ケネディ トレンド
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2025.12.20 05:00
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【コメント】中道というのはどうも空気が入らない概念である。中道は「右でもなく、左でもなく」という消極的に規定される概念であり、かつ「真ん中を取りに行く」という単なるポジション取りに受け取られがちだからである。政治には「統治」と「運動」という二つの側面があり、運動にかかわる左右のイデオロギー的政治勢力は活力と熱量を生み出す。それに対して「中道」は現実の統治にかかわる概念であり、したがって調整的、妥協的性格をもつ。とりわけポピュリズム的政治運動が盛んな時期においては、中道という概念はあまりウケそうにない。
だが中道あるいは中庸という概念は、アリストテレスや孔子の時代から東西問わず使われてきた。つまり各々の時代の体制において多数派による統治を収めるうえでは不可欠の概念でありつづけた。そして現代的な意味合いにおいて中道が使われ始めたのは、おそらく20世紀初頭と思われる。
その条件の一つは、参政権の拡大により大衆が政治に参入したことである。もう一つの条件は1917年のロシア革命のインパクトにより共産主義勢力が左派内部で優位を確立し、その反動として右派のファシズム運動が台頭したことだ。つまり政治への大衆参加と左右の政治運動の台頭をうけ、ナショナルな単位における政治闘争がはじまった条件下で、中道概念は現代的な統治を目指すという意味合いをもつことになったと思われる。
第二次世界大戦終結直後の1947年、リベラルなアメリカの政治学者アーサー・シュレジンガーJr.が「活力のある中道」(vital center)という著書を発表している(邦題は『中心』だが意訳した)。シュレジンガーJrは名著「ニューディール三部作」をあらわしたニューディール派の学者であり、戦前にはアナキストの哲学者鶴見俊輔や、戦後非米活動委員会に召喚されることになる革新的経済学者都留重人とも交友と温めていた。
著書「活力のある中道」を著したシュレジンガーJrの狙いは、ルーズベルト政権のニューディール政策を第二次世界大戦後も継承し、アメリカに民主社会主義を定着させることにあった。つまりシュレジンガーのいう中道とは、社会民主主義リベラルのことであった。シュレジンガーは欧州で共産主義に対抗する現実的希望は民主社会主義の強化であると唱えつつ、こう訴えている。
「闘争を除外した自由社会を考えることはできない。財産の分配に不平等があり、経済的利害に差別が存することが本来の姿である限り、政治は経済問題を中心として行われるし、不満を抱くものの蹶起(けっき)が持てる者の専制に対する最善の保障を提供する」。
この一文からは、シュレジンガーJrが、「統治」をあらわす中道概念に「運動」的な活力を吹き込もうと苦心しているのがわかる。ただこれを読めば「なんだ、シュレジンガーJrやニューディールってサヨクじゃん」と思われるかもしれない。だがニューディール政権を主導したフランクリン・ルーズベルト大統領は保守的な人物であり、その基盤の一角を占めた南部民主党は保守の牙城であった。他方で妻エレノアはリベラル派であり、「ブレーントラスト」といわれたルーズベルトの側近たちのなかには左派の閣僚たちが数多くした。このようにニューディール体制は左右の勢力を包摂しており、シュレジンガーJrはこの広大な土俵のうえで民主社会主義を推進しようとしていた。シュレジンガーJrはケネディ政権では補佐官を務め、晩年にはアメリカ政治の包摂力の衰退を警告した『アメリカの分裂――多元文化社会についての所見』(都留重人訳、1992年)を著している。シュレジンガーJr亡き後の中道は、クリントン政権をはじめとしてリベラルがネオリベラルと多文化主義に傾斜し、20世紀のアメリカ政治がつくりあげた統治能力は衰退していった。
このように、中道は各々の時代の統治の編成により内容が規定される。そして問われているのは、ポジション取りではなく、どのような歴史的経験に裏打ちされた統治を打ち立てるかにある。ポピュリズムが台頭し、右派と左派の極端化がすすみ、両者が歴史を手放そうとしているなかで、アメリカにおいてはニューディール体制がその歴史的経験にあたるかもしれない。では倭国はどうなのだろうか。「統治」と「運動」を架橋するビジョンを描きうる歴史的経験を再構築することが、「力強い中道」をつくりあげるうえでは欠かせないはずだ。自民であろうが立憲、国民であろうが公明であろうがどの勢力であろうが、倭国という国の近代化と進歩の歩みのなかにある経験に裏打ちされた歴史的想像力をわがものにした勢力だけが「力強い中道」を語る資格をもつはずだ。 December 12, 2025
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ワクチン批判はなぜタブー?🤔 タッカー・カールソン氏が暴いた“科学信仰”の正体💉😳
なんで“より安全なワクチンを作ろう”って言っただけで、
あんなに怒られるんだ?
そう問いかけたのは、女優シェリル・ハインズさん。
でもその理由は、タッカー・カールソン氏との会話でスッと腑に落ちたそうです。
人々が怒るのは、「安全にしよう」という提案が極端だからじゃない。
怒りの根っこにあるのは…“すでに完璧なものに口を出すな”という思い込みなんです。
つまりワクチンは、事実じゃなく“信仰”の対象になっているって話。
タッカー氏は続けます。
ロバート・F・ケネディ・Jr.氏もかつては左派に持ち上げられていた。
環境問題で空と水を守るヒーローだったのに、ワクチンに疑問を投げかけた瞬間に、一気に“排除”された。
その反応の速さに、宗教的な雰囲気すら感じたと。
そして彼は、あるアートを引き合いに出します。
1930年代の画家ディエゴ・リベラが描いたワクチンの壁画。
そこには“キリストのような幼子”がワクチンを打たれる様子が描かれ、周囲を囲むのは“賢者のような科学者たち”。
これが何を意味していたのか?
リベラは宗教に縁のない人物だったけど、彼にとっての信仰は“科学”だった……そう語るんです。
タッカー氏いわく、
「科学を疑う者=異端者」という構図が、すでに文化に深く染み込んでいる。
でも今、その信仰にヒビが入ってきている。
人々は少しずつ気づき始めているんです。
これまで信じてきた“科学”は、
科学的だったのか、それとも…“ただの教義”だったのか。
静かに、でも確実に、その問いが広がっているように見えました。 December 12, 2025
@sayu_nt ケネディ暗殺事件、米軍基地で通訳をしていた親父が泣いていた。
そして安倍さんの事件の第一報を聞いた時、俺は手が震え涙にまみれた。
悲しくて、寂しくて、切なくて、、、
今でも彼は、俺の心の中で生きている。
あの笑顔、あの口調、そしてあの凛々しさ、
忘れることはない December 12, 2025
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