選択的夫婦別姓 トレンド
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2025.12.10 04:00
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岡田ー朝鮮半島ー中国🤔なるほどねぇ。
半島→前田末吉・・・あ!(察し)
これを隠す為に立憲は選択的夫婦別姓しようとしてるんかな・・・。
【#平井宏治】イオン岡田一族の“禁断の秘密”を暴露
nihonno_mikata https://t.co/PDxxoSqyX9 December 12, 2025
2RP
ありがとうございます!
選択的夫婦別姓について、こうした解説をしているのは、国会議員の中でも、ここだけではないでしょうか。
民 法-実体法
戸籍法-手続き法
【現行法】
・夫婦の氏は一つ
「夫婦は、…夫又は妻の氏を称する」(民法750条)
・戸籍筆頭者
「氏名を記載するには、左の順序による」「第一 夫婦が、夫の氏を称する時は夫、妻の氏を称する時は妻」(戸籍法14条)
--
【高市案】
・旧姓を併記
(民法も戸籍法も改正しない)
→ ★ダブルネームになるという課題あり
【維新案】
・旧姓に法的効力
(民法は改正しない)
(戸籍法を改正して、戸籍の身分事項に旧姓(=通称として使用する婚姻前の氏)を記載して公証する)
→ダブルネームにならない
→ 他方で、★戸籍上の氏を使用不可とするため、旧姓使用を選択した配偶者の人格権を侵害することになる、との批判あり
→ 法律改正が煩雑だが、やれないことはない
-- ここまでは、夫婦同氏の原則を維持
【国民案】
・二つの氏
(戸籍上の氏に係る人格権を尊重する観点から、別氏を選択する場合には「各自の婚姻前の氏を称する」こととするが、民法に併せて「その一方を戸籍の筆頭に記載すべき者と定めなければならない」(民法750条)と規定し、民法上も二つの氏の順序(どちらが戸籍筆頭者であるか)を明確にする。子の氏について「戸籍筆頭者の氏を称すること」(民法790条1項)とすることは言うまでもない)
→ ダブルネームにならない
→ 旧姓使用を選択した配偶者の人格権を侵害することもない
→ 夫婦同氏の原則を修正することになるが、民法上も二つの氏の順序(どちらが戸籍筆頭者であるか)を明確にすることから、家族の一体感を重視する立場から言えば、制度の安定性を確保できる
→ 戸籍の形式も最小限の修正で対応できる。
【立憲案】
・二つの氏
(戸籍上の氏に係る人格権を尊重する観点から、別氏を選択する場合には「各自の婚姻前の氏を称する」こととする。併せて、民法に「(夫又は妻の氏を)子が称すべき氏として定めなければならない」(民法750条)と規定する。「戸籍法の改正その他の法制の整備」については、附則に規定があるのみであり、具体的な法改正の内容については示されていない)
→ ダブルネームにならない
→ 旧姓使用を選択した配偶者の人格権を侵害することもない
→ ★夫婦同氏の原則を修正することになるため、家族の一体感を重視する立場から批判あり
→ ★子を欲しない夫婦にも、婚姻の際に、一方の氏を子が称すべき氏として定める(民法750条)こととすることに、批判あり December 12, 2025
【視点】雑誌『世界』2025年1月号掲載の上野千鶴子氏の論稿「フェミニストが高市首相を歓迎できないこれだけの理由」のなかで、この朝日新聞デジタルのコメント欄における私の発言が批判的に取り上げられていたので、それを受けて改めてコメントしたい。
上野氏はこの論攷のなかで、私の以下のコメントを引用している。
「初の女性○○が事件になる時代は、とっくに終わ」ったのだろうか。「ガラスの壁」を打ち破ることを歓迎する女性たちは「時代遅れ」なのだろうか。「女なら誰でもいいという時代では、もうありません」という上野氏の「選別の時代」宣言には、「リベラルな学者に選別されてしまう」女性たちの分断を生みかねないという懸念を抱いてしまう」。
そしてこのコメントに対して、上野氏はこう論じている。
「女性の選別はとっくに起きている。女が一枚岩であってほしい、あるべきだというのは男の傲慢で無責任なロマン主義ではないか。女が一枚岩であったことは、これまでも一度もない。ちょうどすべての女性がフェミニストではないように」。
だが私のコメントの趣旨は、全文読んでいただければわかるように上野氏の主張が「『進んだ女性』と『遅れた女性』、『保守的な女性』と『リベラルな女性』という女性の選別を前提にしているようにみえる」ということだ。つまり「選別をしてしまっている」という私の批判に対して、上野氏は「すでに選別はなされている」と応えているわけで、つまりそもそも噛み合っていない。
この噛み合わなさの原因は、朝日新聞の上野氏のインタビューが実は女性を分析対象にしているのではなく、上野氏が想定する特定のフェミニズム思想と運動を代弁したものであるということが不明瞭だからだ。もちろん私は女性が「一枚岩」とは考えていないが、生物学的に規定された女性の政治的、経済的、文化的傾向から政治を論じることは重要と考えている。「ガラスの天井を破る」という言葉がいまも世間で流通しているということは、女性全般における社会的進出と平等の困難がいまだあり、女性総理の誕生は特定の象徴的意味を持つと私は考えている。だから私は「そんなものが事件になる時代は、とっくに終わってる」という上野氏による裁断に異論を呈し、フェミニズムと女性との乖離に懸念を表明したのである。
では上野氏のいうフェミニズムとはどのようなものか。上野氏は、『世界』の論攷のなかでジェンダー平等に肯定か否定かの4つの基準を提示している。
① トランスジェンダー差別に反対するかどうか
② 選択的夫婦別姓に賛成するかどうか
③ 包括性教育を推進するかどうか
④ 女性議員を増やすためのアファーマティブアクションに賛成するかどうか
この4つの基準をクリアしないと「フェミニズム」とはいえないというわけだ。だが例えば①のトランスジェンダリズムについては世界的にも是非、あるいはあり方について論争と対立が繰り広げられている。さらに、この4つの基準には、経済や再分配に関わることが一切入っていない。上野氏が言う通り「女が一枚岩であったことは、これまでも一度もない」。そのとおりである。そして格差社会化の中で、経済、学歴、雇用における女性の「非一枚岩化」はますます進行している。この4つの基準は、特定の女性の「階層」には歓迎されるかもしれないが、他の女性の「階層」には歓迎されないかもしれない。基準をこの4つにしてしまうことで、女性の選別はますますすすんでしまうのではないだろうか。
上野氏はこの『世界』の論攷のなかで、「参政党的なものに女性がなぜ動員されたかという問いに向き合わなければならない」と述べ、さらにこう論じている。
「戦後有権者の動向の基礎には根強い生活保守主義がある。その生活保守主義が求める福祉国家は、その裏面に排外主義を伴う。倭国では限られた原資をどのように配分するかをめぐる「再分配の政治」は、ますます厳しさを増すだろう。外国人の次は高齢者が、そして障害者や貧困層が、ターゲットになることは容易に想像できる。いや、排除と攻撃はすでに始まっている」
上野氏は公的介護制度の重要性を訴え続けており、そこで働く労働者の処遇改善を求める氏の活動にはそれについて私は強く共感し、深い敬意を抱いている。「再分配の政治」こそがいまのポピュリズムの焦点であり、公的な介護を必要とする女性たち、その現場で働く女性たちにフェミニズムの声と運動を届けるうえで、この「4つの基準」は、むしろフェミニズムから排除されると感じる女性を増やしはしないだろうか。じっさいその影響が「参政党への女性の動員」につながっている可能性はないだろうか。問いに向き合うためには、上野氏が関心をもつ介護や医療をはじめとする、さまざまな産業の現場で働く女性たちとの対話からはじめるべきではないだろうか。 December 12, 2025
@Nakam_27 左様ですか。ありがとうございます。
家族という語が持つべきであろう 繋がり という観念や状況が希薄化されるのは不可避だと思うのでそれでもやはり選択的夫婦別姓には賛同できません。。 December 12, 2025
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