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fir
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2025.12.12 11:00
:0% :0% (-/男性)
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沖縄のエアソフト友達からまた連絡きたわ。
G19のエアガンを工場出荷状態そっくりまで再現しようとしてるらしい。
Glockのケース買ったばっかで、中に何が入ってるか知りたいって。
銃本体と予備マガジン以外には、
ロック、マニュアル、交換用バックストラップ、クリーニングロッドとブラシ、NRA/セーフティパケット。
薬莢(州や地域による。俺のG19には入ってたけどG32には無かった)
他のピストルの箱も何個か持ってるから、なんか理由あったら見せてやるよ😂
So my airsoft friend in Okinawa messaged me again.
He’s trying to set up his G19 airsoft gun to look like it came out of the factory.
He just bought a Glock case and he wanted to know what came in the box.
Other than the pistol and a spare magazine,
Inside the box is a lock, manual, extra back straps, cleaning rod and brush, NRA/Safety packet.
A fired casing (depends on state or locality. My G19 came with one my G32 didn’t)
I have a few other pistol boxes. Let me know if you wanna see those for some reason. 😂 December 12, 2025
2RP
毎日何かしらあります
キツイ事の方が多いかも知れないけど
凹んでる暇は無い
チャンスはそこにある訳だから
#shikonryuusui
#firo39 撮影 https://t.co/zxmtc8HiOS December 12, 2025
1RP
倭国も住宅街や企業を外国資本が買う事を審査する機関が必要です。
安全保障と併せ、国民の生活を守る為に、オーストラリアのFIRB(外国投資審査委員会)のような審査機関を立ち上げる必要があります。 https://t.co/Vyt8e6QHo9 December 12, 2025
株式会社制度が遅れたことが“イギリス産業革命の構造”にどう影響したか(資本市場 vs 家族経営)
以下、**「株式会社制度が遅れたことがイギリス産業革命の構造にどう影響したか」**を、
家族経営・パートナーシップ中心の産業革命モデル vs 近代的株式会社モデルの比較で体系的に解説します。
これは経済史の重要テーマで、イギリス産業革命を“中小企業革命”と見るか“資本市場革命”と見るかという議論にも直結します。
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◎ 結論(最重要ポイント)
イギリスは株式会社制度が100年遅れたため、大規模資本による上からの産業化ではなく、
“無限責任の家族企業・パートナーシップ”によるボトムアップ型の産業革命が進んだ。
その結果:
● 資本市場:遅い
● 家族経営:強い
● 投資規模:小さいが早期に分散
● 労働集約:強い
● 技術革新:職人・発明家主導
● 銀行・証券市場は後発型
オランダや後発国(アメリカ・ドイツ)のような大企業主導の発展とは全く異なる構造になった。
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1. 背景:株式・有限責任の「欠如」
● 1720–1844:Bubble Act で実質的に株式会社は禁止
● 1855:有限責任がようやく法制化
→ 約100年間、株式会社の自由設立ができなかった。
その間の企業形態は:
•家族経営(family firm)
•パートナーシップ(partnership)=無限責任
がほぼ唯一の選択肢。
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2. 影響①:資本市場が“貧弱”なまま産業革命が起きた
株式会社が作れない=小口投資家を集めて巨大資本を作れない。
そのため、
■ 鉄鋼・紡績・炭鉱など初期産業は“家族資本”で運営
•アークライト(紡績)
•ダービー家(製鉄)
•スティーブンソン家(蒸気機関・鉄道)
など、主要イノベーションは「企業家家族」が自前資金か地元の私的ネットワークで調達した。
■ 株式市場の発展が後れた
ロンドン金融市場は国債(consol)中心で、民間企業の株式がほぼ存在しない。
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3. 影響②:“大企業不在”のため中小企業のネットワークが技術革新を牽引
株式会社が無い → 大規模資本が無い
その結果、
職人・発明家・小規模工場の集合体がイギリス産業革命を作った
と言える。
● 技術は「現場の試行錯誤」で更新
巨大研究所や官営工場ではなく、
•マンチェスターの紡績工場
•バーミンガムの金属加工工房
•鉄工所(Ironworks)
などが、密集し相互に知識を交換した。
これは “産業地区(industrial district)”モデル で、後のイタリアの工業地区にも継承された。
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4. 影響③:無限責任 → 保守的投資 → 生産性向上は「機械化より労働強化」
無限責任では、企業は大規模借入が難しい。
■ 結果:企業は「低資本・高労働」の方向へ
•子どもや女性労働が多用される
•工場は設備投資より“人手”に依存
•高度な固定資本の導入は遅い
● この構造が「マンチェスターの暗黒工場」像を生んだ
資本蓄積の弱さが、過酷な労働集約を生み出したという分析がある。
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5. 影響④:大規模インフラ(鉄道など)は例外:国会による“個別法”で対応
本来、鉄道・運河など大規模投資には株式会社が必要だが、
Bubble Act の制約下では自由に作れない。
→ 各鉄道会社は 議会が「個別法(Private Act)」を毎回制定して設立
非常に時間とコストがかかるが、
それでも英国は鉄道化に成功し、
逆に“世界初のインフラ投資ブーム”を生んだ。
株式会社禁止の中での苦肉の策が、後の鉄道 mania(1840年代)につながる。
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6. 影響⑤:アメリカ・ドイツ・フランスとの「企業構造の差」を生んだ
■ アメリカ
•早期に株式会社が普及
•有限責任は州レベルで柔軟
•19世紀後半には巨大企業(US Steel, Standard Oil)が登場
■ ドイツ
•国家主導の銀行が heavy industry を育成
•銀行—企業—国家の三位一体
■ フランス
•Compagnie system と国策会社が強い
■ イギリス
•産業革命は成功したが、企業構造は非常に“小粒”
•国際競争力は市場規模と技術で補った
→ 株式会社制度の遅れが、後の「イギリス製造業の大型化の遅れ」につながったという学説がある。
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◎ まとめ:イギリス産業革命の独特な構造を生んだ決定要因
項目株式会社制度遅延による影響
資本調達分散的・私的ネットワーク中心(銀行や株式市場は弱い)
企業規模中小企業・家族企業が中心
投資姿勢保守的(無限責任のため大規模投資できない)
技術革新技術者・職人主導の現場型イノベーション
労働労働集約的(設備投資の制約)
インフラ個別法による“特別な株式会社”のみ成立
長期的結果イギリスは巨大企業化・重化学工業化で後発国に追い抜かれた
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■ 結論(再掲)
**イギリスの株式会社制度の遅れは、産業革命を“中小企業革命”へと形作り、
技術革新の方向性・労働構造・資本政策のすべてに独特の影響を与えた。**
⸻ December 12, 2025
イギリスで保険制度が発展したのは、有限責任制度の遅れと関係?
結論から言うと――
◎ **イギリスで保険制度が極端に発展したことは、
“有限責任制度の遅れ”と深く関係している。**
正確には:
株式会社(有限責任)によるリスク分散ができなかった時代、
リスク分散の唯一の制度的手段が「保険」だったため、
イギリスで保険市場が異常に発達した。
という歴史的因果がある。
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1. イギリスは会社の有限責任が「1855年まで」整備されず異常に遅れた
南海泡沫事件(1720)→ Bubble Act(1720)により
株式会社の自由設立が100年以上禁止状態。
その間、企業はほぼすべて:
•無限責任パートナーシップ(partnership)
•家族企業(family firm)
で運営され、投資家は 会社の負債に無限責任を負った。
つまり、
失敗=個人の破産
という極度のリスクが存在した。
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2. その「破滅リスク」を緩和するために保険が必要になった
株式会社が使えない=株式で多数の投資家がリスク分散できない。
→ すると個人・企業がリスクを軽減する唯一の方法が 保険(保険契約による外部化)。
そのために次のような市場が急速に発展する。
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3. Lloyd’s を中心とする海上保険市場が世界最大化
● Lloyd’s Coffee House(1688頃)
•船主・商品商人・海上保険引受人が集まり、
航海リスクを共同で引き受けた。
● イギリス海上保険が圧倒的に発達した理由
1.航海リスク(沈没率10〜30%)が極めて高い
2.株式会社がなく、船主や商人は無限責任で破綻しやすい
3.リスク分散を保険に依存するしかない
つまり:
本来“株式会社”で分散されるべきリスクが、
保険に肩代わりされた。
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4. 産業革命期:保険が“疑似的な有限責任”の役割を果たす
•工場火災
•船の座礁
•商取引の不履行
•労働災害
•輸出品の輸送リスク
これらすべてが 無限責任の商人・工場主には致命傷。
よって、保険をかけることで
“会社が倒産しても個人は破産しない”
→ 有限責任の代用
この構造が、イギリスでの保険加入率の異常な高さにつながる。
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5. 逆に「保険が発達したせいで、会社法改革が遅れた」側面もある
これは経済史で議論されている重要ポイント:
● 仮説(多数の研究者が指摘)
•企業が保険でリスクを外部化できたため、
株式会社(有限責任)の制度改革への社会的圧力が弱まった。
→ 結果として
会社法改革(1844〜56)が後回しにされた。
つまり:
(A) 株式会社の遅れ → 保険の発達
(B) 保険の発達 → 株式会社制度の改革がさらに遅れる
という双方向の補強関係があった。
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6. 国際比較:なぜイギリスだけ保険がこんなに発達したのか?
国17〜18世紀の会社制度保険の発展度原因
オランダVOCの成功・株式市場発達保険も発展するが会社中心株で分散できる
フランス国家特許会社中心中程度国策中心
アメリカ早期に有限責任普及19世紀に大発展株式会社中心
イギリス株式会社禁止(1720–1844)世界最大の海上保険市場株が使えず保険が代用
イギリスモデルだけ、明確に:
株式会社の不在 → 保険の代替発達
という特徴がある。
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7. まとめ:両者の関係は「代替」と「補完」
◎ A. 株式会社制度の遅れが保険発展を“強制”した
•無限責任の商人・工場主が破綻しないための唯一の方法が保険
•Lloyd’s を中心に市場が肥大化
•海上保険・火災保険・人生保険まで拡大
◎ B. 保険の発達が会社制度の改革を“遅らせた”
•リスク分散手段があったため政治圧力が弱まる
•産業革命期でも株式会社は存在感が弱いまま
◎ C. その結果、イギリス産業革命は
•家族企業中心
•小規模資本
•大企業化の遅れ
•技術者・職人ネットワーク型のイノベーション
•巨大企業が出るのは19世紀後半以降
という構造に固定された。
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必要なら:
•Lloyd’s の仕組みを図解
•「保険=疑似有限責任」の経済理論モデル
•イギリス・オランダ・アメリカの保険史比較
•「もしイギリスが17世紀に有限責任を採用していたら」シミュレーション
も作れます。 December 12, 2025
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