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若狭
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2025.11.27 14:00
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正津勉『裏倭国的』(作品社)を読んだ。裏倭国、倭国海側沿岸の地域出身、または、そこに滞在した文学者を取り上げ、土地と表現の関わりを述べていったエッセイだ。副題に「くらい・つらい・おもい・みたい」とあるが、太平洋側が近代だとすれば、裏倭国はまさしく近代の「裏面」というわけだ。
裏倭国の暗さ、辛さ、重さは、倭国の前近代的な貧しさ、そしてその貧しさを生きる人びとの頑迷さに由来する。
近代以降、個を解放していった太平洋側の「明るさ、楽しさ、軽さ」から見て、貧しさと頑迷さを引きずった倭国海側の「暗さ、辛さ、重さ」が際立った対照を見せた。
著者は、例えば、詩人・鮎川信夫の父子関係を取り上げて、頑迷な父が如何に詩作をする子どもを理解し得なかったのか、その断絶について指摘する。
鮎川は父について「親父は、外面は温和でも家庭で冷淡で、子供にはとても尊敬できかねる人間であった」と書いているー「骨肉とか郷土とかに根ざした父の思想は、農民的なナショナリズムの典型で、自由思想を嫌っていた。それに反して私は、大学に通うようになると、毎晩のように新宿や渋谷の盛り場をうろつくようになっていた。」「詩を書き始めるようになってから、父の行き方とは、すべてにおいて反対の方向に自己形成をしていったようである。父は自由主義を嫌い、ファシズムを礼賛し、最後には信仰宗教に凝って終わった」。
この、前近代的を体現するような父と、個に目覚めた子どもの確執-著者は、鮎川父子の関係を、まさしく裏倭国的である述べている。
だが、その鮎川が、後年、こんな詩を書いている。
父なる存在そのものが
わたくしには厭わしかったのだろう
……
わたくしは父の書いたものを理解せず
父はわたくしの詩の一行も理解しなかった
父は黙ってこの世から去っていった
わたくしは病み衰えた父の腕に
カンフルの注射を三、四度射っただけであった
言葉の理解のとどかぬところで
ぼくたちは理解しあっていた
重要なのは最後の二行である。「言葉の理解のとどかぬところで、ぼくたちは理解しあっていた」。ここにある視点の転回がある。
裏倭国が「暗く、辛く、重い」のは、太平洋側―近代側から見たときの評価である。裏倭国の世界に入っていき、その世界観のなかから世界を眺めるとき、それは必ずしも「暗く、辛く、重い」ばかりではない。むしろ郷愁をそそってやまない、近代とはその光源を異にする「明るさ」があるのではないか。
詩人の鮎川信夫が死んだときの、盟友・吉本隆明による弔辞が引かれている。一部、孫引きしよう。
「この日常の世界にひきとめておく手立てもないような、貴方の深い現実厭離の思いは、もしかすると遠い幼年の日に、誕生と同時に、父母未生以前の根拠から受けとられたものではないか。そう解するのが、いま溢れてくる悲しさと清々しさにいちばんふさわしいように感じられます。」
裏倭国的な「暗さ、辛さ、重さ」を近代世界において体現したような鮎川信夫は、しかし、限りない優しさ、温かさをもって人に接していた。それは鮎川個人の性格を超えた、「父母未生以前」から受け継がれた郷土の共同性が脈打っていたのではないか。
人が、寄る辺のない個であることを超えて、「父母未生以前」の共同性を体現していた前近代ーこの共同性を媒介にして、人と人とは「言葉の理解の届かぬところで、理解しあっていた」ーここに、郷土というものが意味をもち、郷土という意味があってこそ郷愁の思いがかきたてられる。
泉鏡花の小説では、登場人物が女に惹かれるとき、「懐かしい」という語彙が頻出する。鏡花に限らず、そもそも恋うる、とは、こうした郷愁のことではなかったか。共同性への郷愁ーつまり、死者を懐かしみ、反魂を乞う気持ちが、そのまま性的な欲望と結びついて恋という情念に結晶していく。……
この本では、若狭、越前、奥越、白山、能登、立山、北越と章立てされ、それぞれ、例えば若狭であれば、藤原定、水上勉、岡谷公二、ブルーノ・タウト、桑原武夫、森崎和江、山川登美子、尾崎放哉、山本和夫、金子兜太が照明され、その引用を織り成して作られている。
越前、森山啓、貸高見順、三好達治、山崎朋子、前田善羅、中野重治、森田愛子、高浜虚子、吉屋チルー、吉井勇、種田山頭火、蓮如。
奥越、宮本常一、上村藤若、吉本隆明、山本素石、田中小実昌、皆吉爽雨、山崎朋子。
白山、泉鏡花、深田久弥、中西悟堂、前田速夫、河東碧梧桐、古井由吉、多田裕計、窪田空穂、鮎川信夫。
能登、坪野鉄久、前田善羅、沢木欣一、鶴彬、折口信夫・春洋、藤澤清三、安永稔和、古井由吉、泉鏡花、藤森秀夫、吉本隆明。
立山、河東碧梧桐、高島高、前田前羅、川田順、村井米子、吉本隆明、アーネスト・サトウ、幸田文、棟方志巧、田中冬二、青木新門。
北越、中野重治、良寛、田中冬二、山本和夫、深田久弥、中野鈴子、坂口安吾、井月、水上勉。 November 11, 2025
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