わしは表参道から麻布十番に向かうタクシーに乗っとった。

「あ、次の角、左でお願いします。ナビで出てる道より速いから。」

不動産屋の悪い癖で、わしはタクシーに乗るといつもタクシーの運転手に職業柄どっちが東京の地理に詳しいかバトルを仕掛ける。

「いや、今の時間、そっちは混んでてあかんのですわw」

そう答えた白髪の運転手が半笑いだった気がした。

腹の立ったわしはしばらく港区の坂の名前や旧町名でバトルを続けた。

「わたしはもう40年、タクシー運転手してますんや。」

わしの放った東京の地理にどっちが詳しいかバトルの球を全部叩き落とした後に運転手はバックミラーの中のワシを見ながら続けた。

「個人タクシーやろ思ったら東京の交差点の名前言われたら最寄り駅すぐに出てこなあかんし、役所や郵便局の場所を8,000個ほど覚えとかな地理試験いうのに受かりませんのんや。」

それからしばらく運転手は自分が取得した個人タクシーの開業免許、つまり一般乗用旅客自動車運送事業の許可を得ることがいかに難しいか話し続けた。

わしは、助手席に掲示されている（仮称）麻布交通㈱という表記を眺めながらその話を聞いていた。

ああ、この爺さん運転手はいっぺん個人タクシーで独立したけどあかんかったから、また雇われ運転手やっとんのやな。

昔、偉そうだった東急リバブルの営業マンが独立したけどうまいこといかんで年寄りなってから重説係やっとんの同じやんけww

わしは過去の栄光を語る奴はタクシー運転手でも東急リバブルでも嫌いやったから、話題を変えようと運転手に景気を尋ねた。

間違いだった。そこから運転手は与党と野党、両方の悪口を唱え続けた。

ひとしきり二世議員を中傷した後に、運転手はこういった。

「小泉政権の規制改革のときに、個人タクシーは75歳までしかあかんようになったんですわ。ほんでわたしも75歳超えてて、ちょうど女房も寝込んでしもてたから、タクシー降りたんですわ。」

「ほんでまあ、女房も見送って、あとはぼちぼちやっとこ思てましたんやけど、独立する前に働いとったタクシー会社から電話ありましてね、運転手おらんから乗ってくれ言われて。なんや毎年、毎年、役所の試験と会社の検査通る限りは何歳まででも運転手しとってくれてええわ、とこういうんですわ。」

「そやしね、身体が元気なうちはこうやって、運転手さしてもろてるんですわ。」

白髪の運転手がそう言って笑った時に、タクシーはちょうど麻布十番の由緒正しい（）割烹の前に到着した。

わしは「運転手さん、すんませんでしたな」そういうかわりに彼の年齢を尋ねた。

「82歳になりました。」

そうやって現役のタクシー運転手は笑った。 December 12, 2025

タクシー運転手に暴行し運賃支払わなかった強盗致傷の疑いで男(66)逮捕　運転手は軽傷　霧島市(ＫＹＴ鹿児島読売テレビ)
https://t.co/JNu5dDBO2Z December 12, 2025