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小網神社
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2025.12.19 22:00
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小網神社。中央区倭国橋小網町。
旧小網町の鎮守。強運厄除の神・東京銭洗い弁天の杜。
12月6日より頒布開始した「馬社紋柄御朱印帳」を頂きました。来年の午年に向けた御朱印を一足早く頒布開始しています。通常サイズで初穂料は2,000円。
合わせて「通常御朱印」も頂きました。御朱印は書き置きのみ。午年仕様の切り絵御朱印は来年元日より授与開始です。
本日も大賑わいで大混雑していた人気の小網神社。明日、そして明後日の土日は物凄い大混雑が予想されます。
20日は一粒万倍日と大安が重なる土曜日。21日は一粒万倍日+天赦日+甲子(きのえね)の日+天恩日が重なる日曜日。いわゆる最強開運日です。今年最後の最強開運日が日曜日。少し天候が怪しいですがぜひ神社などに参拝してみてください。(小網神社はびっくりするくらいの大行列になると思います)
そんな小網神社は江戸時代までは万福寺の境内社として神仏習合のもとで崇敬を集めた神社です。明治の神仏分離で小網稲荷神社として独立。万福寺は廃寺となりそこで祀っていた万福舟乗弁財天が東京銭洗い弁天の起源です。
現在は「強運厄除」の御神徳で知られ大変な信仰を集めています。これは関東大震災や戦時中のご加護が広く知られるようになった事から。
大正十二年(1923)に関東大震災が発生。区内の9割以上が焼け野原となる大被害が発生し当社の社殿も倒壊しました。関東大震災発生直後、当時の宮司は当社の御神体を抱え近くの新大橋に避難。大挙して避難してきた人々がいたものの、御神体を拝んだ事で混乱がなく新大橋自体も落ちずに大勢の人が助かったと言います。
※なお新大橋の袂にある避難記念碑にも「小網神社の御神体を伏して拝み、加護を願った」と記されています。
戦時中には戦地へ赴くことになった氏子が、当社での出征奉告祭に参列し当社の御守を受けた兵士が全員生還。更に当地周辺が焼野原となった東京大空襲では社殿を含む境内建物が奇跡的に戦火を免れました。
こうした事から「強運厄除」の御神徳でも広く知られるように。そして東京銭洗弁天も多くの崇敬を集めています。今ではいつでも行列のできている人気の神社です。
ちなみに小網神社は元々は小網稲荷神社と呼ばれたお稲荷様です。何故か龍のイメージが強い方も多いと思いますがそれは社殿から。昭和四年(1929)に再建された木造社殿。彫刻が見事なのですが特に拝殿虹梁の昇り龍・降り龍が素晴らしい出来。この龍の彫刻が「強運厄除の龍」として信仰を集めている事から龍のイメージが強いのだと思います。(御朱印の印や御朱印帳なども龍をモチーフにしています)
開運日や新年は大混雑になるので避けて本日参拝したのですがそれでも行列でした。ぜひ参拝してみてください。
#御朱印 #限定御朱印 December 12, 2025
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