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サロメ
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2025.12.06 07:00
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他に見かけたところのもの。
「共観福音書と違って、ヨハネの福音書はイエスにおける神学をより深くほり下げて書かれた本であり、その中に史実は含まれていない」そうですか。
これもどれも全てが護教論であって
自分の信仰のさまたげになるようなことを一切否定しようとする。
たとえば「ヘロデ」や「サドカイ人」の記述がヨハネの福音書の方にはない。
これも誰かが言いそうなのは「ヨハネが書かれた時期には既にヘロデもサドカイ人もいなかったんだよ」とされる。
だったらマルコもマタイもルカもそんな時期は離れていないんだから、一緒じゃね?
つまり何が何でもヨハネのを特別扱いにしてのけものとしたい願望が見える。
ヨハネがそれらを取り上げなかったのは、単に「必要がなかった」からだ。
サロメがバプテスマのヨハネの首切りを頼んだ話も「そんな出来事はなかったからだ」
なぜ?「それ本人だからだ」
つまり共観福音書ではなんらかの必要があったために、「ヘロデ」や「サドカイ人」を登場させたのだ。
あとさらに言うと
共観福音書はどれもある何かしらの教義を説明するために、つまり礼拝で使用するだけの為に
事実を改ざんして書かれたものである。今さら細かい説明は省く。
ヨハネによる福音書は違う。その中に「福音」と言う言葉は載ってないし、別にその福音の意味も強調されていない。
つまりこれは礼拝のための教典ではない。
ただのある聖書記者の覚え書きである。
ところどころ内容的におかしい所があってもそれは、本人だけの記憶に依存してるための「記憶違い」だけである。
私は冒頭で書いた、神学者の意見の正反対のことを支持する。
神学的な内容はただそれをイエスがじかに語ってたからであり、
事実の記録に過ぎない December 12, 2025
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