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社会インフラ
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2025.12.11 01:00
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【「軽症は医療へ」になってしまった倭国が、財政的に持たない理由】
倭国では、少し風邪気味になるだけで、多くの人が迷わずクリニックへ向かう。花粉症、軽い腰痛、胃もたれ、肩こり――本来ならセルフケアや市販薬で十分対応できる症状でも、「とりあえず病院」が当たり前になっている。そして診察後は、ほぼ自動的に薬が処方される。湿布、解熱鎮痛剤、胃薬、咳止め、抗生剤。これが日常風景だ。
だが、この一連の流れが社会全体に与えているコストは、私たちが想像しているよりはるかに大きい。風邪一回の受診で、初診料、処方箋料、調剤基本料、薬学管理料、薬剤費が積み重なり、社会全体では5,000円〜8,000円程度が動く。本人負担は3割で済んでも、残りはすべて保険財源、つまり国民全体の負担だ。同じ症状を市販薬で対応すれば、1,000〜2,000円で済むケースも多い。この差額が、全国で何千万件と積み重なっている。
本来、軽症は「セルフメディケーション」が最適解だ。まず自分で体調を観察し、薬局で薬剤師に相談し、市販薬で様子を見る。それで改善しなければ、初めて医療にかかる。これが世界的にはごく自然な導線だ。しかし倭国では、この順番が完全に逆転している。セルフケアより先に医療が来る。これは、自己負担が安すぎること、薬剤師が“最初に相談する専門職”として機能していないこと、そして「医者に行かないと不安」という心理が長年刷り込まれてきた結果でもある。
しかもこの構造は、クリニック側にとっても「診れば診るほど、処方すればするほど収益になる」仕組みと連動している。軽症が医療に流れ続ける限り、診療報酬は自動的に発生し、国民医療費は静かに膨張していく。このゾーンこそが、誰も痛みを感じないまま、確実に財政をむしばんでいる領域だ。
だからこそ、医療費削減の本丸は「高度医療」ではない。救急やがん治療を削ってはいけない。削るべきは、「軽症×回転数×薬」という構造そのものだ。風邪、湿布、花粉症、軽い痛み。この領域を、医療からセルフと薬局へ段階的に戻す。それだけで、医療費は“削らずとも”自然に落ちていく。
重要なのは、これは単なる財政対策ではないということだ。軽症をセルフで管理するという文化は、「自分の健康を自分で扱う」という意識を社会に取り戻すことでもある。医療に依存する国から、健康に主体的に関わる国へ。この転換が起きたとき、フィットネスやウェルネスは“贅沢”ではなく、社会インフラとしての価値を持ち始める。
軽症はセルフへ。中等症はクリニックへ。重症は病院へ。この本来あるべき三層構造を取り戻せるかどうかが、これからの倭国の医療と財政の持続性を左右していく。 December 12, 2025
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