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basic
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2025.12.03 01:00
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あの時代の解像度がすごい。この映画、封切りで見たけど、ウォーゲームのBASICコードを書いた下敷き配ってたよね。打ち込まなかったけど。
ヴィンテージコンピューティングオタクが1983年の映画『ウォー・ゲーム』を振り返る - YouTube https://t.co/8FH5e4oGF7 December 12, 2025
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みんな大好きAWS Supportが改定・追加されたよ!
Basic+の追加、エンタープライズサポートの価格改定、ユニファイドサポートの追加ー!
新しく強化されたAWSサポートプランは、専門家のガイダンスにAI機能を追加します | AWSニュースブログ https://t.co/0OpVCmRW3S December 12, 2025
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あぁ~ウォニョンのロラロラカーディガン灰色めっちゃ綺麗なの出品されてる~🥺
欲しいけど我慢するもん…誰か買って自慢して~♡
ROLAROLA VNECK BASIC CARDIGAN GRAY ウォニョン
https://t.co/LAGpRWh8c7 December 12, 2025
@kentaro_sax 音楽や野球関連でリプをくださる相互の方です。
SC-3000を選んだのはBASICの存在が大きく、ゲームは早くに飽きてしまったのでSG-1000にしなくて正解だったと思います。
ちなみに我が家のスタージャッカーはいわゆる前期版なので、知る人ぞ知るタイトルミュージックが流れません。 https://t.co/NggAGRCLfL December 12, 2025
最近フォロワーさんから内定報告が続いてますが、特にAmazonの対策が秀逸だったので要点だけ共有
技術面接
- NeetCode150+Amazon頻出リストを“丸暗記レベル”で周回
- LRU Cacheなどは自作Node/List版でも解けるように準備
- 実装前に毎回 Input / Output / Basic Idea / Impl Ideas / Edge Cases を紙に整理してから、面接官とこの構造で相談しながらコーディング
特に良かったのは学習効率を上げるためにLLMの活用でした。
LeetCode番号を入力するだけで自分専用のC++実装スタイルを自動生成してくれる“専用プロンプト”を作成し、毎日それを回して理解を高速化することろは皆さん見習って欲しい December 12, 2025
こすげ的ゲーム遍歴 その1
物心ついた頃から家にはたくさんのゲームがあった。
トランプ、将棋、麻雀、花札、カルタ、百人一首、オセロ、ダイヤモンドゲーム、人生ゲーム……。
どれがいつからあったのかは記憶にないが、小さな頃から触っていた記憶はある。特に人生ゲームは大好きだったが、家族があまり一緒にやってくれなかったため、一人で4人分ロールプレイしながら遊ぶということにはまっていた。黙々と昼過ぎから暗くなるまで遊んでいた記憶がある。今思えばなんて暗い幼少期なんだ。
また小学生の低学年の時に引っ越すまでは、月に1度程度ゲームセンターに連れて行ってもらっていた。ただ人がゲームをしているのを見ていただけで、自分がやっていた覚えがあまりない。多分やってはいたのだろうが、下手すぎて記憶に残るほどの時間できなかったんだと思う。
家に電子ゲームが初めて来たのは、多分エポック社の『テレビテニス』だったのではないだろうか。ただ発売当初に買った物ではなく、発売からしばらく後に父が知り合いから借りてきた物だったように記憶している。テレビでゲームができるという夢のような機械ではあったが、今と違って1Pと2Pのコントローラーがくっついていたため、兄とのケンカは必至だった。
次いで家にやってきたのは、喫茶店などに置いてあったテーブル筐体だった。これも父がどこぞから仕入れてきた中古品だった。基板は『スペースインベーダー』と、『与作』の2つ。残念ながら与作の方は基板が壊れていたようでまともに動かなかったが、スペースインベーダーは普通に稼働した。おかげで我が家はゲームセンターになった。小学校の裏に家があったという立地も手伝って、連日我が家にはインベーダーを遊びに来る友だちが絶えなかった。
テーブル筐体は、天板を開けると手前にレバーがついており、そのレバーでクレジットを入れることができる。筐体の中はほんのり温かくて何かふわっとして、それでいてちょっとピリピリするような空気に包まれていた。わたしは、その空気感がとても好きだった。今思えば漏電してたのだと思う。
それに前後して、ゲームウォッチブームがやってきた。わたしが買ってもらったのは、正確には任天堂のゲーム&ウォッチではなく、バンダイのLCDゲームデジタルシリーズの『大地震』というゲームだった。今では到底出せないタイトルだと思う。同じことを延々と繰り返すだけのゲームだったが、家の中だけでなく何処でもゲームができるというその1点だけで偉大すぎた。あの頃のゲームウォッチ系のゲームには、エンディングというものはあったのだろうか?
そして満を持して我が家にやってきたのは、富士通のパーソナルコンピューター『FM-8』。当時の記録メディアは、CD-ROM?ノンノン。3.5インチフロッピーディスク?5インチフロッピーディスク?ノンノン。我が家の記録メディアはカセットテープだった。世の中にはフロッピー自体はすでにあったはずだが、多分外付けのドライブを買うお金がなかったんだと思われる。家にあったカセットテープレコーダーを繋いで使っていた。
当時のパソコン雑誌『マイコンBASICマガジン』にはプログラムが載っていて、それを手打ちすると自分のパソコン上でプログラムを動かすことができた。その中にあったワイヤーフレーム3D迷路のプログラムを一生懸命手打ちして、どうにか遊べるようになった時の感動は一入だった。この経験が、後年HTMLやCGI、JavaScriptなどを触るきっかけになったと思う。 December 12, 2025
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