隈研吾 トレンド
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2025.11.26 07:00
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じゃー、デザイナーは上流やコンサルにいくべきだというのは、やっぱり悪手だと思う。
昨今の Google のアプデや画像生成まわりの進化で、「ゲームルールが変わったな」というのはほぼ自明になった。今に始まった変化の兆しではないけれど、ここまで来ると焦る気持ちもすごくよくわかる。
そもそも、本来の順番はシンプルだと思う。まず実行で成果を出すからこそ、顧客は「どうやってその成果物にたどり着いたのか」というプロセスにも興味を持つようになる。
そこからようやく、「今度はもう少し上流から相談させてくれないか?」という流れになるのが一般的だし、自然だ。この信頼の積み上げをショートカットして、肩書きだけ上流やコンサルに寄せていくのは、あまり正攻法とは言えない。
また、多くの人が言及するように歴史を振り返ると「つくることの民主化」が起きるたびに、むしろちゃんと作れる人/職能へのニーズが増えてきた。DTP や Illustrator が出て、誰でもそれっぽい印刷物を作れるようになった。デジカメとスマホで、誰でもそれなりに綺麗な写真が撮れるようになった。WordPress やノーコードで、誰でもそれっぽいサイトを立ち上げられるようになった。
それでも、読む人の目線まで含めて紙面を設計できる人、光や時間や物語を設計できる写真家、情報設計から運用まで含めてサイトを組める人は、必要とされ続けている。民主化が進むと、自分でそこそこ作れる人は増える。その結果、市場は広がるし、さらにどうしても自分では届かないところを埋めてくれる専門職の輪郭が、かえってハッキリしてくる。
AI とデザインの関係も、たぶん同じだと思う。
みんな AI でビジュアルやウェブサイトを作れるようになる。でもこれでいいやんってものもあれば、イマイチなものもめちゃくちゃ多い。
そのときに、「なぜイケてないのか」「どこが本質的にズレているのか」を言語化できる人の価値は、むしろ上がる。
個人的には、これからのデザイナーにとっては、
次の 1・2・3 が大切だと感じている。2 はちょっと難しいので、
ここではスキップ。
1.人と人の間の情報翻訳機能を担う(Human As a UI)
2.新しいプロトコル・世界観を生み出す
3.平均からの脱却
ここでいう
Human As a UI の「UI」は、人間が状況や相手の文脈に応じて、
・どの情報を取り出すか(何を見せるか)
・どのくらいの粒度で語るか(ざっくりか、ディテールまでか)
・どんなメディアで伝えるか(言葉/図解/レイアウト/プロトタイプ/ふるまい)
・どんなトーンで届けるかなど....
を、その場その場で温度感をもってインタラクティブに調整していく、人間が生きたインターフェイスとして振る舞う、というニュアンスに近い。
もしもデザイナーを抱える組織の方なら、顧客との接点の場に同席させることから始めるのが良いと思う。
下手に「上流設計をさせよう」といきなり役割を変えるよりも、まずは顧客との対話にデザイン的な観点を持ち込むのだ。顧客の言語化されていないモヤモヤを、その場でラフや図解にして見せる。エンジニアやビジネス側の前提を、顧客に伝わるストーリーや画面に翻訳し直す。
次に、平均からの脱却。
これは完全にハードモードだ。
ここ数年よく言われるAI時代に大切なのは「エッジケース」「異常値」「平均の外」ってやつの話でもある。
生成 AI は、平均的な出力を得意とする。「統計的にもっともそれっぽい」ものを、それなりのスピードでポンポン出してくる。
だからこそ、人間が担うべきは異常値の探索になっていくって話。
具体どうすればいいのか、一つ好きな例を紹介する。
建築家・隈研吾さんの事務所では、隈さんの建築物を学習させたモデルがあるようで、
事務所メンバーはその AI が出す複数出力とは異なるアイデアを出さないといけないらしい。
それが当たり前になっている、と。ここまでストイックにしないにしても、
常に AI にない回答を探索して、表現することを続けるのが鍵になる。
(私は同じ課題をAIと自分でよーいどーんして、AIに推論させている間に考えて、AIの回答と重複率が高いときは落ち込むようにしている。おすすめ。
また、外れ値をただ狙うだけのトンガリ野郎ではなく、他のベーススキルもAIで底上げされてることが戦場にたつ条件であることは忘れてはいけない。)
ここで、PhD(博士号)の有名な図解の話を思い出す。
大きな円が「人類の知識」だとして、最初はその縁に向かって少しずつ勉強していき、あるところまで行くと自分の専門分野という小さな領域ができる。さらにそこから先端まで進んでいって、最後に博士論文で、円の外側にちょっとだけ「ポコッ」と突起を作る。あの小さな突起こそが、「自分が世界に足したものですよ」という比喩になっている。
大袈裟にいうとそういう姿勢が求められる。
一方で、AI のアプデで「平均」となっていた水準がどんどん上がっているから異常値の探索はしんどいし、同時に人間が勝ちにくい・AI と共創しても価値が出しにくい領域がいくつか広がってきていることも事実だ。
例えばただ単にフレームワークや型に当てはめて、ちょっぴり思考・処理をしているだけの、量産型/準量産型ワークだ。
合理的に意味があることは、AI にとっても意味があることだから、陳腐化も速い。
ここで効いてくるのが、次の二つの筋肉だと思う。
・外れ値でも、合理性がなくてもビジョンを打ち出し、コミュニケーションして前に進めていく能力
・みんな AI でビジュアルを作れるようになる中で、「なぜイマイチなのか」を言い続けられる批評の力
合理的に意味があることは、これからどんどん AI によってコピーされていく。
だから、その手前で「これはまだ説明しきれないけど大事そうだ」「これは何か違う」という感覚をちゃんと抱え続けて、言葉や形にしていく人が強い。
そういえば、原研哉さんが「究極的にデザイナーは、何をデザインしたか明確に言えない。
何をしているかわからないが、この人がいるからうまくいくという存在だ。」という趣旨のことを言っていたなと思う。
これは、「アウトプットの一部」ではなく、場やプロジェクトそのものに対するビジョンと批評を提供する存在としてのデザイナーなのだろう。
ここまで読むと、「いや、結局こういうのって“上流スキル“の話じゃない?
本当にクラフトやってる人に、それができるの?」というツッコミもあると思う。
でも、むしろ逆で、これらの能力は、本気でクラフトをやってきた人だからこそ、自然と身についてしまう副産物だと感じている(もしくは十分な素養がある)。
長く手を動かしてきた人は、体感として知っている。その人は自然と、前の段階でモノを言わざるを得なくなっていく。「もっと早く相談してくれていれば、こういう事故は防げたのに」「もっとよくできたのに」と。
その延長線上に、「じゃあ、今後は最初から一緒に考えてよ」という上流っぽく見える役割がにじみ出てくる。
つまり、コンサル的に上流からこれができるのではなく、クラフトをやり切ってきたからこそ、上流ににじみ出てしまう、という順番だと思う。
そもそも、クラフトが楽しいからこの仕事をやっている人も多い。
そういう人たちに「これからは上流やコンサルに振り切れ」と言っても、心がついてこないし、続かないかも。
だから私は、
・無理に上流へ行き急がず、
・Human As a UI として人と人の間に立つ力を育てて、
・AI が得意な平均値の外側を取りに行くエッジの探索を続けて、
・民主化された世界でこそ必要になるちゃんと作れる職能を、自分なりに引き受けていくこと
このあたりが重要なんじゃないかっておもっている。 November 11, 2025
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【フリーペーパー】本日はJR西倭国"乗って、楽しむ、おでかけガイド"【西Navi】153をご紹介。"キラキラ きときと 富山へ"と、隈研吾による富山市立図書館本館が表紙の本号では、学生ガイドによる京都案内、北陸温泉旅、信越あったかグルメと。旅に誘われる。 https://t.co/WfTLB0tyDF November 11, 2025
人伝てに聞いた話しに尾鰭付けて装飾
斎藤知事を引き摺り下ろす事にマスメディアをも使った
【斎藤知事の節税策の県政】
❶問題の多い隈研吾氏の巨額県庁舎建て替えを白紙へ
❷県政治家、県職員幹部級の長期天下り廃止
❸巨額教育費の削減
❹巨額県事業の無駄への見直し
#悪政自民族の知事は要らない https://t.co/zLNx385PxZ November 11, 2025
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