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鈴鹿サーキット
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2025.12.02 07:00
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カワサキの赤とグリーン
★ カワサキはエンジンの専門メーカーではあったが、二輪は素人と言っていい段階からスタートした。
スタートの年に鈴鹿サーキットが出来て、倭国で初めてのロードレースが開催され、それを観戦した製造部の連中が、カワサキもレースをとスタートしたのがモトクロスの始まりである。
その時のレーサーのタンクが赤に塗られて、『赤タンクのカワサキ』の時代がスタートした。別に会社の決済などはなくて、自然に発生した『赤』だった。
倭国市場からのスタートだったが、1960年代末ごろには、アメリカ市場がメインとなり、デイトナ200マイルレースに出場するに当たって、当時の現地のアメリカ人が『ライムグリーン』のレーサーを出場させたのである。この『ライムグリーン』も会社の決済など受けていない。
当時私は国内の広告宣伝とレースを担当していたが、この分野の経験者は皆無で、全般に会社の決済などなしに、何となく何事もやれた『いい時代』だった。
当時の倭国でもロードレースに出場したが、金谷秀夫が乗りFISCOを走ったそのロードレーサーは赤だった。
当時、モトクロスにはホンダは出場していなくて『赤タンクのカワサキ』は、モトクロスレース時代だったのだが、ロードレースの世界では、ホンダのレーサーのタンクが赤だったので、レースを担当してた私は『まずいな』と密かに思っていたのである。
そんなとき、アメリカでのレーサーが『ライムグリーン』で登場し、製造部と広告宣伝課で担当していた『レース』も技術部に移管されたのである。
技術部では『レース』を百合草三佐雄さんが本格的に担当しカワサキのレーサーは『グリーン』となったのである。
更に、レーサーだけにとどまらず、市販車にもグリーンが多く使われるようになってカワサキの赤とグリーンは、カワサキの二輪事業の初期のこんな時代を経て、グリーンに定着することになったのである。
そんな初期の時代が懐かしいなと思っている。 December 12, 2025
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