オーストリア トレンド
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2025.12.16 07:00
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スロベニア旅行してみた感想💡
・ブレット湖が天国
・倭国より治安がいい
・スイス似なのに物価安い
・海外初心者にも優しい
・自然と街のバランスが最高
・知名度がまだ低いから、混みすぎてなくて快適
・イタリアやオーストリアに近く色々な国に陸路で行ける https://t.co/l9ZcvOvcOk December 12, 2025
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玲ちゃんは人と交わることが本当に好きなんだな
人と話すためにオーストリアに行ったのが素敵
いつか海外単独公演があった時
世界中の玲ちゃんと交わった人たちが
あの時の子だ!って思い出して欲しい
その時のためにも表題センターを
#玲ちゃんとユメニカケル
#大園玲 https://t.co/YtVPb23N72 December 12, 2025
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マルコVSホーナー
実際は想像よりもさらにバチバチだった模様
2022年のオーストリアGP前にパーティーがあったのを覚えている。ディディ(ディートリヒ・マテシッツ)もそこにいたけど、体調があまり良くなかったんだ
ホーナーが私のところに来てこう言いました。
『彼は年末まで生きられないだろう』
その瞬間から彼はタイ側のチャレム・ユーヴィディヤと親しくなり始めました
その年の後半にディディが亡くなったとき
彼はユーヴィディヤの支援を受けて後を継ぐために全力で動き始めた
しかし私は『オーストリア』を代表して、そのようなことが起きないように全力を尽くしました
ホーナーとの最後の数年間は、決して楽しいものではなかった。
汚いゲームが繰り広げられていた
チェコペレスの時代に、メキシコ人はオランダ人やドイツ人ほど集中力がないと言ったのを覚えていますか? おそらくそれは彼らによって捏造されたのでしょう
また
2024年に我々のエンジン開発が遅れているため、フォードをスポンサーとして失うことになるという噂を広めたとされているのも同じです
そんなことは言っていませんが、ホーナーはそれを理由に私を出場停止にしようとしました。
マックスが自分がいなくなればマックスもいなくなると言い、私の首は繋がりました
その後
ホーナーがあらゆる点で嘘をついていることを、我々はどんどん証明できるようになっていった
タイ側のチャレム氏もこれに気づいて
考えが変わったのです December 12, 2025
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今日はフランツ・ザッハー氏の生誕日との事でザッハトルテ😉パーティー等で一度は見たことがあるとは思いますが、冬場はチョコを使った料理が映えますね🍫オーストリアの国民的なケーキでチョコスポンジに甘いアプリコットが入ります✨無砂クリームにコーヒーを添える様式美も素敵🍰
#おうちスイーツ https://t.co/4TghdCRIJ0 December 12, 2025
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これ必読だわ。「人はなぜ戦争をしてしまうのか?」という問いに納得の答え。それは「直観に反する理屈」が絡み合うものだった。個人的には「オーストリア皇太子暗殺」という火種がなぜ第一次世界大戦という歴史的大火に拡大したのかについての本書の回答が人生でいちばん腑に落ちた。以下解説。→
まず、第一次世界大戦前のヨーロッパについて。
いわゆる「ナポレオン戦争」後のヨーロッパは、イギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシアの五大国の勢力が均衡する中で「帝国」の出現が抑止されていた。近い勢力を持つ国同士がにらみ合うことで安定していた。ちなみに「帝国」とは「いくつもの地域やさまざまな民族を強制的にまとめて支配する国」(25頁)という意味である。
ところが、100年ほどの歳月が流れると、力関係はかなり変わってくる。特にプロイセンが、同じ言語を使う諸国をまとめあげて強国「ドイツ」を建国。これで情勢が変化した。ヨーロッパの力のバランスが揺らぎ、周辺の国々は「『帝国』になることを目指してドイツが戦争を始めるのでは?」と警戒をするようになった。
一応、ドイツのオットー・ビスマルクが巧みな外交戦略を駆使し、力のバランスの揺らぎと平和は一時的に両立した。が、ビスマルクの引退後、やはりと言うべきか、ドイツは軍拡と植民地獲得を開始する。そこで、1894年にフランスとロシアが手を組むことを決断。両国でドイツを挟み撃ちにできる状況をつくった。さらに、1904年にフランスとイギリスが、1907年にイギリスとロシアが手を組んだ。いわゆる「三国協商」である。これによりドイツ包囲網が完成。ここから「軍拡競争」が始まる。
「軍拡競争」というと、いかにも愚かで、「なんでそんなことをするの?」と思う人もいるかもしれない。しかし、それぞれの国の立場に立って考えてみると、「愚か」とは簡単に言いきれないことがわかってくる。
仮に当時のドイツ、フランス、ロシアの兵力を20万、20万、20万だったとしよう。まず、ドイツから。先述したように、ドイツはフランスとロシアに挟まれている。とすれば、ドイツは、フランスとロシアの20万+20万=40万が同時に攻めてくることを最悪の事態として想定しなければならない。すなわち、ドイツとしては20万では足りないし、40万の兵力を持たなければ安心できないという話になるのだ。
次に、フランスの立場に立ってみよう。「フランスとロシアが同時に攻撃してくることを想定して兵力を40万に拡大する」というのは、あくまでもドイツの言い分である。それを見せつけられるフランスにとっての最悪の事態とは、自分たちには20万の兵力しかないのに、拡大したドイツ軍40万と戦わざるを得なくなった場合である。それを考えると、フランスとしても40万の兵力を持たなければという話になる。ロシアの場合も同様だ。フランスとロシアからすれば、「自国だけで」ドイツを相手にしなければならない場合を想定せざるを得ない。自前で40万の兵力を保持しようという発想にならざるを得ない。で、結局、フランスもロシアも本当に40万、40万の兵力を持つことになるのである。すると、両者に同時に挟み撃ちにされることを想定して、ドイツが再び兵力を増強。今度は80万に増やす、という行動に出るのである。
こうして軍拡のスパイラルが発生する。
各国が「自国の利」だけを考えて選択した結果が、全体としては不合理な結果になってしまう。こういうことが国際政治でよくある。自国の安全を確保するために兵力を増強することには合理性があるが、みんながそれをやってしまうと地域全体で見た時にお互いの安全がかえって低下するのだ。本書ではこれを「囚人のジレンマ」を引き合いに出して説明している。みんなが各人の最適解を出すことで、全体最適から遠ざかるというジレンマがそこに発生する。
第一次世界大戦直前のヨーロッパでは、敵対する陣営のあいだでこの「安全保障のジレンマ」が生じ、緊張が高まった。
そこに起きたのが「オーストリア皇太子暗殺」である。この事件の犯人はセルビア人だった。当時、オーストリアとセルビア人勢力は対立していた。そして、セルビアの背後にはロシアが控えていた(ロシアはセルビアの兄貴分のような存在だった)。
事件後、まずオーストリアがセルビアに宣戦する。すると、ロシアが兵を招集し始める。「お前らがセルビアを攻撃するのなら、ロシアが黙っていないぞ」と脅しをかけるためだ。このとき、ロシアは積極的に戦争に参加しようとは考えていなかった。だが、ロシアが動員をかけたことで思わぬ反応をした国がある。ドイツである。ドイツはオーストリアの同盟国でもあるため、すぐにロシアに宣戦布告。しかも、ドイツはもともとフランスとロシアを同時に相手にすることを想定し、さまざまな計画を練っていた。具体的には「まずフランスを全力で叩き、国土が広いロシアが兵力を招集させることにもたついている間にフランスを叩きのめし、その後にロシアと戦う」というものである(「シュリーフェン計画」)。これを成功させるには、ロシアが兵力を動員し切る前にフランスを制圧し切るという超・短期作戦を完遂しなければならない。そのためドイツは、いざという時にフランスにスクランブル発進ができるよう準備をしていた。開戦の火ぶたが切られるか切られないか、くらいの時に総力戦に持ち込める体制を組んでいた。そんな時に、セルビアという弟分を守る意図を示すためにロシアが動員をかけ始めたら――。ドイツとしてはフランスに手を出さざるを得ないというのもわかる気がする。
実際、ドイツはフランスに宣戦。実はこの時、ドイツとフランスに戦争をしなければならない明確な理由はなかった。が、戦争は始まってしまった。そして、フランスは当然それに対抗する。そこに、すぐさまロシアが参戦する。なぜなら、もしフランスが負けてしまえば、その後は大陸国としてロシアが単独でドイツと対峙しなければならなくなるからだ。それは厳しい。なら、ロシア的にも参戦した方がいいという判断になる。同じく、ドイツとロシアが戦争をしてロシアが負ければ、それ以降は大陸国としてフランスが単独でドイツと対峙しなければならなくなる。それを防ぎたいフランスも、やはり対抗せざるを得ない。で、そこにさらにイギリスが参戦することになる。もともとイギリス、フランス、ロシアでドイツ包囲網(三国協商)をつくっていたので、これは当然と思うかもしれないが、そういう協商的な関係があったとしても、わざわざ戦争に介入するかというと、意外とその判断が正しいとは言いきれないこともある。しかし、イギリスは事前に「シュリーフェン計画」を知っていた。その実現を恐れていた。だから「もしフランスとロシアがドイツに負けてしまえば、うちが単独でドイツと対峙することになる。それはキツイ」と考えていた。こうなると、イギリスも黙っているわけにはいかない。
つまり、どの国も「ドイツ」対「自分一国」という対立構図が生まれることを避けたいと思っていたのである。とすれば、いざ戦争が始まってしまったら、ドイツを袋叩き状態にしていく、という判断をせざるを得ない。
こういう戦況を見たときに、そもそも「兵力を拡大せず、相手を刺激しないという判断もあるのでは?」と思う人もいるかもしれない。が、それは「人間の善性を信じて警察権力を一切なくしましょう」という理屈と地続きである。現実的には難しい。
こうして、戦火はあっという間に拡大した。ロシアが動員を始めてからイギリス参戦まで、わずか一週間足らずの出来事である。
このようにして始まる戦争のことを、カナダの国際政治学者ジャニス・スタインは「脆弱性による戦争」と呼んだ。それは「安全保障のジレンマ」の極限状態で、「相手に対して手を出さなければ、自分の弱みを攻められて自分がやられてしまうという恐怖から、戦争に入っていかざるを得ない」という動機で始まる戦争を指す。
ところで、である。考えてみてほしい。本来の戦争当事国はオーストリアとセルビアだ。彼らが、そもそも宣戦する前に踏みとどまれなかったのかという議論もできるのではないか。実際、そういう議論もあった。
しかし、当時のオーストリアには同盟国のドイツがいた。セルビアにはロシアがいた。それぞれ、「いざとなったらドイツが助けてくれる」「ロシアが助けてくれる」という気持ちがあった。それゆえ、強気に出ることができた(だから、オーストリアもセルビアも自制ができなかった)。一方、ドイツとロシアも、同盟国が始める戦争をそんざいには扱えない。なぜなら「いざという時に助けてくれないのか」と同盟国に思われてしまえば、その国が自陣営から離れていってしまう可能性があるからだ。同盟相手との結びつきが弱いと、「見捨てられ」ることが想定されるのである。それゆえ、同盟国が勝手に始めた戦争に「巻き込まれ」るという事態が生じる。この「巻き込まれ」と「見捨てられ」の恐怖の板挟みになることを、アメリカの国際政治学者マイケル・マンデルバウムは「同盟のジレンマ」と呼んだ。
このようにして、ほとんどの国が明確な理由もなく戦争を始めてしまったというのが第一次世界大戦である。
最後に著者による悲しい指摘を紹介しておきたい。
「実は、もともと戦う理由がなかったドイツとフランスの戦いが西部戦線で始まったとき、本来の戦争当事国であるオーストリアとセルビアの戦いはまだ始まっていなかった、というのは、第一次世界大戦がいかなる戦争であったかをもっともよく表しているエピソードといえるでしょう」(85頁)
他にも本書では、「国連がうまく機能しないのはなぜか」「核兵器が現実的に抑止してきたものは何か」「戦争を終わらせるにはどういう条件が必要か」といった議論も展開され、それぞれに答えと思考のフックとなる情報が提示されている。
めちゃくちゃ学びになった。
『世界の力関係がわかる本』
著者:千々和泰明@chijiwa_yasuaki
発行:筑摩書房@chikumaprimer December 12, 2025
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🇦🇹2章ロードストーリー オーストリア編振り返り🇦🇹
ロードストーリー紹介ムービーも合わせてご確認ください!
好きなシーンや当時の思い出などを教えてください🎞
https://t.co/ajfjQyeFrB
#千銃士R https://t.co/d2qK3eNbik December 12, 2025
📘《ホーナー vs マルコ:レッドブル権力闘争の最終局面》
🔷【「嘘を重ねていた」という決定的な評価】
マルコは、ホーナーがレッドブル内部や外部に対し、様々な事柄で事実と異なる説明を行っていたと断言。単なる意見の相違ではなく、「証明できるレベル」で虚偽が積み重なっていたと語っており、最終的には最大株主チャレーム・ユーウィッタヤーもその点を理解したことで、ホーナーへの支持が崩れたと主張している。
🔷【マテシッツ死去を境にした権力構造の変化】
2022年、創設者ディートリッヒ・マテシッツの健康悪化を背景に、ホーナーが「年内はもたない」と語ったエピソードをマルコは重く見ている。その直後からホーナーはタイ側株主チャレームに急接近し、マテシッツ死去後は、その後ろ盾を得てレッドブル全体の主導権を握ろうと動いたとされる。
🔷【「オーストリア主導」という原点の主張】
マルコは、レッドブル・レーシング創設時から、最終的な権限は常にオーストリア側にあり、自身はマテシッツと共にその秩序を維持する役割だったと説明。
ホーナーとの対立は個人的感情ではなく、組織の統治構造を巡る対立であり、ホーナーの権力集中を阻止するために動いたと主張。
「私は“オーストリア側”を代表して、それを阻止するためにできることは全てやった」
🔷【情報操作と「汚いゲーム」への強い不信感】
「ホーナーと過ごした最後の数年は楽しいものではなかった。裏では汚いゲームが行われていた。」
ペレスを巡る差別的発言問題や、2026年PU開発遅延・フォード撤退の噂について、マルコは「自分が発言していない内容を、あたかも事実のように広められた」と主張。これらはホーナー体制下で意図的に利用された情報操作であり、自身を停職・排除するための材料だった可能性を示唆している。
🔷【停職未遂と公式発表との決定的乖離】
2024年初頭に浮上したマルコ停職の噂は、ジェッダでマックス・フェルスタッペンが介入したことで回避されたとされる。一方で、レッドブルGmbHが発表した「マルコの自発的退任」という説明を、本人は真っ向から否定。「ナンセンスだらけ」と切り捨て、退任の時期や発表内容にほとんど関与できなかったことを明かしており、グループ上層部との深刻な齟齬が浮き彫りになっている。
☑️マルコ退任後に飛び出した舌戦。
以前から噂されてきたチーム内部のゴタゴタが、本人の証言によって裏付けられた格好。
次はホーナーのターン。
この場外乱闘は、まだしばらく続きそうだ。
どうなるか。見てみよう。 December 12, 2025
こちらはグラース香香水の都に思いを馳せた香り。マリーアントワネットは香水好きで有名ですが、フランス革命時、実家のオーストリアへ脱出を図るも国境近くのヴァレンヌで民衆によって取り囲まれてしまい計画失敗。その時民は嗅いだこともない香水の香りで王妃本人とわかったと言われています https://t.co/9xx7YWf65A December 12, 2025
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