関東大震災 トレンド
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2025.12.15 12:00
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今日は東京23区の南端、多摩川沿いの六郷水門にいってきました😁
1931年に竣工した水門はドイツ表現主義の影響を思わせる丸みを帯びた大柱が特徴。
金森式と呼ばれる中に鉄筋を配した煉瓦造は関東大震災の教訓から生み出されたもの☺️
何故か雨の日は水門が見たくなる不思議 https://t.co/0q6aBm3gR4 December 12, 2025
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おはようございます₍ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢ₎
今日12月15日月曜日は観光バス記念日。
毎年12月15日は「観光バス記念日」です。この日は、ちょうど100年前の1925年(大正14年)12月15日、東京乗合自動車(当時の運営会社は東京遊覧乗合自動車)によって、倭国で初めての定期観光バス「ユーランバス」の運行が開始されたことを記念して制定されたものです。
当時の東京では、1923年の関東大震災の影響で馬車や人力車に代わる交通手段としてバスが注目され、急速に普及し始めていました。そんな時代背景の中、登場したユーランバスは、皇居前~銀座~上野を巡るコースを中心に運行。ガラス窓から流れる東京の景色を楽しみながら、案内人が名所の歴史やエピソードを説明するスタイルは、娯楽の少なかった当時の人々にとって新鮮で人気を博しました。
ただし、ユーランバスは「観光」の名がついていたものの、実際の運用は路線バス扱いでした。途中下車が可能で、観光地から別の場所へ乗車する場合の運賃も設定されており、純粋な観光専用バスというより、近距離の観光スポットを結ぶ便利な交通手段として機能していたのです。この柔軟さが、庶民の日常的な利用を促進した一面もあります。
その後、ユーランバスは経営の変遷を経て戦時中に一時休止となりましたが、戦後には新倭国観光株式会社(現在のはとバス)に引き継がれ、東京観光の象徴として復活・発展していきました。現代のはとバスは、屋根のないオープンエアバスや夜景ツアーなど、多彩なコースで多くの人を魅了しています。
余談:倭国の路線バス事業の始まり
観光バスとは別に、倭国の路線バスの歴史はさらに古く、1903年(明治36年)9月20日に遡ります。この日、京都の二井商会が堀川中立売~七条駅および祇園間で乗合自動車の運行を開始したのが、倭国初のバス事業とされています(諸説あり)。この功績を記念して、9月20日は「バスの日」として制定されています。当時は車両の故障や道路事情の悪さから苦労も多かったようですが、これが今日のバス交通の基盤となりました。
観光バス記念日は、単なる歴史の1ページではなく、バスが人々の移動や観光を楽しむ手段として進化してきた道筋を振り返る良い機会です。機会があれば、現代の観光バスに乗って、当時の人々と同じように街の景色を眺めてみてはいかがでしょうか?
今日は月曜日‼️
12月もあと少し!頑張っていきますか!*.(*´͈ ˘ `͈*).*
#フォロバ100
#ブルバ100 December 12, 2025
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