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飽くなき情熱
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2025.12.01〜(49週)
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先日投稿した「どちらが創業時のアバルトロゴ?」クイズにご参加いただき、ありがとうございました!
正解は "左のロゴ"‼️
左が創業時のロゴ。そして右が、現在のアバルトの情熱を象徴する現在のエンブレムです!
サソリのモチーフはそのままに、イタリアンカラーのトリコローレ(赤、白、黄)と、熱いレースの血統を表す盾が加わりました。
このエンブレムの変遷は、カルロ・アバルトの**「勝利への飽くなき情熱」と「イタリアの精神」**が結びついた証です。
これからも、このサソリのエンブレムは、あなたの心に熱い毒を注入し続けます! December 12, 2025
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【しんゆり映画祭2025 開催レポート④『ユリ子からの手紙』】(10月26日)
31回目を迎えたKAWASAKIしんゆり映画祭では、映画祭を立ち上げ、基礎を築いていただいた、初代実行委員長で、今年没後10年となる武重邦夫さんの追悼プログラムを企画しました。上映作のひとつとして、武重さんの一番弟子で、映画プロデューサーの押田興将さんからの推薦を受けて1981年製作のドキュメンタリー『ユリ子からの手紙』が挙がり、武重さんが40代前半の頃に演出された本作を市民スタッフで鑑賞し、全員一致で上映を決めました。
『ユリ子からの手紙』は、代々木駅近くのラーメン店を舞台に、ハンディキャップをもつひとりの女性の成長の軌跡を赤裸々に描いた作品。実の母に見捨てられ、社会からも阻害されたユリ子。それでも何年もかけて作り方を覚えた一杯のラーメンに明日への思いを馳せる。
「人と人との本気のぶつかり合いになつかしさを覚えた」「心が揺さぶられた」「清も濁も見つめようとする武重監督の視点のたしかさを感じた」などたくさんの感想が寄せられました。
上映当日、押田興将さんにご登壇いただき、作品の魅力や恩師の思い出をユーモアも交えて語っていただきました。「武重さんの教え子たちは、たくさん映画界で活躍していますよ。武重さんの名前はこれからもっと知られるようになるんじゃないかな」と押田さん。客席には、『ユリ子からの手紙』製作当時のスタッフやしんゆり映画祭市民スタッフOBOGらの懐かしい顔も見られました。
しんゆり映画祭が産声をあげた1995年。バブル崩壊も記憶に新しいその頃、ここ川崎市の副都心、新百合ヶ丘では、文化芸術によるまちづくりが進められていました。武重さんは、会場整理やもぎりなどお手伝い要員として集まった市民ボランティアこそが映画祭の「主役」となるべきだと考え、そして市民たちに上映作品やゲストの選定、さらには映画祭運営そのものを託されました。
振り返れば、しんゆり映画祭発足から数年、アマチュア集団の市民スタッフの強い味方となって舞台イベントを支えてくれたのが武重さんの一番弟子の押田さんでした。
本作のナレーションをつとめたのは今村昌平監督で、今村監督の映画づくりを助監督やプロデューサーとして、支え続けたのが武重邦夫さんその人でした。横浜を発祥の地として倭国映画大学に至る「今村映画学校」の運営は武重さんなくしてはならないものだったとお聞きしています。
今回の上映にあたっては、倭国映画大学をはじめ、今村プロダクション、ご関係者の皆さまの格別のご協力をいただきました。
ご来場いただいた皆さまと、ご協力をいただいた皆さまにこの場をお借りして感謝申し上げます。
新百合ヶ丘には映画人の魂が宿っている。今村昌平監督、武重邦夫さん、押田興将さんらの創造への飽くなき情熱に、しんゆり映画祭市民スタッフは感謝と敬意を送り、これからもこの地で映画祭を続けていく決意を新たにしました。 December 12, 2025
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新卒の面接、「デニムたたむのがめちゃくちゃうまい」一本でIT企業2社から内定もらったワイ、XGALXのデニムたたみ採用目指したい。
誰よりも美しく仕上げるその卓越したスキルと、たたみへの飽くなき情熱は誰にも負けません。
サイモンさん、あなたのデニム、私にたたませてくれませんか? December 12, 2025
【しんゆり映画祭2025 開催レポート④『ユリ子からの手紙』】(10月26日)
31回目を迎えたKAWASAKIしんゆり映画祭では、映画祭を立ち上げ、基礎を築いていただいた、初代実行委員長で、今年没後10年となる武重邦夫さんの追悼プログラムを企画しました。上映作のひとつとして、武重さんの一番弟子で、映画プロデューサーの押田興将さんからの推薦を受けて1981年製作のドキュメンタリー『ユリ子からの手紙』が挙がり、武重さんが40代前半の頃に演出された本作を市民スタッフで鑑賞し、全員一致で上映を決めました。
『ユリ子からの手紙』は、代々木駅近くのラーメン店を舞台に、ハンディキャップをもつひとりの女性の成長の軌跡を赤裸々に描いた作品。実の母に見捨てられ、社会からも阻害されたユリ子。それでも何年もかけて作り方を覚えた一杯のラーメンに明日への思いを馳せる。「人と人との本気のぶつかり合いになつかしさを覚えた」「心が揺さぶられた」「清も濁も見つめようとする武重監督の視点のたしかさを感じた」などたくさんの感想が寄せられました。
上映当日、押田興将さんにご登壇いただき、作品の魅力や恩師の思い出をユーモアも交えて語っていただきました。「武重さんの教え子たちは、たくさん映画界で活躍していますよ。武重さんの名前はこれからもっと知られるようになるんじゃないかな」と押田さん。客席には、『ユリ子からの手紙』製作当時のスタッフやしんゆり映画祭市民スタッフOBOGらの懐かしい顔も見られました。
しんゆり映画祭が産声をあげた1995年。バブル崩壊も記憶に新しいその頃、ここ川崎市の副都心、新百合ヶ丘では、文化芸術によるまちづくりが進められていました。武重さんは、会場整理やもぎりなどお手伝い要員として集まった市民ボランティアこそが映画祭の「主役」となるべきだと考え、そして市民たちに上映作品やゲストの選定、さらには映画祭運営そのものを託されました。
振り返れば、しんゆり映画祭発足から数年、アマチュア集団の市民スタッフの強い味方となって舞台イベントを支えてくれたのが武重さんの一番弟子の押田さんでした。
本作のナレーションをつとめたのは今村昌平監督で、今村監督の映画づくりを助監督やプロデューサーとして、支え続けたのが武重邦夫さんその人でした。横浜を発祥の地として倭国映画大学に至る「今村映画学校」の運営は武重さんなくしてはならないものだったとお聞きしています。
今回の上映にあたっては、倭国映画大学をはじめ、今村プロダクション、ご関係者の皆さまの格別のご協力をいただきました。
ご来場いただいた皆さまと、ご協力をいただいた皆さまにこの場をお借りして感謝申し上げます。
新百合ヶ丘には映画人の魂が宿っている。今村昌平監督、武重邦夫さん、押田興将さんらの創造への飽くなき情熱に、しんゆり映画祭市民スタッフは感謝と敬意を送り、これからもこの地で映画祭を続けていく決意を新たにしました。 December 12, 2025
C.U.の書店に入ってみたら、ライノタイプが展示されてた。
ライノタイプは、キーボードを押して文字を入力すると、そこから即座に溶けた鉛によって文字が鋳造され、印刷に必要な活字の纏まりが生成されるという機械。
極めて複雑な構造から、人間の文字への飽くなき情熱を感じた。 https://t.co/FXQhBlGSgH December 12, 2025
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