雄太 スポーツ
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2025.12.15 13:00
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かもめマシーン「南京プロジェクトvol.6」第一部、つまり上演本編では、妊娠した女性とそのパートナーと思しき人物がふたりでゆったりラジオ(各地の天気予報)を聴きつつお茶を飲む(ノンカフェイン?)なかに、黒電話が何度も鳴り、「南京事件」をめぐるテキストが引用される(読み上げないしは投影)。伊丹万作の戦争責任をめぐるテキストや、倭国兵に親族が虐殺された中国の方の証言、外務省のQ&A、安倍晋三元首相の70年談話など。なかでも特に中国の方の証言は、最後に主語や文末が書き換えられた上で、観客に向けて呼びかけるかたちで読み上げられる。この点について、第二部「座談会」で萩原雄太
さんが、ワイツゼッカー演説などを引用するか悩んだといったようなはなしと絡めながら(と私には聞こえた)、この身がどう証言を引き受けるかという点に重きを置いた、という話をしていた。これは作品の構造とも重なっている。つまり、国家の代表ではなくあるひとつの平穏な一家の人々が、重い戦争をめぐる言葉を思い出し、それを聞く、あるいは発話すること。それは国家を代表しての謝罪や代弁というより、ある一個人として行なわれている。
と同時にやはり明らかにこの作品は「倭国人」が主体的な存在として取り扱われているとも思う。舞台上には、まったく自身と別世界の、私と無関係ななにかのことを引き受けている者の体ではなく、国家やその歴史をも引き受けている者の体があったと思う。(いや、それは作り手側のプロセスや上演される場所、セレクトされたテキストの傾向などからそう見えているだけではないか?ということももしかしたら可能かもしれないが……少なくとも作品の構造としては舞台上の体は「倭国人」として演出されていたと思う)。
はたして「国家や歴史を負った者としての謝罪を行なう体」と、「過去の悲劇を引き受ける体」は、どう違い、あるいは違わないのか。露骨に言い換えて仕舞えば、村山談話を読み上げる村山富市と、それを舞台上で読み上げ涙する者の体は、どう違うのか。いや社会的効果の違いはあれど「身に起こっていること」の方向性としては同じなのか?
……そんなことを考えたりしていた。
あとは、舞台上の人々の暮らしの設定が明らかに現代でも未来でもなく過去であることも、これは良くも悪くもな気がするが、重く感じられた。それこそ、かれらは「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたち」(70年談話)のようにはあまり見えない。ということが上演として持つ意味。 December 12, 2025
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