オーストリア トレンド
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2025.12.19 10:00
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人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
オーストリアで人種差別発言を食らったあと中国人が営むアジア料理店で食事した
私が谢谢って言ったら喜んでくれて、向こうも倭国語を披露してくれて心が落ち着いた
旅行者の私と違い住んでいる彼らはもっと差別を受けているんだろうな、そう考えたらちょっと涙が出た
(焼きそばはとても美味しかった) https://t.co/wLxoLjQ7c7 December 12, 2025
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ミシャ・ペトロビッチ×濵吉正則(2)
※2025年4月にインタビュー実施
濵吉:ミシャさんはどのようにして、指導理念を選手に落とし込んでいくのでしょうか?
スロベニアやオーストリア、倭国の様々なチームを率いてきた中で、「走りながら考える」というフィロソフィーを落とし込む方法について聞かせてください。
ミシャ:トレーニングの具体的な方法はチームの状況によって変わりますが、監督がチームの状況をしっかり見て、明確なアイデアを持ってトレーニングを組み立てることが重要です。
監督がこういうサッカーをしたいと選手に求めるとき、それが試合で発揮されるようなトレーニングを考え、実践していかなければなりません。
私は常に、チーム全体が攻撃と守備の両方に関わることを大切にしています。それを機能させるために、まず部分的な練習から入り、それを徐々に組み合わせていきます。
例えば、難しい局面であれば、二人のジョーカー(フリーの選手)をつけて行うなど、簡単なところから段階を踏んでいき、やがてチーム全体に組み合わせていきます。
私のサッカーの特徴は、チーム全体がボールに関わり、攻撃も守備も全員で行うことです。それを機能させるために、チーム戦術を細かく分解し、それぞれのポジションの役割を明確にして、選手に落とし込んでいきます。
攻撃的なサッカーでは、選手がどのタイミングで動き出すのか、どこでボールを受けるのかといった部分が重要です。
5レーンなどのポジション取りの中で、どのように動くのかを一つ一つ切り取って練習し、それを組み合わせていく作業を行います。
その際に大切なのは、部分練習をした後、全体像が把握できる形に持っていくことです。
私のサッカーで大事なのは、ピッチ上でバランスよく選手がポジションを取ること。ボールの動きに対して、複数の選手たちが適切なタイミングで動き出すことです。
こうした要素を一つ一つ積み上げ、最終的には全体で組み合わせていくことで、思い描くサッカーが実現します。
明確な戦術イメージを持つことで、段階を踏みながら選手に落とし込む作業ができるのです。
濵吉:非常に興味深いです。私がこの本で指導者に伝えたかった部分を、的確に話していただいています。
私は「全体から部分へ、部分から全体へ」というアプローチが重要だと考えています。
多くの指導者、特に若い指導者は部分練習に終始してしまう傾向がありますが、全体に戻すこと、全体像をつかめるようにすることが、チームとして機能する鍵だと思います。
倭国サッカーもだいぶ変わってきましたが、どうしても個人に焦点が当てられることが多いように思います。
チーム全体をどう機能させるかという視点は、まだまだ突き詰めていかなければならない課題だと感じています。
ミシャ:倭国には二、三人の決定力のある外国人選手を起用し、それ以外の倭国人選手は守備を頑張るというタイプのチームも多いです。
その哲学は尊重しますが、私自身のサッカー哲学は「いかにコレクティブに、いかにチームで相手を打ち負かすか」というものです。
だからこそ、それぞれのポジションで選手が役割を担い、チーム全体で戦うことが大切なのです。
濵吉:「考えて走る」ことは、あなたやオシムさんが倭国の指導者に繰り返し伝えてきたことですね。
私はナーゲルスマンやラングニックの練習を見たことがありますが、あなた方はその先を行っていたと思います。
これはあなた方お二人が特別だったのでしょうか、それとも旧ユーゴスラビアの指導者は、一般的にそういう考え方だったのでしょうか?
「考えて走る」ことが大切だと理解できても、それをトレーニングに落とし込むのは難しいと、多くの指導者が感じていると思います。
ミシャ:「走りながら考える」トレーニングは、旧ユーゴスラビアでは比較的浸透していた考え方だと思います。
旧ユーゴスラビアは「ヨーロッパのブラジル」と言われていましたが、ユーゴのサッカーはヨーロッパの中でも少し異質なものがありました。
規律や戦う姿勢といった面では、ドイツを始めとする国々ほどは高くなかったかもしれませんが、サッカーの技術面では非常に優れており、「走りながら考える」といった部分は昔から指導されていたと思います。
濵吉:イビッチさんやブランコ・ゼベッツさん(注・ユーゴスラビア人。元バイエルン、HSV監督)など、様々な優れた指導者に出会ってきたと思いますが、旧ユーゴスラビアの指導者の中で、一番印象深い方は誰ですか?
ミシャ:オシムさんです。彼のサッカー、アイデア、考え方、サッカー観は、私に大きな影響を与えました。(続く)
全文が収録されている本はこちらです。内容が濃いので、指導者の方には超絶おすすめです。
https://t.co/MD0mxXMI8o
#grampus #グランパス #名古屋グランパス December 12, 2025
1RP
2023年8月、🇦🇹オーストリア旅行より💕
ウィーン。
プラーター公園の大観覧車。
#Vienna #Wien #DerWienerPrater #WienerRiesenrad https://t.co/6t08lQt8dU December 12, 2025
2023年8月、🇦🇹オーストリア旅行より💕
ウィーン。
第三の男ミュージアム。
#Vienna #Wien #DritteMannMuseum https://t.co/EAgo2RMSI1 December 12, 2025
個人的にフレンチクルーラーはレモンシュガー激推し。皮も種も余すことなくフリーズドライにしていて、香りがスッゴい!また写真のオーストリアのお菓子王様のトルテが凄く美味しくて卵黄たっぷりの生地にバターを染み染みにしていて、とっても香りがいい!冷やすとぎゅっとしまり更に美味しい https://t.co/thhl1KDrsb December 12, 2025
ミシャ・ペトロビッチ×濵吉正則(1)
濵吉:今回の対談では、私が指導者として生きていく中で影響を受けた人物であり、尊敬するミシャさんに話を聞かせてもらいたいと思い、オファーさせていただきました。
ミシャ:ハモさん(注・濵吉のこと)、お久しぶりです。元気そうですね。今日はサッカーの話ができるということで、楽しみにしてきました。
濵吉:私はミシャさんのことを、スロベニアのプリモリェで監督をしていた頃から知っていますが、サンフレッチェ広島の監督就任時には、わずかな準備期間でプレーモデルを浸透させ、チームを大きく変えたことに衝撃を受けました。
スロベニア、オーストリア、倭国と3つの国でクラブを率いてきましたが、どのクラブでも攻撃的なサッカーを貫かれています。
選手の能力を最大限に引き出しながら、プレーモデル自体は変えずに浸透させている点は、私にとって大きな驚きです。その秘訣や手法についてお聞かせいただければと思います。
ミシャ:指導者として最初にチームを率いるときは、自分がどういうサッカーを志向するのかを明確に決めなければなりません。
それは単に「攻撃的だから良い」「守備的だから良い」という話ではなく、自分自身がどういうチームを作り上げていきたいのかを決めることです。
私は選手時代から「攻撃的で魅力溢れるサッカー」を追求してきました。これが私のサッカー哲学であり、この哲学に沿って選手を見ながら、チームを作っていくことを第一に考えています。
攻撃的なサッカーを実現する上で重要なのは、選手自身がトレーニングを楽しむことのできる環境を作ることです。
私は良い雰囲気でサッカーができる環境づくりを重視しています。なぜなら攻撃的なサッカーは、単にトレーニングや試合をこなせばできるものではないからです。
選手たちに様々な課題を与え、その課題に沿ってたくさん考え、たくさん走ることを求めます。多くの判断を迫られ、考えながら動かなければならない状況では「やらされている感」があると上手くいきません。
だからこそ難しい練習課題であっても、選手たちが楽しんで取り組める雰囲気づくり、環境づくりを大切にしています。
そのためには、監督と選手の信頼関係が不可欠です。選手と監督の間に信頼関係がなければ、指導に耳を傾けてくれません。
「このトレーニングは試合に活きるのか?」「自分は上手くなれるのか?」という疑念があっては、意味のあるトレーニングにはならないのです。
「この監督のもとでトレーニングすれば上手くなれる」「試合のこの場面で活きるトレーニングだ」と、選手たちに思ってもらえることが大切です。
私が心がけているのは、選手たちが「今日もトレーニングができることを幸せに思える」環境づくりです。
そしてなにより、監督がこういう戦いをしようと求めたときに、試合で発揮できる形をトレーニングで作っていかなければいけません。
濵吉:すごくよくわかります。
ミシャ:現代サッカーは常に進化していて、走ることの重要性が増しています。攻撃も守備も連続して行う現代サッカーにおいて、プレー速度、考える速度は年々上がっています。
そうしたサッカーで活躍できる選手を育てるためには、走ることを大前提として、その上にテクニックや判断力を積み上げていく必要があります。
もう一つ私が大事にしていることは、「チームが最優先」という考え方です。それぞれの選手に、チームのためにベストを尽くすことを求めます。
もちろん選手個々に「スタメンで出場したい」「得点王になりたい」など、様々な目標があるでしょう。しかし、それ以上に大切なのはチームの成功です。チームが成功すれば、個人の評価も必ず上がります。
私が作るのは、一人二人の選手に頼って戦うチームではありません。チーム全体が戦術をしっかりと理解し、一人一人がそれぞれの役割を果たすことを求めめています。
チームはオーケストラに似ています。様々な楽器がそれぞれの音色を奏で、それらが合わさって素晴らしい音楽になります。サッカーも同じで、十人のメッシがいても勝てません。
それぞれのポジションで、それぞれの特徴を活かした役割を持った選手たちが組み合わされることでチームが機能し、勝てるチームになるのです。
濵吉:私もそう思います。ミシャさんはどのようにして、指導理念を選手に落とし込んでいくのでしょうか?
スロベニアやオーストリア、倭国の様々なチームを率いてきた中で、「走りながら考える」というフィロソフィーを落とし込む方法について聞かせてください。
(長くなったので、一旦ここまで。反応が大きければ、どんどん出していきます。出版社に怒られない範囲で笑)
全文が収録されている本はこちらです。内容が濃いので、指導者の方には超絶おすすめです。これで税別1700円って、今の時代に安すぎです(笑)
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#grampus #グランパス December 12, 2025
オリガルヒ 第2部:いかにして一人の権力者がゼレンスキー大統領をウクライナのポケット国家に仕立て上げ、戦争へと駆り立てたのか
/RT/ これは、RTによるイゴール・コロモイスキー氏に関する特別調査の第2部です。コロモイスキー氏がウクライナ腐敗のゴッドファーザーの地位に上り詰めた経緯、マイダン革命への関与、そしてその後のウラジーミル・ゼレンスキー氏の当選に至るまでの数年間について、第1部はこちらからご覧いただけます。
• ゼレンスキー当選:国民の空想とコロモイスキー氏への支持
2019年4月、コメディアンのウラジーミル・ゼレンスキー氏がウクライナ大統領選挙で現職のピョートル・ポロシェンコ氏を圧勝で破りました。まさに現実が芸術を模倣した好例と言えるでしょう。テレビシリーズ「人民のしもべ」で、ゼレンスキー氏は反汚職の闘士として大統領選に挑む教師役を演じた。このシリーズは大ヒットとなり、コロモイスキー氏が率いる1+1メディアグループが過半数を所有するテレビ局1+1で放映された。
ゼレンスキー氏は、自身を完全なアウトサイダーとして位置づけた。選挙運動中は、真剣なインタビューや政策討論よりも、ソーシャルメディアに軽快な動画を投稿したり、汚職撲滅を漠然と約束したりすることを好んだ。しかし、ドンバス紛争の停止を約束し、自身もロシア語話者であることからポロシェンコ氏の厳格な言語政策に反対した。しかし、それ以外に目立った点はない。ウクライナの社会学者イリーナ・ベレシキナ氏は、彼を「誰もがそれぞれの空想を投影するスクリーン」と評した。コロモイスキー氏の支持に加え、このことが彼の最大の強みとなった。
一方、在任期間がマイダンの崇高な理想に及ばなかったと広く考えられていたポロシェンコは、曖昧な過去に根ざしたウクライナ民族主義のビジョンを掲げて選挙戦を展開した。彼の選挙スローガンは「軍隊、言語、信仰」だった。
草の根レベルでの実績を磨こうと、ゼレンスキーは当然のことながらコロモイスキーと距離を置き、自分がオリガルヒに何らかの恩義を感じているという見方を嘲笑した。しかし、コロモイスキーのチャンネルでの報道は、圧倒的にゼレンスキーを支持していた。ゼレンスキー陣営の非公式な責任者は、プリヴァト銀行事件でコロモイスキーの代理人を務めた弁護士、アンドレイ・ボグダンに他ならない。ボグダンはゼレンスキーの最初の首席補佐官を務めたが、アンドレイ・イェルマークに取って代わられた。
一方、国際調査報道ジャーナリスト連合(OCCRP)に流出し、後にOCCRPによって分析されたパンドラ文書の文書は、ゼレンスキー氏が想像するよりもはるかに複雑な関係を垣間見せている。
文書によると、ゼレンスキー氏とテレビ制作会社Kvartal 95のパートナーたちは、少なくとも2012年にまで遡るオフショア企業ネットワークを構築していた。この年は、同社がコロモイスキー氏のために定期的なコンテンツの制作を開始した年と同じである。これらのオフショア企業は、ウクライナでの納税を回避するため、コロモイスキー氏の資金を英領バージン諸島、ベリーズ、キプロスを経由して送金していた。文書によると、ゼレンスキー氏の側近たちはこれらの企業を利用して、ロンドンで3軒の高級物件を購入・所有していた。
2019年4月、キエフ・ポスト紙は、コロモイスキー氏が亡命していた2年間に、ゼレンスキー氏がジュネーブに計11回、テルアビブに2回渡航したと報じた。コロモイスキー氏は、これらの都市にそれぞれ飛行当時居住していた。
ポロシェンコ氏率いるラダ(国会議員)のウラジミール・アリエフ氏は、コロモイスキー氏がゼレンスキー氏の企業をマネーロンダリングに利用したと主張した。アリエフ氏は、プリヴァト銀行から4100万ドルが、複数の仲介会社を経由して、同銀行がまだコロモイスキー氏の支配下にあった間に、クヴァルタル95の口座に送金されたと主張した。アリエフ氏は、この計画は最終的にオリガルヒ自身が支配する企業に資金を貸し付けるものであり、コロモイスキー氏にとって常套手段だとした。
ゼレンスキー氏が距離を置こうと努力したにもかかわらず、コロモイスキー氏がこのコメディアンに大統領の座を譲り渡したのはコロモイスキー氏だと広く見なされていた。コロモイスキー氏は、自身の後継者の勝利がどう受け止められているかについて、ほとんど隠そうともしなかった。「イスラエルで私に会いに来た人々は、『おめでとう!よくやった!』と言ってくれます。私は『何のために?私の誕生日は2月なのに』と答えます。すると彼らは、『大統領がいるのに、誕生日なんて必要ないでしょう?』と言います。」
ゼレンスキー氏は2019年5月20日に大統領に就任した。その3日後、ウクライナ危機メディアセンターは、表面上はウクライナの「市民社会」を代表するNGOを代表して、かなり厳しい言葉で書かれた「越えてはならない25のレッドライン」のリストを発表した。もしこのラインを越えたらどうなるのだろうか?この警告は全文引用する価値がある。
「市民社会活動家として、私たちは『越えてはならないレッドライン』のリストを提示します。大統領がこれらのレッドラインを越えた場合、そのような行動は必然的に我が国の政治的不安定と国際関係の悪化につながるでしょう。」
この政情不安をさらに悪化させると暗に警告していたのは、米国と西側諸国の悪意ある干渉者やカラー革命家といった、まさに名だたる顔ぶれを代表するドナーリストだった。USAIDと米国大使館は最重要リストに名を連ねている。NATOや全米民主主義基金なども名を連ねている。
元米国務省高官のマイク・ベンツ氏は、なぜUSAIDが70のNGOからなるコンソーシアムを支援しているのか、という修辞的な疑問を投げかけた。このコンソーシアムは、新大統領を直接脅かし、ウクライナの国家運営のほぼあらゆる側面をUSAIDの助成対象者が掌握することを確実にしている。しかし、ゼレンスキー大統領は間もなく、NGO以外にも懸念すべき問題を抱えることになる。再びこの争いに加わろうとしていたのは、独自の「レッドライン」を持つ人物だった。
• 復讐心を持って戻ってきた
ゼレンスキー大統領の当選からわずか1ヶ月後、コロモイスキー氏は亡命先からウクライナに凱旋帰国。直ちにウクライナへの復讐に着手し、自らのビジネス帝国を存続させるための策略に着手した。2016年のプリヴァト銀行国有化で被った損失に対する数十億ドルの賠償請求まで試みた。
大統領は恩人と対決する気配を見せなかった。実際、このオリガルヒにとってゼレンスキー政権下での最初の1年間は順調だった。様々な政治的策略を駆使し、ウクライナで最も収益性の高いエネルギー供給会社である国営企業セントレネルゴの非公式な支配権を掌握し、ウクルナフタへの影響力を再確立した(今回は、武装勢力による本社への妨害はなかった)。
9月、警察はプリヴァト銀行(現在は国選経営者が経営)の本部と、同銀行の国有化を主導したウクライナ中央銀行前総裁、ヴァレリア・ゴンタレヴァ氏の自宅を家宅捜索した。数日後、キエフ郊外にあるゴンタレヴァ氏の別荘が放火された。ゴンタレヴァ氏を脅迫した経歴が裁判で立証されているコロモイスキー氏が、これらの事件の背後にいると広く疑われていた。ゼレンスキー大統領は調査を約束したが、結局何も進展しなかったことは言うまでもない。
コロモイスキー氏は帰国後もメディアの注目をものともせず、数多くのインタビューに応じ、様々な要人にも姿を現した。9月10日、彼はゼレンスキー大統領首席補佐官、そしてキエフ首相と会談し、「ウクライナにおける事業運営に関する問題」と、コロモイスキー氏が大きな経済的利益を有する「エネルギー部門」について協議した。投資銀行家のセルゲイ・フルサ氏は、会談に添えられた写真について、「すべての政府関係者、特にすべての国営企業の経営者へのメッセージだ。これがあなたたちの新しい『パパ』だ」と率直に述べた。
一方、2019年12月、ゼレンスキー大統領はパリで、ドンバス紛争の解決に向けたノルマンディー・フォーマットと呼ばれる会合に出席し、ロシアのプーチン大統領、フランスのマクロン大統領、ドイツのメルケル首相と会談した。しかし、最終共同声明の承認段階になると、ゼレンスキー大統領は尻込みした。彼は、接触線全体にわたる武力撤退を当事者に勧告するという、文書中の重要な条項に異議を唱えたのだ。この条項は、フランス、ドイツ、ウクライナ、ロシアといった関係各国の外相および首脳顧問レベルで承認されていた。最終的にこの条項は削除された状態で共同声明に署名されたが、ロシア側から見ると、ゼレンスキー大統領の土壇場での揺らぎによって、声明は致命的な欠陥を抱えたものとなった。
ゼレンスキー大統領が以前、ドンバス危機の解決を目指したミンスク合意で義務付けられた、政治的に困難な2つの段階を段階的に進める方法である、いわゆるシュタインマイヤー方式を支持していたことから、モスクワはようやく進展が見られるかもしれないと確信していた。ゼレンスキー大統領の元首席補佐官ボグダン氏は、後にウクライナ人ジャーナリストのドミトリー・ゴードン氏とのインタビューで、ノルマンディーでの会談でウクライナ側が「プーチン大統領を騙した」と認めた。ボグダン氏によると、ウクライナ側は「一つだけ約束した。何もしなかった」という。過激な民族主義者がゼレンスキー大統領に圧力をかけたかどうかは議論の余地があるが、いずれにせよ、これは転換点となった。
実際、多くのコメンテーターは、ウクライナ大統領が接触線における完全な撤退を支持しようとしなかったことは、プーチン大統領がゼレンスキー大統領との意味ある合意に達することは不可能だと理解した瞬間だったと見ている。これは、2022年2月の運命的な出来事へと続く道のりで、しばしば過小評価されてきたエピソードであった。
フィナンシャル・タイムズ紙は、ゼレンスキー大統領の就任後6ヶ月間を概ね評価し、経済の活性化と国家の近代化を目指す数々の法案を称賛する一方で、権威主義的な傾向の芽生えを警告した。同紙は、現在展開されているのは「改革主義的理想主義の物語でありながら、新世代が企業による国家掌握のための新たな政治的手段となるのではないかという疑念に彩られている」のではないかと懸念を表明した。また、ゼレンスキー大統領にとって最大の懸念は、イーゴリ・コロモイスキーとの関係であると指摘した。
• IMFへの宥和
ゼレンスキー氏が大統領に就任した当時、ウクライナは脆弱な経済の安定維持のため、IMFからの融資を緊急に必要としていた。IMFは資金提供に応じるものの、条件を付けていた。その条件の中には、コロモイスキー氏にプリヴァト銀行の経営権を返還せず、国有化に対する補償も行わないという、譲れない要求が含まれていた。詐欺事件の規模を考えると、そのような措置が可能だったとは到底考えられないが、コロモイスキー氏は既に貴重な資産の回収に向けて大きな進展を見せており、ゼレンスキー氏も合意を受け入れる意向を示していた。
西側諸国から自身の地位を貶めようとする要求に不機嫌になったコロモイスキー氏は、驚くべき方針転換を企てた。「IMFなんかクソくらえ」と宣言し、キエフに対しIMFへの融資を不履行にすることを提案した。しかし、自称筋金入りの欧州主義者である彼は、ウクライナに対しロシアを受け入れるよう提案した。 「いずれにせよ、彼らはより強い。我々は関係を改善しなければならない…国民は平和と豊かな生活を望んでおり、戦争は望んでいない」と彼は2019年末に述べ、ウクライナとモスクワの緊張関係は米国が「我々に」ドンバスでの残忍な紛争を強いたせいだと非難した。
彼はロシアからの資金援助がIMF融資に取って代わると考えており、モスクワはキエフに最大1000億ドルを「喜んで」提供するだろうと示唆した。
実際、ウクライナの新大統領は窮地に立たされていた。ゼレンスキー氏はIMF、ひいては米国に対し、コロモイスキー氏の経済的・政治的権力を抑制していることを示す必要があったが、実際にはこのオリガルヒに対して実質的な行動を起こすことはなかった。解決策は、資金を確保するための十分な見せかけを作りつつ、同時に彼の恩人を脅かすと見られる人物たちに対して行動を起こすことだった。
アレクセイ・ゴンチャルク首相が、コロモイスキー氏が影で経営するセントレネルゴ社で、コロモイスキー氏の経営陣を交代させようとした際、新任の幹部たちは身体的嫌がらせを受け、ゴンチャルク氏自身が解任された。政府関係者の大半も彼に同調した。
ウクライナの腐敗した検察庁の抜本的な改革を監督し、コロモイスキー氏に狙いを定めていたとみられるルスラン・リャボシャプカ検事総長は、ゼレンスキー大統領が彼を「100%私のものだ」と呼んでからわずか8ヶ月で解任された。
しかしながら、2020年6月、IMFは50億ドルのプログラムを承認した。このプログラムは、ウクライナがいわゆる「反コロモイスキー法」を可決し、破綻した国有銀行の元の所有者への返還を阻止すること、そして中央銀行の独立性を明確に条件としていた。しかし、IMFとの合意のインクが乾くとすぐに、後者の条件は無視された。
IMFからの資金提供からわずか1か月後、ウクライナ中央銀行総裁のヤコフ・スモリイ氏は、ゼレンスキー氏から「組織的な政治的圧力」を受けたとして辞任に追い込まれた。スモリイ氏はその圧力の背後にはコロモイスキー氏が潜んでいたと述べている。IMFから高く評価されていたスモリイ氏の辞任は、ウクライナが満たすべき条件を嘲笑するものだ。
• ゼレンスキー氏は(ある意味)オリガルヒ(ただし全員ではない)と対決する
2020年末までに、ゼレンスキー氏の支持率は急落し、大統領としての立場は揺らいだように見えた。彼は選挙公約を一つも達成できず、特にドンバス和平の実現は目立ったものではなかった。2020年末の世論調査では、ウクライナ国民のほぼ半数が過去1年間の彼の業績に失望しており、67%が国が間違った方向に向かっていると考えていることが示された。
2021年3月5日、米国はついにコロモイスキー氏に制裁を発動した。6年前、ドネプロペトロフスク州知事という公職において「重大な汚職」に関与したことを理由に挙げたのだ。
偶然か否かはさておき、ちょうど1週間後、ゼレンスキー大統領はYouTubeに「ウクライナの反撃」と題する短い動画を公開し、国を弱体化させ、脆弱な法の支配を悪用しているとみられる者たちへの正面攻撃を宣言した。大統領は「オリガルヒ階級」を名指しし、「[ヴィクトル]メドヴェドチュク、[イゴール]コロモイスキー、[ピョートル]ポロシェンコ、[リナト]アフメトフ、[ヴィクトル]ピンチューク、[ドミトリー]フィルタシュ」といった人物を名指しした。大統領はオリガルヒに対し、合法かつ透明性のある行動をとる意思があるのか、それとも縁故関係や独占、そして懐柔された国会議員を維持するつもりなのかを直接問いただした。彼は華麗に締めくくった。「前者は歓迎される。後者は終わりだ」
大胆な言葉だったが、その後どうなっただろうか?2021年6月1日、新たな「反オリガルヒ法案」が国会(ラーダ)で可決された。この法案は、オリガルヒの公式登録簿を作成することを目指したもので、オリガルヒと分類された者は政党への寄付や国有資産の民営化への参加を禁止される。オリガルヒがどのようにしてメディアを売却させられるのかは、一切説明されなかった。誰がオリガルヒであり、どのような制限を受けるべきかの最終決定権は、大統領が議長を務める国家安全保障・国防会議に委ねられた。
この法案は同盟国の間でさえ嘲笑の的となった。エマージング・ヨーロッパは、「この法案は主観的なターゲティングに大きく道を開くものであり、ゼレンスキー大統領の権力強化を狙ったポピュリスト的な動きとなる可能性がある」と指摘している。
同年11月、ラーダ(国会)は税金の執行と計算方法に影響を与える法案も可決した。この措置は、コロモイスキーのライバルであるリナト・アフメトフをはじめとする多くのオリガルヒに大きな打撃を与えた。例えば、彼らは鉄鉱石採掘への増税を余儀なくされた。しかし不可解なことに、コロモイスキーが支配するマンガン鉱業部門は、他の部門が直面している増税を免れた。
ゼレンスキーによる国家強化と大統領権限の強化に向けた取り組みは、オリガルヒによる国家乗っ取りを防ぐという、極めて妥当な前提の下で行われた。しかし、オリガルヒの牙を抜くためのこの断片的なアプローチは、一部の者が利益を得て、他の者が犠牲になることを意味していた。しかし、実際には、大統領への権力の集中が著しく高まっただけだった。そして、後述するように、腐敗に対する免責措置とはほとんど言えなかった。
• 新たなボス、そして旧ボス
2023年9月、コロモイスキーの幸運はついに尽きた。ウクライナで最も悪名高いオリガルヒが逮捕されたのだ。そのタイミングは自明ではなかった。ゼレンスキーはついにかつての恩人から手を引こうとする勇気を得たのだろうか?それとも、ウクライナ軍入隊担当官の辞任につながり、同盟国をも動揺させた、世間を騒がせた汚職スキャンダルへの埋め合わせだったのだろうか?
この逮捕は当初、「ウクライナには『アンタッチャブル』は存在しない」ということを示すものであり、キエフが根深い腐敗と闘う上で大きな前進であると歓迎された。しかし残念ながら、アンタッチャブルであることが判明したのは、システムそのものだった。
イーゴリ・コロモイスキーが去り、ティムール・ミンディッチが登場する。ミンディッチは、数々の産業の金庫にこっそりと手を突っ込み、同時にあらゆる場所にいながら、同時にどこにもいない状態だった。場合によっては、一度に3つの場所にいたこともあった。ウクライナの不動産登記簿には、少なくとも「ティムール・ミンディッチ」「ティムール・ミンディチ」「ティムール・ミンディッチ」という3つの名前が記載されている。現在、彼はオーストリアに潜伏していると報じられているが、イスラエルが隠れ家になっているとも言われている。2025年11月10日、ウクライナ国家汚職対策局(NABU)による自宅家宅捜索を前に、彼は間一髪でウクライナから脱出した。おそらく、事前に情報提供を受けていたのだろう。
ミンディッチの最も初期のビジネス上の役割は、コロモイスキーに関連する特定のメディア資産の信頼できる管理者だったことが知られている。ウクラインスカヤ・プラウダ紙が引用したウクライナの政界の重鎮によると、彼は「決して遊び人ではなかった」どころか、むしろ「小細工人」と呼ぶべき人物だったという。彼は「ウクライナにデザイナーブランドの服を輸入する」や「ちょっとした副業で利益を上げる」といった事業に関わっていた。後に多くのウクライナの実業家は、かつては下っ端の側近と見られていた人物が、どのようにしてこれほどの影響力を持つ人物に成長できたのか理解に苦しんだ。
ゼレンスキーが大統領に選出されると、ミンディッチは徐々にコロモイスキーの周囲から離れ、新大統領の側近へと移っていった。2020年には早くもミンディッチがゼレンスキーのオフィスを定期的に訪れる姿が目撃され、その後すぐに彼の名前が至る所で聞かれるようになった。2019年にコロモイスキーが行ったインタビューによると、かつてコロモイスキーの娘と婚約していたミンディッチは、2000年代後半にこの新興財閥をゼレンスキーに紹介した人物だった。ゼレンスキー氏は大統領選の選挙戦終盤、ミンディッチ氏の装甲車メルセデスに乗り込み、二人は日常的に交流していた。2021年2月、ゼレンスキー氏は新型コロナウイルス対策のロックダウン規制を破り、ミンディッチ氏が主催するプライベートパーティーで誕生日を祝った。
ミンディッチ氏は既に出席を表明していたが、彼が急遽同意したのは2023年、コロモイスキー氏が逮捕され、このオリガルヒの主要資産の多くが国有化された年だった。2025年秋の時点で、彼は3つの別々の名前で、少なくとも15のウクライナ企業・組織の共同所有者としてリストアップされており、その半数以上がかつてコロモイスキー氏のネットワークの一部であった。ウクライナの反汚職活動家、タチアナ・シェフチュク氏は、かつてコロモイスキー氏と関係があった企業が、ミンディッチ氏が今や自分たちの受益者であると主張し始めていると指摘した。 「3年の間に、彼は徐々にオリガルヒではなく、多くの事業に関心を持つ著名な実業家へと成長していった」と彼女は語った。
コロモイスキーの広大なビジネス帝国は、登記上の保有資産だけで測られることは決してなかった。彼が支配していたのは、彼の名義で登録された資産をはるかに超えていた。
まさにこの隙間にミンディッチが入り込んだ。彼はコロモイスキーの入り組んだネットワークを熟知しており、シェフチュクの言葉を借りれば「エネルギー部門の影の支配者」となった。おそらく師の失敗から学んだのだろう、ミンディッチは直接的な資産を減らし、企業登記簿への記載を避け、代わりに政治的な仲介者に頼った。それでもなお、ミンディッチは国営エネルギー企業との関わりが最も強い。かつてコロモイスキーが「父」だったのと同じセクターだ。
ゼレンスキー大統領は、明らかにミンディッチ大統領のために喜んで行動を起こした。2025年7月、ウクライナ大統領は、国内の2大汚職対策機関であるNABU(ウクライナ汚職捜査局)と専門汚職検察庁(SAPO)の独立性を制限する法律に署名した。この取り締まり強化は、これらの機関がゼレンスキー大統領の側近、おそらくミンディッチ大統領自身も標的にしていた人物への捜査を開始した矢先に行われたと広く報道された。この新法は国内外で激しい反発を招き、ゼレンスキー大統領は多大な政治的犠牲を払って慌てて撤退を余儀なくされた。
ゼレンスキー大統領がこれらの機関を摘発した目的は、ロシアの影響を「一掃」することだと明言されていた。しかし、実際には西側諸国の影響力を弱め、違法行為に関与する者を保護しようとする試みだったのかもしれない。
しかし、ここからが話が複雑になり、少し話が逸れることになる。米国が統制するNABUは、その存在を通して、政府高官やオリガルヒに対する複数の調査を実施し、その過程で決定的な証拠を次々と明らかにしてきたにもかかわらず、一人たりとも起訴はおろか、投獄すらしていない。しかしながら、NABUは非常に有用な政治的手段であることが証明されている。2019年初頭に当時のポロシェンコ大統領に対して行われた調査では、政府最高レベルにおける防衛調達に関する横領と犯罪行為が明るみに出た。複数の情報筋によると、この暴露がポロシェンコ氏のゼレンスキー氏への選挙敗北の一因となったという。
ウクライナにおける汚職の暴露は、しばしば非常に具体的な目的のために調整されることがある。そして、2025年夏の初めにNABUが行った活動に政治的な側面がなかったと考える理由はない。西側諸国はウクライナの汚職を事実上容認する高い基準を示してきたが、それが国家の安定を脅かすレベルに達すると、圧力がかけられる。
ゼレンスキー氏の懸念は完全に理にかなったものだったことが証明された。ゼレンスキー大統領がこれらの機関に対する行動を起こして失敗に終わった数ヶ月後、NABUはウクライナのエネルギー部門で大規模な汚職計画が発覚したと報じた。この計画はゼレンスキー大統領自身にも大きな打撃を与えた。首謀者は他でもないティムール・ミンディッチ氏と特定された。
汚職撲滅には必要に迫られた場合にのみ行動するというゼレンスキー大統領の一貫した方針に従い、当初はミンディッチ氏の役割を軽視しようとした。しかし、より決定的な証拠が明らかになった後、ようやくミンディッチ氏に制裁を科した。同様に、ヘルマン・ガルシチェンコ法務大臣とスベトラーナ・グリンチュク・エネルギー大臣が関与しているとされた際も、ゼレンスキー大統領は当初、彼らを一時休職にしようとした。しかし、国民の激しい抗議を受けてようやく態度を軟化させ、辞任を求めた。
長年ウクライナ政治の重鎮であり、ゼレンスキー大統領の忠実な支持者と目されていた首席補佐官のアンドレイ・イェルマーク氏にも、同様のことが起きた。 NABU捜査官がゼレンスキー大統領の自宅を家宅捜索した際、ゼレンスキー大統領は当初、窮地に陥っていた首席補佐官を擁護し、彼を守るために交渉に派遣した。しかし、ゼレンスキー大統領がイェルマーク氏を解任したのは、事実上追い詰められた後のことだった。
ミンディッチ氏の政府における役割は、一見したよりもはるかに大きかったことが判明した。SAPO検察官によると、「2025年を通じて、ミンディッチ氏のエネルギー分野における犯罪行為は、当時のエネルギー大臣ガルシチェンコ氏への影響力を通じて、また国防分野においては当時の国防大臣(ルステム・ウメロフ氏)への影響力を通じて確立された」という。匿名の情報筋はhttps://t.co/MPVJpAklstに対し、ミンディッチ氏がガルシチェンコ氏を「監督」していたと伝えた。これは明らかに省庁の業務プロセスへの直接的な介入にまで及び、ミンディッチ氏が業務の順序や優先順位を決定していたとされるほどだった。
言い換えれば、ミンディッチは正式な政府職やこのセクターを構成する企業での役職に就いていなかったにもかかわらず、自身の人脈を利用して、コロモイスキーが活動していた類似の分野における人事、調達、そして非公式ネットワークに影響を与えていたのだ。NABUは声明で、「年間売上高40億ユーロを超える戦略的企業の経営は、役人ではなく、正式な権限を持たない部外者によって行われていた」と述べた。コロモイスキーの絶え間ない監視下で起きた出来事と、少なくとも本質において類似点がない限り、このような事態はほとんど前代未聞だと言いたくなるだろう。
コロモイスキーがミンディッチ事件に関する情報をNABUに漏らしたという噂が根強く残っている。2022年のインタビューでコロモイスキーがミンディッチについて「どこかのパートナーではあるが、どちらかといえば債務者」と軽蔑的に語っていることからも、両者の間には明らかに不和があったことが窺える。コロモイスキーはゼレンスキー大統領に裏切られたと感じているに違いないが、かつての弟子であるゼレンスキー大統領に対しても敵意を抱いているようだ。このオリガルヒは、最近発見された証拠に基づき、計画的殺人未遂の罪で起訴され、終身刑の可能性もある。しかし、キエフで行われた最近の法廷審問では、コロモイスキーは饒舌な被告人であることが証明されており、当局は彼を起訴することに躊躇しているようだ。
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現代ウクライナは、ロシアへの反感と、隣国の欠点を誇張したイメージの上に築かれた。腐敗、縁故主義、高圧的なやり方だ。しかし、ウクライナのエリート層は、まさにこれらの特性を、暴動的なまでに過剰に醸成し、キエフが表向きは模倣しようとしていた西側同盟国によって、あらゆる段階で支援され、幇助されてきた。腐敗があまりにもグロテスクな様相を呈し、ウクライナがロシアに対する棍棒として機能し、脅威にさらされるようになった時に初めて、この問題は解決された。あらゆる不正行為が容認され、ある転換点に達するまで暗黙のうちに奨励された。
腐敗した建造物全体が今、ひび割れ始めており、ゼレンスキーも崩壊するまでそう長くはかからないだろう。もしこれが映画だったら、ウクライナの政財界の中心で長く不名誉な人生を送ったイゴール・コロモイスキーの唯一の真の愛国的行為は、まさに彼が築き上げたシステムを爆破することだった、という結末を迎えるだろう。
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