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代表選
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2025.12.13 11:00
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山本太郎代表 記者会見
(12月9日 国会内)
を行いました🎤
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動画・文字起こしはリンク先からご覧いただけます👀
https://t.co/gw2Bmh0ij8
~目次~
0:00:00 配信スタート
0:00:01 [山本太郎]れいわ新選組 代表
0:00:42 [記者質問]山本代表の一本足打法が継続し数を増やすためには他党とウイングを拡げるか立憲の分党を待つかどちらかになると思うが分党した場合、議員を受け入れる予定はあるか 小沢一郎さんとどのような関係を保っていくのか
0:07:43 [記者質問]先の参院選は昨年の衆院選と比べて伸びは鈍化したが原因をどのように分析しているのか/昨日の代表選挙の結果は30票のうちの17.04票獲得 代表に投票しなかった原因と受け止めは?
0:19:51 [記者質問]あおやぎ みつあき候補や篠原一騎候補をボランティア組織のリーダーや職責に起用するお考えは?
0:22:21 [記者質問]代表の連続任期のあり方について
0:23:03 [記者質問]れいわ新選組として 新代表として課題は?
0:28:57 [記者質問]役員人事はあるのか? 役員任期は何月何日まで?
0:30:17 [記者質問]3期目の目標について/党勢拡大について
0:39:40 [記者質問]代表選挙に国会議員の推薦があれば誰でも立候補できる意義、良さはどこにあるのか
0:45:17 [記者質問]他の候補に代表の座を取られるかもしれないと脅威を感じたことはあったか 将来的に18歳の代表が生まれる可能性を感じた瞬間はあったか?
0:50:51 [記者質問]代表選挙の期間中にれいわフレンズ、れいわオーナーズはどれくらい増えたのか
0:51:38 [記者質問]与党も野党も茶番 与党も野党もマスコミも敵という姿勢から党勢拡大していくために何ができるか/45の定数減について
1:10:02 [記者質問]選挙制度はどうあるべきか?/高市政権の支持率高止まりについて
1:20:23 [記者質問]顔が怖いというのはどこからの指摘なのか? トップに立ち続けるご自身のイメージ戦略について
1:27:16 [回答]れいわオーナーズ、れいわフレンズ増加数
#れいわ新選組 #山本太郎 December 12, 2025
『都政新報』での連載「選挙放浪記」(第29回)は本日掲載。れいわ新選組 @reiwashinsen の開かれすぎた代表選挙について書きました。ご興味のある方は『都政新報』をお読みください。 #選挙漫遊 December 12, 2025
「最強流派」という神話の正体(私見)
極真会館は「無敗」と言われ、
グレイシー柔術は「最強」と言われてきた。
ただ、今振り返ってみると、
それは流派そのものが強かったというより、
代表選手個人が突出して強かったからだったのではないかと思う。
極真会館の象徴は大山倍達。
グレイシー柔術の象徴はヒクソン・グレイシー。
どちらも、規格外の肉体と精神を持った
特異な存在だった。
流派は、その人物の強さを背景に
「最強」という評価を与えられていったのではないだろうか。
---
神話は「個人」が去ると揺らぎ始める
神話が神話として語られ続けるのは、
象徴となる個人が無敗でいる間だったように思う。
ヒクソンが表舞台から距離を置き、
グレイシー柔術が体系化・普及していく中で、
「絶対」という空気は、少しずつ変わっていった。
私にとって、それを決定づけたのは
桜庭和志 対 ホイス・グレイシーの試合だった。
あの試合で負けたのは
グレイシー柔術ではない、
ホイス個人だ、という見方もある。
それも理解できる。
ただ少なくとも、
当時の私の目にはこう映った。
> 「最強と呼ばれてきたものが、現実の前で揺らいだ」
そう感じた瞬間だった。
---
流派が強いのではなく、人が強かったのではないか
格闘技の歴史を眺めると、
私はある共通点を感じる。
極真が強かったのは、大山倍達という存在がいたからではなかったか
グレイシーが強かったのは、ヒクソンという象徴がいたからではなかったか
そして勝利したのは、「桜庭和志という個人」だった
流派は、強さを保証するものではない。
少なくとも私は、そう思う。
リングの上で頼れるのは、
体系よりも、
看板よりも、
その人自身が積み重ねてきたものだけだ。
---
神話を信じるということ
神話は心地いい。
「この流派に属していれば強い」
そう思えるのは楽だからだ。
だが現実の試合では、
流派が代わりに戦ってくれることはない。
そこに立つのは、
たった一人の人間だ。
桜庭和志は、
圧倒的な看板を持たず、
自分の戦い方を徹底的に磨き上げ、
結果として勝利した。
それは、私にはとても現実的で、
同時に説得力のある光景だった。
---
最強とは何か、という問い
最強は、体系そのものではない。
最強は、組織そのものでもない。
最強とは、個人がどこまで自分を突き詰めたか
その結果として、一時的にそう呼ばれるものなのではないか。
私は今、そう考えている。
そしてその個人が表舞台を去れば、
「最強」という言葉もまた、
静かに更新されていく。
それが格闘技の、
そして現実世界の姿なのだと思う。 December 12, 2025
「最強流派」という神話の正体(私見)
極真会館は「無敗」と言われ、
グレイシー柔術は「最強」と言われてきた。
ただ、今振り返ってみると、
それは流派そのものが強かったというより、
代表選手個人が突出して強かったからだったのではないかと思う。
極真会館の象徴は大山倍達。
グレイシー柔術の象徴はヒクソン・グレイシー。
どちらも、規格外の肉体と精神を持った
特異な存在だった。
流派は、その人物の強さを背景に
「最強」という評価を与えられていったのではないだろうか。
---
神話は「個人」が去ると揺らぎ始める
神話が神話として語られ続けるのは、
象徴となる個人が無敗でいる間だったように思う。
ヒクソンが表舞台から距離を置き、
グレイシー柔術が体系化・普及していく中で、
「絶対」という空気は、少しずつ変わっていった。
私にとって、それを決定づけたのは
桜庭和志 対 ホイス・グレイシーの試合だった。
あの試合で負けたのは
グレイシー柔術ではない、
ホイス個人だ、という見方もある。
それも理解できる。
ただ少なくとも、
当時の私の目にはこう映った。
> 「最強と呼ばれてきたものが、現実の前で揺らいだ」
そう感じた瞬間だった。
---
流派が強いのではなく、人が強かったのではないか
格闘技の歴史を眺めると、
私はある共通点を感じる。
極真が強かったのは、大山倍達という存在がいたからではなかったか
グレイシーが強かったのは、ヒクソンという象徴がいたからではなかったか
そして勝利したのは、「桜庭和志という個人」だった
流派は、強さを保証するものではない。
少なくとも私は、そう思う。
リングの上で頼れるのは、
体系よりも、
看板よりも、
その人自身が積み重ねてきたものだけだ。
---
神話を信じるということ
神話は心地いい。
「この流派に属していれば強い」
そう思えるのは楽だからだ。
だが現実の試合では、
流派が代わりに戦ってくれることはない。
そこに立つのは、
たった一人の人間だ。
桜庭和志は、
圧倒的な看板を持たず、
自分の戦い方を徹底的に磨き上げ、
結果として勝利した。
それは、私にはとても現実的で、
同時に説得力のある光景だった。
---
最強とは何か、という問い
最強は、体系そのものではない。
最強は、組織そのものでもない。
最強とは、個人がどこまで自分を突き詰めたか
その結果として、一時的にそう呼ばれるものなのではないか。
私は今、そう考えている。
そしてその個人が表舞台を去れば、
「最強」という言葉もまた、
静かに更新されていく。
それが格闘技の、
そして現実世界の姿なのだと思う。
https://t.co/4qYAXFr2V8 December 12, 2025
「最強流派」という神話の正体(私見)
極真会館は「無敗」と言われ、
グレイシー柔術は「最強」と言われてきた。
ただ、今振り返ってみると、
それは流派そのものが強かったというより、
代表選手個人が突出して強かったからだったのではないかと思う。
極真会館の象徴は大山倍達。
グレイシー柔術の象徴はヒクソン・グレイシー。
どちらも、規格外の肉体と精神を持った
特異な存在だった。
流派は、その人物の強さを背景に
「最強」という評価を与えられていったのではないだろうか。
---
神話は「個人」が去ると揺らぎ始める
神話が神話として語られ続けるのは、
象徴となる個人が無敗でいる間だったように思う。
ヒクソンが表舞台から距離を置き、
グレイシー柔術が体系化・普及していく中で、
「絶対」という空気は、少しずつ変わっていった。
私にとって、それを決定づけたのは
桜庭和志 対 ホイス・グレイシーの試合だった。
あの試合で負けたのは
グレイシー柔術ではない、
ホイス個人だ、という見方もある。
それも理解できる。
ただ少なくとも、
当時の私の目にはこう映った。
> 「最強と呼ばれてきたものが、現実の前で揺らいだ」
そう感じた瞬間だった。
---
流派が強いのではなく、人が強かったのではないか
格闘技の歴史を眺めると、
私はある共通点を感じる。
極真が強かったのは、大山倍達という存在がいたからではなかったか
グレイシーが強かったのは、ヒクソンという象徴がいたからではなかったか
そして勝利したのは、「桜庭和志という個人」だった
流派は、強さを保証するものではない。
少なくとも私は、そう思う。
リングの上で頼れるのは、
体系よりも、
看板よりも、
その人自身が積み重ねてきたものだけだ。
---
神話を信じるということ
神話は心地いい。
「この流派に属していれば強い」
そう思えるのは楽だからだ。
だが現実の試合では、
流派が代わりに戦ってくれることはない。
そこに立つのは、
たった一人の人間だ。
桜庭和志は、
圧倒的な看板を持たず、
自分の戦い方を徹底的に磨き上げ、
結果として勝利した。
それは、私にはとても現実的で、
同時に説得力のある光景だった。
---
最強とは何か、という問い
最強は、体系そのものではない。
最強は、組織そのものでもない。
最強とは、個人がどこまで自分を突き詰めたか
その結果として、一時的にそう呼ばれるものなのではないか。
私は今、そう考えている。
そしてその個人が表舞台を去れば、
「最強」という言葉もまた、
静かに更新されていく。
それが格闘技の、
そして現実世界の姿なのだと思う。
https://t.co/FGXOuGasaQ December 12, 2025
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