数官员对此项制度也曾持积极态度,2011年中国社科院《法治蓝皮书》的调查资料表明,70%的公职人员认为官员财产应当公开,并赞成扩大财产范围至私车、股票等收入,而对此持赞成态度的厅司局级官员比例甚至高达91.3%。
也有官员认为,财产申报是例行程式,官方一直都在尝试。比如2010年5月26日,国务院印发了《关于领导干部报告个人有关事项的规定》,当中提及领导干部包括各级机关的县处级副职以上、大型国有独资企业的中层以上领导人员,申报财产要同时包含本人及配偶、共同生活子女的房产、投资、就业情况。
问题是,这些财产申报都是内部申报小范围内公示,并不向社会公开,这种遮遮掩掩的举措并不利于廉政建设和反腐工作,也不利于群众监督和舆论监督。该项制度最关健之处是财产申报公开之后的核查、监督、处罚等等,如果连财产申报都不公开,即使有规定,也形同虚设。
多年来,部分“两会”代表委员持之以恒提交议案,要求在全国范围内推进官员财产公开制度,得到的回应都是推诿和拖延,从“条件尚不成熟”、“全面推行尚存一定困难”到“正在积极开展工作”,再到“适时向全国人大提出立法建议”、“已着手起草建议稿”等等等等。
官员财产公开,无论西方还是东方,都被证实为行之有效的廉政手段而且已经日趋成熟和完善。然而在中国,官员财产公开舆论呼吁了将近40年,官方也讨论研究了将近三十年,如今依然连个草案都拿不出来。与此形成鲜明对比的是,针对公民延迟退休方案从提议到正式实施,速度却很快。
更具有讽刺意味的是,一方面是舆论强烈要求官员公开财产的呼声,一方面是官方以种种藉口和理由推诿的托词,另一方面,动辄敛财数千万上亿的“老虎”“苍蝇”数不胜数,更有大批官员把巨额财产和眷属转移到了他们所仇恨的西方国家。 December 12, 2025
2RP
@ggbym_d @2mDzOnuVEGUpNma すぐに湧いてくる「男で括るな」勢は、まずお仲間の不出来なおっさんを注意してから「ノットオールメン」を言うようにしよう。
文句を言わせてるのはそいつらなの、理解できるよね? December 12, 2025
@fpb_e @rheurchinium 優貴君の中退よりはマシだけど、偏差値の低い高校と偏差値の低い女子大学で
本当に出来の悪い兄妹しか産めない親可哀想すぎる🥲
暴力沙汰の時に高校強制退学ささられとけばもっと不出来さをアピールできたのにね🤣🤣🤣🤣🤣 https://t.co/yK4iQv5XkU December 12, 2025
昨日、ふとね、感じたんです
大まかだけど、
全体をみることができるようになったなあって
いろいろ細かいところは不出来な点もあるけれど
全体の流れを止めないで、対応してゆくことは
できたなあ、と感じて、ちょっぴり成長したみたいな気分になってます
チャレンジして良かったです😊💛 https://t.co/8dgRtIjApe December 12, 2025
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