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長野市
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2025.12.05 02:00
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【戦国の合戦】
中部地方の合戦
永正3年〜永禄12年(1506〜1569)
〚5〛砥石城の戦 ‐ 晴信、上田原の雪辱ならず‐
武田晴信 vs 村上義清
◆ 戸石崩れ 武田軍 未曾有の大撤退戦
しかし
天文19年(1550)9月23日 村上義清が 敵対抗争中であった 高梨政頼(たかなしまさより)と和睦し、共同して武田方の 寺尾城(長野市)に攻撃を仕掛けている という情報が 清野氏からもたらされ、その寺尾城の救援に 真田幸隆 勝沼衆 が向かいましたが 28日に 村上軍が 寺尾城の包囲を解いたために 真田も帰陣したのです。
9月30日 武田陣営では軍議が開かれます。
その内容は明らかではありませんが
おそらく
戸石城の攻略が ひと月程も経過した上に以前として攻略できてないこと。さらに
高梨軍と和睦した村上軍の後詰も予想されることについての内容だと 考えられます。
ともかく 軍議の結果、戸石城の包囲を解いて 一端退却することに決まりました。
翌10月1日 撤退する武田軍を追撃するように
村上軍が、攻撃を開始しました。
背後から追い討ちをうけた武田軍は
横田高松 小沢式部 渡辺出雲をはじめ 1000人余が村上軍に討ち取られ 大打撃を受けました。
村上軍の攻撃は夜になるまで続きました
武田軍は 雨中を撤退し その夜は望月に陣を張り 翌日諏訪へ帰陣します。
この武田軍の敗走は 世に「戸石崩れ」と言われ
『甲陽軍鑑』は この戦を評して
「信玄公の御代に一の無手際なる合戦」
あるいは
「晴信公御一代になき殿給ふ程の儀なり」
と、辛口に述べています。
—続ー December 12, 2025
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