薬師如来 トレンド
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2025.12.01
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薬師如来に関するポスト数は前日に比べ70%減少しました。女性の比率は8%増加し、前日に変わり30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「徳川家康」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「面白い」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
そういえば徳川家康が神となったのが東照大権現で、その本地仏が薬師如来なんだけど、京に対しての東の江戸を支配して日の本を照らす神って意図で「東照」であり、薬師如来の治める浄瑠璃世界も東の方にあるのでこれに対応してるんだけど、家康が生前に薬にめっちゃ詳しくて自分で薬作って飲んでたってのも薬壺を持って人々を治す薬師如来と対応してて面白い。家康=薬師如来って設定考えたのも天海僧正ってことでええんやろか? December 12, 2025
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@369_enki @pack_no44916 @hajipon_oberix2 もはや、ヤソマガツヒ神だけではなく、今では薬師如来も反転して悪神に転じている事は、昨今の薬害事情を見ても明らかだと思います。 December 12, 2025
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永遠の仏・久遠実成の釈尊と日蓮の久遠仏思想における意義
鎌倉時代における日蓮(1222–1282)の思想形成において中心的役割を果たした「久遠実成の釈尊」概念を、妙法蓮華経(以下、法華経)解釈と宗教実践の双方の視点から検討してみましょう。とりわけ法華経如来寿量品第十六に説かれる久遠仏思想が、日蓮においてどのように現実的救済の枠組みとして再解釈され、文字曼荼羅の御本尊への専修題目を通じて具現化されたのかを確認したいと思います。
1 日蓮と久遠仏思想
日蓮は、倭国中世における法華経信仰の最も急進的・実践的な担い手の一人です。彼は法華経を唯一絶対の正法にして最第一の経典(※1)、かつ教主釈尊出世の本懐と位置付け(※2)、その中心思想として「久遠実成の釈尊」(以下、久遠仏)を信仰の根幹に据えます(※3)。久遠仏思想は単なる形而上学的存在論ではなく、日蓮の仏教観・社会観・権力観の根幹にして(※4)、熱烈な法華勧奨と妙法弘通、それによる迫害(日蓮的には法難)を乗り越える精神的支柱でした。
2 久遠実成の釈尊の教義的背景
「久遠実成」とは、法華経「如来寿量品第十六」において説示される、釈迦が歴史的存在を超えて久遠の昔にすでに成仏していたという教義です。ここで描かれる釈迦は、インド史上のガウタマ・シッダールタとしてのブッタ(目覚めた人)ではなく、衆生済度のために経典世界に現れた永遠の仏にして根本仏としての存在です。 この思想は、初期仏教の釈迦観を大きく超えるものであり、大乗仏教における仏身論の発展、特に三身説における法身(ほっしん・永遠不滅の真理そのもので仏の根本的な実体)、報身(ほうじん・悟りを開いた仏がその功徳によって得た姿、衆生を救済する働きを持つ)、応身(おうじん・衆生を救うために様々な姿で現れる仏)の解釈とも密接に関わるようになります。
3 日蓮における久遠仏信仰の意義付け
日蓮は自身を「法華経の行者」と称し(※5)、久遠仏の「使者」として法華経と肝心たる南無妙法蓮華経を弘通する使命を自覚し(※6)、その実践に身命を捧げました。彼にとって久遠仏は、歴史的に遠い過去に成仏しただけの存在ではなく、現今も衆生と共に在り説法教化を続ける現実的な仏(※7)であり、三界の国主(※8)でもあったのです。
日蓮は「曽谷入道殿許御書」(文永12年[1275]3月10日)で、「大覚世尊、仏眼をもって末法を鑑知(かんち)し、この逆・謗の二罪を対治せしめんがために、一大秘法を留め置きたもう。・・・中略・・・その時に、下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出だしたもう。いわゆる上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり。この大菩薩、各々六万恒河沙の眷属を具足す。形貌・威儀、言をもって宣べ難く、心をもって量るべからず。・・・中略・・・その時に、大覚世尊、寿量品を演説し、しかして後に十神力を示現して、四大菩薩に付嘱したもう。その所嘱の法は何物ぞや。法華経の中にも、広を捨てて略を取り、略を捨てて要を取る。いわゆる、妙法蓮華経の五字、名・体・宗・用・教の五重玄なり」と記述しています。
ここから「四大菩薩(上行菩薩)たる日蓮が久遠仏より付属を受けた一大秘法・南無妙法蓮華経である」ことが理解できます。さらには自己が初めて図顕した文字曼荼羅の御本尊も、「今この御本尊は、教主釈尊、五百塵点劫より心中におさめさせ給いて」(新尼御前御返事 文永12年[1275]2月16日)、「日蓮図顕の大本尊は久遠仏から付属された大本尊であり上行菩薩日蓮が弘宣するのである」(万年救護本尊讃文・趣意 文永11年[1274]12月図顕)と意義付けています。
このような日蓮の宗教的達観の真髄ともいえる教示は、一般的には日蓮が創出したように理解されている南無妙法蓮華経の題目と文字曼荼羅の御本尊が、実は「久遠仏の胸中から日蓮へと付属された南無妙法蓮華経の題目と御本尊である」「南無妙法蓮華経の題目と御本尊は久遠仏の胸中を源流とする」という理解を促します。
これら日蓮の教説を勘案すると「日蓮法華の信仰」とは、題目を唱える信仰者をして久遠仏へと直参させる「久遠仏直参信仰」であったといえるでしょう。日蓮一代教説の真意は「久遠仏直参信仰の確立」にして、久遠仏の使いとして上行菩薩の使命を全うした日蓮は「久遠仏直参信仰の導師」だったといえるのではないでしょうか。
「観心本尊抄」(文永10年[1273]4月25日)では、「釈尊(久遠仏)、南無妙法蓮華経、日蓮、信仰者の関係」が明示されています。
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。四大声聞の領解に云わく「無上の宝珠は、求めざるに自ずから得たり」云々。我らが己心の声聞界なり。「我がごとく等しくして異なることなからしめん。我が昔の願いしところのごときは、今、すでに満足しぬ。一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」。妙覚の釈尊は我らが血肉なり。因果の功徳は骨髄にあらずや。
日蓮は「釈尊(久遠仏)の因行と果徳の二法が妙法蓮華経の五字に具足されている」と教示し、ここにおいて「南無妙法蓮華経即釈尊(久遠仏)・釈尊(久遠仏)即南無妙法蓮華経」が明かされ(※9)、さらに「妙覚の釈尊は我らが血肉なり。因果の功徳は骨髄にあらずや」により、「釈尊(久遠仏)・南無妙法蓮華経・日蓮・信仰者は一体にして不二の境地に至る」という教理が成り立ったといえるのではないでしょうか。これら日蓮の思考と記述は、「日蓮法華信仰における成仏の実相」を明かしたともいえるでしょう。
このように日蓮は、文字曼荼羅の御本尊へ南無妙法蓮華経を唱えることは万人が釈尊(久遠仏)と直接結縁する行為であると意義付けましたが、それは同時に「一切衆生皆成仏道」(すべての生きとし生けるものが、必ず仏の道[仏になる道]を成就する)を理想ではなく現実に可能とする因を説き、創る作業でもありました。
日蓮教説の法華経・題目信仰は、従来のひたすら救済を願うおすがり信仰や、単なる観念的信仰を超え、信仰者個々人が主役として自発的・能動的に法華経信仰を実践することにより成仏が可能というものであり、「久遠仏による救済の新しい、かつ真に現実化する方法論」であったといえるのではないでしょうか。
4 文字曼荼羅の御本尊の宗教的意義
日蓮が顕した文字曼荼羅の御本尊は、南無妙法蓮華経即釈尊(久遠仏)を中心に、法華経に登場する諸仏・諸菩薩・諸天善神が配列されています。これは久遠仏直参信仰の視覚的・象徴的具現であり、信仰者は御本尊を礼拝し題目を唱えることで、南無妙法蓮華経即釈尊(久遠仏)の功徳に浴するとされました(前記「観心本尊抄」等)。
「曼荼羅」という用語とその起源は密教由来といえますが、密教の両界曼荼羅などとは違い、日蓮の場合は中央に文字として南無妙法蓮華経の題目を大きく据えており、南無妙法蓮華経即釈尊(久遠仏)という存在とその力を題目の大書により視覚的、直接的に体現させ、拝する信仰者の「感得」を促すところに独自性と特徴があるといえるのではないでしょうか。
5 社会的背景と教義の実践化
鎌倉時代中期、倭国は天災・飢饉・戦乱など社会的混乱に直面し、国難といえる事態の連続でした。日蓮は、これらの天災地変・国難の原因を正法(法華経)の不信に求め、他宗批判を通じて法華勧奨・妙法弘通を進めています。この過程で度重なる迫害(法難)に遭遇しますが、それらを久遠仏の加護と自らの使命の証と解釈し(※9)、一門の信仰をより一層強固なものにしていきます(※10)。
6 末法の世で「我常在此娑婆世界説法教化」を現実のものとした日蓮の久遠仏直参信仰
日蓮にとって、久遠仏への直参信仰は現世的危機に対する現実的かつ宗教的な解答であり、その教えは「末法における唯一の救済法」として意義付けられたのです。 日蓮の久遠実成の釈尊(久遠仏)観は単なる法華経解釈に留まらず、「唱題成仏の法門」創出、「捨邪帰正」を主眼にしての社会や権力への関わりなど多方面にわたり展開されました。
その思想と取り組みは、「永遠の仏」という形而上学的理念を宗教的に「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」として現実のものとし、末法五濁悪世での一切衆生救済を具体的なものにしたといえるでしょう。そして現代においても日蓮の久遠仏直参信仰は、普遍的救済と現実変革を志向する宗教思想として、一閻浮提を照らす光明の役割を果たしているといえるのではないでしょうか。
※1 法華経最第一
守護国家論 正元元年(1259)
法華経の法師品に釈尊自ら流通せしめて云わく「我が説くところの経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。しかもその中において、この法華経は最もこれ難信難解なり」云々。文の意は、一代五十年の已・今・当の三説において最第一の経なり。八万聖教の中に殊に未来に留めんと欲して説きたまいしなり。
善無畏三蔵抄 文永7年(1270)
法華経は一代聖教の肝心、八万法蔵の依りどころなり。大日経・華厳経・般若経・深密経等の諸の顕密の諸経は、震旦・月氏・竜宮・天上・十方世界の国土の諸仏の説教、恒沙塵数なり。大海を硯の水とし、三千大千世界の草木を筆としても、書き尽くしがたき経々の中をも、あるいはこれを見、あるいは計り推するに、法華経は最第一におわします。
本尊問答抄 弘安元年(1278)9月
されば、倭国国、あるいは口には法華経最第一とはよめども、心は最第二・最第三なり。あるいは身・口・意共に最第二・三なり。三業相応して最第一と読める法華経の行者は、四百余年が間一人もなし。まして「能持此経」の行者は、あるべしともおぼえず。
※2 釈尊出世の本懐・法華経
守護国家論
法華経は如来の出世の本懐なるが故に「今、すでに満足しぬ」「今正しくこれその時なり」「しかるに、善男子よ、我は実に成仏してより已来」等と説く。ただし、諸経の勝劣においては、仏自ら「我が説くところの経典は無量千万億なり」と挙げ了わって「已に説き、今説き、当に説くべし」等と説く時、多宝仏、地より涌現して「皆これ真実なり」と定め、分身の諸仏は舌相を梵天に付けたもう。かくのごとく諸経と法華経との勝劣を定め了わんぬ。
聖人御難事 弘安2年(1279)10月1日
仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。その中の大難申すばかりなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。その間の大難は、各々かつしろしめせり。
※3 久遠実成の釈尊(久遠仏)を信仰の根幹に据える
守護国家論
四十余年の権仏の説はこれを信ずべからず。今の法華・涅槃は、久遠実成の円仏の実説なり。十界互具の実言なり。また多宝・十方の諸仏来ってこれを証明したもう。故にこれを信ずべし。
開目抄 文永9年(1272)2月
今、久遠実成あらわれぬれば、東方の薬師如来の日光・月光、西方の阿弥陀如来の観音・勢至、乃至十方世界の諸仏の御弟子、大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩、なお教主釈尊の御弟子なり。諸仏、釈迦如来の分身たる上は、諸仏の所化申すにおよばず。いかにいわんや、この土の劫初よりこのかたの日月・衆星等、教主釈尊の御弟子にあらずや。しかるを、天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。
聖密房御書 文永後期
久遠実成なんどは、大日経にはおもいもよらず。久遠実成は一切の仏の本地。譬えば、大海は久遠実成、魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば、千二百余尊はうきくさの根なきがごとし。夜の露の日輪の出でざるほどなるべし。天台宗の人々、このことを弁えずして、真言師にたぼらかされたり。真言師はまた自宗の誤りをしらず、いたずらに悪道の邪念をつみおく。
※4 久遠仏思想は日蓮の仏教観・社会観・権力観の根幹
守護国家論 正元元年(1259)
また云わく「もしこの法華経を受持・読誦し、正憶念し、修習し書写することあらば、当に知るべし、この人は則ち釈迦牟尼仏を見る。仏の口よりこの経典を聞くがごとし。当に知るべし、この人は釈迦牟尼仏を供養す」已上。この文を見るに、法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、この経を信ずる者の前には滅後たりといえども仏の在世なり。
文永初期「断簡53」
是我有 其中衆生 悉是吾子等云云。この文のごとくならば、この三界は皆釈迦如来の御所領なり。寿量品に云く「我常に此の娑婆世界に在って」等云云。この文のごとくならば、過去五百塵点劫よりこのかた、此の娑婆世界は釈迦如来の御進退の国土なり。(昭和定本p2496)
四条金吾殿御返事(梵音声書)文永9年(1272)9月
釈迦仏と法華経の文字とはかわれども、心は一つなり。しかれば、法華経の文字を拝見せさせ給うは、生身の釈迦如来にあいまいらせたりとおぼしめすべし。 この志、佐渡国までおくりつかわされたること、すでに釈迦仏知ろしめし畢わんぬ。
一谷入道御書 建治元年(1275)5月8日
娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子なり
※5 日蓮は法華経の行者
法華証明抄 弘安5年(1282)2月28日
法華経の行者日蓮 花押
※6 法華経の肝心たる南無妙法蓮華経
撰時抄 建治元年(1275)
彼の大集経の白法隠没の時は、第五の五百歳、当世なることは疑いなし。ただし、彼の白法隠没の次には、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内八万の国あり、その国々に八万の王あり、王々ごとに臣下ならびに万民までも、今倭国国に弥陀称名を四衆の口々に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり。
※7 久遠仏は説法教化を続ける現実的な仏
祈禱抄 文永9年(1272)
仏は、人天の主、一切衆生の父母なり。しかも開導の師なり。 同 釈迦仏独り主師親の三義をかね給えり。
法華取要抄 文永11年(1274)5月24日
この土の我ら衆生は、五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子なり。
一谷入道御書 建治元年(1275)5月8日
梵王の一切衆生の親たるがごとく、釈迦仏もまた一切衆生の親なり。また、この国の一切衆生のためには、教主釈尊は明師にておわするぞかし。父母を知るも師の恩なり。黒白を弁うも釈尊の恩なり。 同 この国の人々は、一人もなく教主釈尊の御弟子・御民ぞかし。
種々御振舞御書 建治2年(1276)八幡社頭の諫言
さては十二日の夜(竜口での斬首刑の夜)、武蔵守殿のあずかりにて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに、わかみやこうじにうちいでて、四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮云わく「各々さわがせ給うな。べちのことはなし。八幡大菩薩に最後に申すべきことあり」とて、馬よりさしおりて高声に申すよう、「いかに八幡大菩薩はまことの神か。…中略・・・さて最後には、「日蓮、今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まず『天照太神・正八幡こそ起請を用いぬかみにて候いけれ』とさしきりて、教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計らいあるべし」とて、また馬にのりぬ。
※8 久遠仏は三界の国主
神国王御書 建治元年(1275)
仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり。
※9「南無妙法蓮華経即釈尊(久遠仏)・釈尊(久遠仏)即南無妙法蓮華経」関連遺文
唱法華題目抄 文応元年(1260)5月28日
問うて云わく、ただ題目ばかりを唱うる功徳いかん。 答えて云わく、釈迦如来、法華経をとかんとおぼしめして世に出でましまししかども、四十余年のほどは法華経の御名を秘しおぼしめして、御年三十の比より七十余に至るまで法華経の方便をもうけ、七十二にして始めて題目を呼び出ださせ給えば、諸経の題目にこれを比ぶべからず。その上、法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。
御衣並単衣御書 建治元年(1275)9月28日
三十二相八十種好の仏よりも法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給いて、仏在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり、仏の滅後に法華経を信ずる人は「一りとして成仏せざることなけん」、如来の金言なり。
報恩抄 建治2年(1276)7月21日
求めて云わく、その形貌いかん。 答えて云わく、一には、倭国乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。いわゆる宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏ならびに上行等の四菩薩、脇士となるべし。二には、本門の戒壇。三には、倭国乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智・無智をきらわず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし。このこといまだひろまらず。一閻浮提の内に仏の滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もおしまず唱うるなり。
妙心尼御前御返事(妙の字功徳の事) 建治2年(1276)または建治3年(1277)、5月4日
妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給う釈迦如来にておわしますを、我らが眼つたなくして文字とはみまいらせ候なり。譬えば、はちすの子の池の中に生いて候がように候はちすの候を、としよりて候人は眼くらくしてみず、よるはかげの候をやみにみざるがごとし。されども、この妙の字は仏にておわし候なり。 またこの妙の文字は、月なり、日なり、星なり、かがみなり、衣なり、食なり、花なり、大地なり、大海なり。一切の功徳を合わせて妙の文字とならせ給う。または如意宝珠のたまなり。
※9 久遠仏の加護と自らの使命の証
真言諸宗違目 文永9年(1272)5月5日
日蓮流罪に当たれば、教主釈尊衣をもってこれを覆いたまわんか。去年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか。「必ず心の固きに仮って、神の守り即ち強し」等とは、これなり。汝等ゆめゆめ疑うことなかれ。決定して疑いあるべからざるものなり。
開目抄 文永9年(1272)2月
倭国国に此をしれる者、但日蓮一人なり 同 又云はく「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」等云云、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば、数々の二字いかんがせん。此の二字は、天台・伝教もいまだよみ給はず。況んや余人をや。末法の始めのしるし、「恐怖(くふ)悪世中」の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。 同 当世、法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん
※10 自らと一門の信仰をより一層強固なものに
竜口の斬首寸前の危機から20日ほど経過した日蓮が「転重軽受法門」を著した背景には、文永8年の法難により鎌倉の日蓮一門は壊滅状態となるも、門下の個々人が「過去の誹謗正法による業を転重軽受している過程なのだ」と自覚することにより、法難を他人事ではなく我が事として捉えさせる、そしてともに乗り越えていこう、との強き思いがあるのではないでしょうか。
転重軽受法門 文永8年(1271)10月5日
涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候えば、地獄の苦しみぱっときえて死に候えば、人天・三乗・一乗の益をうること候。 不軽菩薩の悪口・罵詈せられ杖木・瓦礫をかぼるも、ゆえなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆえかとみえて、「その罪は畢え已わって」と説かれて候は、不軽菩薩の難に値うゆえに過去の罪の滅するかとみえはんべり December 12, 2025
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おはようございます🙇♂️数日前ですが、太白区長町の蛸薬師如来・舞台八幡神社へお参りに😊銀杏やモミジが青空に映えていました😃その一方で、落ち葉がお堂や神社の屋根に😊風情がありますが、管理をされている方々が落ち葉を集めていました😃お疲れ様です😊いつもありがとうございます🙇♂️よき月末を🙇♂️ https://t.co/MQjC2SpmPU December 12, 2025
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\特別展開催中/
#上原美術館 では、特別展『伊豆のみほとけ』を開催中(~2026年1/12まで)。本展では、伊豆半島南端の港町に伝えられ、初めて寺外公開される十一面観音像や、約30年ぶりに公開される薬師如来像など、伊豆各地の仏像をご紹介しています。伊豆のみほとけとの出あいをお楽しみください。 https://t.co/xj3ZXjnvPQ December 12, 2025
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#飯坂温泉 にも、昼夜2回、足を延ばして。このエリアで、最も古くからあるという、 #鯖湖湯 へ。
優しい地元の皆様に、加水を勧めてもらい、源泉51度の湯に、気持ち良く…… 『お湯かけ薬師如来』が祀られる #鯖湖神社 や、 #あ~しあわせの湯 も。
次回は、博多が舞台だってね。楽しみだ(^^)
(3/3) https://t.co/s8zriAMUfI December 12, 2025
2025年11月29日(土)二日目!
#新薬師寺
薬師如来十二神将立像の迫力に感動しました!
#唐招提寺
奈良時代の国宝を拝見しながら感謝♡
奈良の時代にタイムスリップした感覚でした…御朱印も頂き、旅の終わりは京都タワーに上がって、新幹線で美味しいお弁当を食べて幸せな旅でした🎵 https://t.co/0Zjdqm9olV December 12, 2025
光徳寺お参り
本尊は薬師如来
本堂の中には、長箸で入れ物から挟んで取るおみくじや、お願い事を書いて仏様の印を押す為の帳面やら、面白い工夫があった https://t.co/GifUaX0Ktj December 12, 2025
@goshuinchou 面白いですね。カトリックの守護聖人制度とそっくりですよね。
教会やお堂って、特定の聖人を祀ってその取り次ぎやご加護をお願いするために建てられることが多いですから、神社で薬師如来をご本仏に据えて東照大権現(家康公)のご加護を願うのと、すごく通じる感じがします。 December 12, 2025
👁 1. “目のお薬師さま”として信仰
一畑薬師は、特に目の病気にご利益がある薬師如来をまつることで有名。
古くから目の見えにくい人、子どもの目の悩みなどで訪れる方が多いお寺です。
🧒 2. 子どもの守り仏
「子どもたちの健康を守るお薬師さま」としても信仰が厚く、
子どもの無事成長や安産祈願に訪れる家族が多いのも特徴です。
⛰ 3. 眺望が美しい“山のお寺”
標高約300mにあり、境内からは**宍道湖(しんじこ)**を見下ろす絶景が広がります。
朝日や夕日の時間帯は特に美しく、写真映えスポットとしても人気。
🛕 4. 長い石段と巡拝ポイント
・一畑薬師へ続く108段の石段
・薬師如来を祀る本堂
・静かに心を整えられる瞑想堂
など、歴史と自然の両方を楽しめます。
🌿 雰囲気
自然に囲まれた静かな空間で、
「気持ちが落ち着く」「心が軽くなる」と感じる参拝者が多い場所です。 December 12, 2025
@goshuinchou めちゃくちゃ興味深い考察
東照大権現としての家康と、薬師如来のイメージがここまで綺麗に重なるの本当に面白いですね。
東を照らす存在としての役割も、薬に精通していた家康の人物像も、天海僧正の構想とリンクしてる感じがしてロマンある✨ December 12, 2025
【仏ドリル】001「身体の衰え」との向き合い方
ペンネーム:夏雲(なつぐも) 年代:50代 お住まい:宮城県
はじめまして。最近、体力の衰えを感じることが増え、特に朝起きても疲れが残っているような日が続いています。病院で診てもらっても異常はなく、「加齢ですね」と言われるだけで、どう向き合えばよいのか分からなくなっています。気力がわかず、好きだった園芸にも気分が乗らず、つい家でじっとしてしまいがちです。
「このまま老いに飲まれていくのでは」と不安になる一方で、焦ってもどうしようもない気もして、心が揺れています。仏教の視点から、こうした“身体の衰え”とどう向き合っていけばよいのでしょうか。何か心の持ち方や日々の過ごし方のヒントをいただけたら嬉しいです。
【解法のヒント】
・釈迦の言葉:健康であるかどうかは、自分の「心」が決めている(心身一如)
・御仏:薬師如来
[一言]薬壺を手にし、十二の誓願を掲げて人々の病を癒やす仏様。
(真言)オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
【功徳】病気快癒 健康長寿
・禅語:活溌溌地(かっぱつぱつち)
日常生活の中で余計な飾り気を持たず、目の前のことに全力で向き合う姿勢を示しており、自分の心を鼓舞し新たな活力を見つけ出す重要性を教えてくれる禅語。
(キーワード)
・生老病死…誰もが避けられない苦しみ
・老…心身が本来のリズムを取り戻そうとしているサイン、人生の味わいが深まるとき
・三密…身体・言葉・思考を一致させること
・行…実践を通じて苦しみからの解放を目指す行動。日常生活の中での行動や態度
・口業…口から出る言葉が世界をつくること
・禅定…心を鎮め深く集中すること=瞑想
・呼吸法(アナパナ・サティ)…心を静める技法。呼吸は身体と心を直接つなぐ重要な要素であり、深い呼吸は心の安定をもたらす。
・愛語…自分・他者に対して心のこもった優しい言葉をかけること
・善念…善い方向に心を向ける力、ポジティブ思考
【仏ドリル ルール】
1.尚徳は“主催”として頂いているお悩みに対して、智慧の材料と解答例をご紹介します。
2.正解はありません。解放のヒントを活用して皆さまが創るものです(変わっても◎)。
3.コメントに投稿しても構いませんが、絶対に他人の投稿を批判や非難しないこと。
※毎朝8時~9時に尚徳の回答例と解説、英語de仏教をお届けいたします。
#仏教 #健康 #呼吸 December 12, 2025
世界遺産の薬師寺に参拝致しました。
久しぶりの参拝です。
中央に『薬師如来』、向かって右が『日光菩薩』、
左が月光菩薩、合わせて薬師三尊といいます。
パワーが有りました。 https://t.co/V08LoHqTSj December 12, 2025
昔、高松の従姉妹の所で薬師如来が高校生に憑依して鬼を退治するみたいな漫画を読んだ記憶があったのだけれど、作家さんがツイートしておられるのを発見した。私が中学の時には既に完結していたので結構前の作品の筈だけれど、漫画家さんというのは感性はお若いままなのかもな。 December 12, 2025
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