ギリシャ神話 トレンド
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2025.11.29 00:00
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〈二人の天体物理学者が語る「自由意志」〉
🗣(チャールズ・リュー)
「私は、この宇宙に自由意志が存在していてほしいと思っています。たとえ哲学的には、自由意志は存在しないと論じることができるにしても、です。」
🎙️(ニール・ドグラース・タイソン)
「たとえ自由意志が実在しなくても、自分が自由意志を持っていると“感じながら生きる世界”に満足できますか?」
🗣「たぶん。これは映画『メッセージ(Arrival)』の話ですよね、主人公はエイミー・アダムス。あの映画のように、自分の未来がどうなるか全部わかっていたとしても、それでも人生を生きたいか?という問いです。私は“はい、生きたい”と思います。ただ、未来が完全に決まっているとは、やっぱり思いたくないんです。」
🎙️「いやいや、違うんです。未来が決まっていて“あなたがそれを知っている”という話ではなく、もし宇宙人があなたの前に現れて『君の人生は全部あらかじめ決まっている。何をしても変えられない。でも自由意志があると思い込んで生きなさい』と言って母星に帰っていったらどうします?」
──「あなたは糸で操られた操り人形ということですね。」
🎙️「しかも“自由意志を持っていると錯覚している”操り人形ですよ。」
──「自由意志のあるフリをしている操り人形ですね。」
🗣「その状況だとしても、私は“その糸を持たれている”ことを知ることで、何とかその運命を回避できる道を探せると期待したいんです。ギリシャ神話でもよくありますよね。神々が定めた運命を避けようとした結果、その行動自体が運命を実現させてしまう、という物語が。」
🎙️「『オイディプス』がまさに典型例ですね。」
🗣「彼は最も極端な例でしょう。」
(場の笑い)
🗣「だから結論としては、たとえ“違うことをしようとしている”というのが錯覚であっても、その錯覚そのものが自由意志の一形態だと私は満足できます。ただ、物理学として考えれば、それが問題なんです。ではニール、もし今ここで“自由意志はある・ない”を決めなければならないとしたら、どちらを選びますか?」
🎙️「ここ数年考えてきた結論としては、私は“自由意志がない”方に傾きつつあります。昔はそんなこと考えたこともありませんでしたが、今では私たちが思ったり行動したりしていることのほとんどすべてが自由意志によるものではない、と考えるようになりました。私たちは長く、人間の行動を『お前のせいだ』と他者に責任を負わせてきました。でも研究が進むにつれ、ある人は“依存症”に陥りやすい生物学的特徴を持ち、またある人は自閉スペクトラムの特性で、社交的になれない。それは努力でどうこうできるものではありません。
エピレプシー(てんかん)だって、昔は“悪魔に憑かれた”とされていました。でも今では、誰も『発作を起こさない自由意志があったのか?』なんて言いません。うつ病も同じです。橋の上で身を投げようとしている瞬間、その人に『飛び降りない自由意志』があると言えるでしょうか。私はそうは思いません。こうした事例を積み重ねれば積み重ねるほど、私たちが向かっている方向は、“人間は自由意志の欠如の産物である”という結論になります。だからこそ、社会は“社会に適応できない人々”にもっと思いやりを持つべきなんです。」
🗣「私はまったく逆の考えを持っています。多くの行動が自由意志を欠いているからこそ、その中の“わずかな自由意志の作用”こそが、私たちを正しい方向へ導き、思いやりへと向かわせ、歴史の流れを正義へと曲げるのだと思うのです。」
──「でも、さっきニールが言ったように、人格障害や脳の障害によって、今あなたが言ったような“思いやりに向かう行動”ができない人もいますよね。彼らにはそれができない。」
🎙️「昔は誰もそれを“障害”として捉えていませんでした。単に『あいつは嫌な奴だ』で終わっていた。」
──「本当に、“ただの嫌な人”扱いでしたよね。」
🎙️「その通りです。」
🗣「でも彼らができないなら、私たちはできます。彼らに思いやりや理解を示すことができる。そうであれば、自由意志というものは確かに存在していると言えるのではないでしょうか。」
🎙️「あなたは“彼らには自由意志がない、でも自分にはある”という線引きをしています。しかし、その線引きは時代とともに常に動いてきたものです。」
🗣「私は“すべてにおいて自由意志を持っている”とは思っていません。ただ、人はある側面には自由意志を持ち、別の側面には持たないことがあるのです。そして、他者が私の不足した部分を補うように助けてくれることもあれば、私が誰かを助ける自由意志を発揮することもあります。それは全体としてひとつのネットワークであり、誰かが他より優れているという話ではありません。」
🎙️「では、社会としてどこに線引きをするべきかという問題になります。貧困層に生まれた犯罪者に、犯罪をしない自由意志があったと言えるでしょうか?刑務所の大半が貧困層出身者だとすれば、そこには明らかな社会的な力が働いています。」
🗣「良い指摘です。ではこう考えてみましょう。社会から“犯罪者”とラベルを貼られ投獄された人たちがいます。私たちは、同じ境遇を経験しなかった“幸運な側”として、彼らを遠ざけるのではなく、社会へ戻る道を用意することができます。」
──「それは“修復的司法(Restorative Justice)”ですね。あなたの言っていることはそれです。」
🗣「ええ。そしてそれは自由意志の行使の一例でもあります。」
🎙️「社会全体が行使する自由意志ですね。」
🗣「そうです。生まれつきの境遇や環境によって、自分では選べなかった状況を抱える人々に対して、社会が意志を持って支援するということです。」
🎙️「もし一致点があるとすれば、それは“私たちの無知の周縁”の存在を認めることです。その周縁の内側では、生理学、神経化学、物理法則といった自由意志を制限する力が確かに働いています。その周縁は今後さらに広がるかもしれません。しかし、どこかの時点で“これ以上は自由意志を否定できない”という限界点が存在する可能性もあります。」
🗣「そうですね。」
🎙️「では、その点は認めましょう。」
「これで合意ですね。いいですね。合意です。」
(via Rael Maitreya)
https://t.co/Eadbp6imb4 November 11, 2025
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