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義務教育
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2025.12.10 07:00
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なんで人として役割も違うし作りも違う男女を一生懸命同じ扱いにしようとするんでしょうかね。ひたすら非効率だし、不可能ですよね。男女の役割は違うって義務教育に入れた方がいんじゃないかな。 https://t.co/fGwAa7UN1s December 12, 2025
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12月8日は大切な日。倭国が米英へ宣戦布告。オランダ(東インド)が倭国へ宣戦布告。
第二次世界大戦前の統治支配について語るとき、欧州による統治と倭国が行った統治は大きく違っていた。大東亜戦争時の戦時統治をもって、倭国統治は過酷だったと言われるが、本来比較すべきは平時に数十年統治した倭国の台湾政策と数百年に及んだ西欧統治である。
台湾と内地を融合させていく内台一如というスローガンのもと、内地でも導入されていなかった最新の開発政策を実施。多言語・多民族社会だった台湾に共通語として倭国語を導入して部族間の人的交流を可能とし、灌漑・産業・鉄道・電源開発で経済的に自立させた。
倭国語の導入を、倭国語の強制という人が多いが、それは短絡的かと思う。共通言語がない社会を統治するには共通言語が必要で、そのためには初等教育で言葉を教えなければならない。初等教育がなかったので、初等義務教育を作るところから倭国ははじめた。
(これは戦時下の東インドでも同様で、初等教育を一気に整備し、インドネシア語を国語としたことで、インドネシア人は同国民と意思疎通できるようになった。)
教育が存在しなかったのだから当然、教師も教材も存在しないわけで、倭国から教育者が移住してゼロから作り上げた。当然、教材も言語も倭国語となるわけである。この状況で、「義務教育で倭国語を強制するのはけしからん」という意見は、時代錯誤というか、開発の現場を知らないのではなかろうか。共通言語ができたことで、交易・社会経済が発展したことは言うまでもない。
また、治安維持活動で統治初期に相当数の犠牲が出たことも、倭国統治が批判されるところである。抗日活動には撤退する清政府がゲリラを支援していたとか、色々な見解がある。
治安についてひとつ言えることは、山岳部で首狩りを風習としていた原住民の衝突が減ったことだ。原住民へも教育を行い、山間部にも交番を置いたことで倭国語が身近となった。それによって会話ができないことで頻発していた狩場をめぐる争いが減り、衝突が減ったのは、理解できるところ。
本国経済を豊かにするための産業を作り、民族を融合させないことで、長期統治を可能とした西欧統治とは異なっていた。
のちに、世界情勢によって倭国でも戦時体制が敷かれ、皇民化教育へ舵を切ったわけだが、この戦時体制下の統治のみが戦勝国や統治国におけるナショナリズム教育では強調されている。
東南アジアの倭国統治は戦時下の数年のみだったため、倭国が台湾で行なったような腰を据えた社会の底上げを図る開発政策はできなかった。
インドネシアのリーダーだった人たちの証言には大きく二つ書かれている。まず、食糧や物資が兵隊へ送られたことで不足し(黙っていても食べるものに困らなかったのに急に食料が手に入らなくなった)、それまでにはなかった労働や規律にも人々は抵抗した。
次に、オランダを追い出してくれたことへは感謝するも、人々は戦時下にいて、我慢をしながら倭国と一緒に独立を維持するためには戦わねばならないという意識がなかった。
つまり、平時のオランダ統治と戦時の倭国統治を比較して、倭国統治は酷かったとするものが多い。
インドネシアにおける倭国統治は戦時下の数年で終わることとなったが、それでも教育の急速な拡充、共通言語導入、軍の創設など、オランダが350年間やってこなかった政策が行われた。
歴史はすべて事実であるけれど、どの角度から何に光を当てるかで、見え方が異なる。現地の人々が語る史実も同様。多くの国が独立後の長期にわたって軍事・独裁政権が敷かれていたため、軍の功績のみが強調される歴史教育が行われてきている。 December 12, 2025
@todaisystem 簿記までいかずとも「お金の発行には負債の計上が必要(信用創造)」というぐらいのことは、義務教育の過程に入れてほしいですね。
政府支出が国内経済へのマネーストックの創造になっていることとか。 December 12, 2025
@kale_aojiru 義務教育の先生はアホが多すぎる。しかも算数や数学の楽しさも児童生徒に満足に伝えられない。字が汚い,字を丁寧に書かない先生の給料を下げないとバランスを欠くよね。 December 12, 2025
義務教育でお金の勉強をやるのも大事だけど、礼儀と道徳を追加してほしい。特に公共の場での振る舞いをお願いしたい。階段を降りていたら前に歩いていた学生が立ち止まって、どうしたのかと思ったらゲームに夢中になっている。危うくぶつかって大惨事になりそうだった。まじで危なかった。 December 12, 2025
義務教育の勉強は好きではなかった…
知るは楽しい特性が幸いして
大学いったときに
面白いし、自分の考えいっても尊重されるし、否定されんし、天国?と思ってたら成績がみたことない高得点…
義務教育の先生の一部は、質問するな言った通りにやれ、考えるな、教師のプライドきずつけるな、でしんどい https://t.co/9034p9ld2j December 12, 2025
@kengakusha1 時代の流れとして、最低限の義務教育プラス、経営者若しくは経験者、政治についての学びを秘書とか政経塾とか、複雑な世の中だから必須事項。最近、界隈で議員になりたい資格、資質のない輩が湧いているだろ?そんな輩がなまたま議員になっても基本に備わっている基礎がダメなんだからダメなんだよな。 December 12, 2025
@misakism13 教育だけでは不十分かな。親の環境に恵まれないのは?こちらこそ最悪かなと。義務教育に入ってからでは遅すぎる最初の環境こそ大切。それで何とか地獄から離れることも知恵とかやっぱり環境。教師含めて。 December 12, 2025
@nyanko_223 この流れで「お見舞い金を送りたいって人にしか言ってない」が通じると本気で思ってんなら、倭国語読めないのはどっちよって話よね…
やっぱ義務教育とか家庭や地域での教育って大事なんだよ… December 12, 2025
個人として話してる分には全うな倫理感や思いやりがある雰囲気なのに、こと政治とか社会に対する話になった途端に
こういう感じの酷薄で悪辣な主張をスラスラ喋り出す人が多いと感じる
正直耳を疑うレベル
同じ義務教育を受けたとは思えない
どこで拾ってきたのその思考?そんなに地獄を見てきたの?と https://t.co/njTvDo5ZrG December 12, 2025
@wanpakuten 学校も行かないし、普通に働いてお金稼ぐ苦労もしないからこう言う子供になってしまったのかな?
一般的な高校生の方が、学校行って義務教育受けて嫌な事も楽しい事も経験して、勉強やクラブ活動やアルバイトしている子の方がよっぽど冒険してるし魅力的だと思う。 December 12, 2025
連立方程式による解法を基準に取ると中学2年の内容だから、義務教育9年の中では高等な問題になる。
なお、義務教育だからできて当たり前だろと言いきる人は、ご飯を炊いて味噌汁を作って刺繍もできて簡単な木工加工や金属加工もできるか自己採点してほしい。 https://t.co/YVkM8uwYeu December 12, 2025
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🐉平野雨龍🐉
大分県第3区 出馬表明記者会見
-全文(雨龍会公式サイトより)-
皆さま、
本日はお忙しい中、 お集まりいただきまして、
誠にありがとうございます。
平野雨龍です。
本日ここに、
次期衆議院議員選挙・大分県第3区から立候補する決意 を、
正式に表明いたします。
まず初めに、
先日発生しました大分市佐賀関の火災により被害に遭われた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。
佐賀関は、 海と共に歩んできた歴史ある地域です。
今回の火災は、 多くの方々の暮らしに大きな影響を及ぼしました。
今の私の立場では、 個別の行政判断には踏み込めません。
しかし、 こうした事案を通して見えてくる
防災インフラの更新、 消防体制の強化 といった課題は、
国に届けるべき重要なテーマです。
改めまして私は平野雨龍、 1994年千葉県生まれ、 31歳。
現在は大分県中津市を拠点に活動しています。
以前は舞台女優、 着物モデルとして、
倭国文化の魅力を発信してまいりました。
現在は政治団体「雨龍会」代表として全国を巡り、
国益・安全保障・倭国の未来について
多くの皆さまと語り合ってまいりました。
今年7月の参議院選挙では、
東京選挙区から無所属で挑み、
23万5,411名 の皆さまからご支持をいただきました。
私は政党に属しません。
誰の都合にも左右されず、
国と地域の未来を最優先に判断する政治 を貫くためです。
私が政治の道を志した原点は、
2019年の 香港民主化運動 にあります。
現地で催涙ガスを浴び、
仲間が暴力を受け、 逮捕され、
戻らなかった者もいました。
自由が奪われていく街の光景を、
私は身体と心で、 痛みとして受け止めました。
そのとき胸の奥で、
「倭国も決して他人事ではない」
という危機感が強く燃え始めました。
倭国の戦争史を学んできた私にとって、
香港で見た現実は
「国家とは何か」「自由はどう奪われるのか」
その問いを深く突きつけるものでした。
政治家を選んだのではありません。
守るべきものを守れないまま失う恐怖が、
私をこの道に立たせたのです。
今の倭国は、
人口、 産業、 安全保障、 教育。
あらゆる分野で “待ったなし” の状況です。
誰かがいつかやってくれる―
その段階はもう終わりました。
だからこそ、
今、 立ち上がらなければならない。
この数か月、 私は何度も大分を歩いてきました。
中津、 宇佐、 豊後高田、 杵築、 国東、 日出、 別府。
そこで伺った声は、 どれも胸に深く刺さるものでした。
「仕事はあるが、 人が足りない」
「子どもを安心して育てたい」
「政治は本気で向き合ってくれるのか」
壮大な運命があったわけではありません。
ただ、 現場で生まれる“切実な声”の積み重ねが、
私を大分3区へ導きました。
ここには、
倭国全体の課題と希望が最も濃く存在している。
この地を守りたい。
そう強く思うようになりました。
私が掲げる「3つの柱」
① 国を守る
国を守るとは、 軍事だけの話ではありません。
私は香港で、 自由が奪われていく光景を自分の目で見ました。
あの恐怖が、 今の倭国にも静かに迫りつつあると感じています。
だから私は、
倭国が倭国であり続ける力 を守らなければならないと思っています。
それは領土だけでなく、
情報、 経済、 土地、 文化、 そして国民の誇りです。
情報戦・認知戦はすでに始まっています。
外国資本が土地や企業を買い進め、
倭国の力が静かに削られていく現実があります。
だからこそ、
スパイ防止法の制定、
外国資本による土地買収の厳格な規制、
認知戦への防衛体制の整備、
自衛隊の装備と情報力の強化を進めます。
さらに、
入国管理・帰化制度を適正化し、
安全保障の観点から外国人政策全体を見直します。
国を守るとは、
“何かが起きてから守る” のではありません。
“起きないように備え続けること” です。
私は、 香港で守れなかった悔しさを、
二度と倭国で繰り返したくありません。
そのために、
倭国の独立と安全保障を国政の場から立て直します。
② 暮らしを守る
大分3区を歩いて痛感しました。
暮らしの安心は、 国の大きな政策ではなく、
日々の不安を一つひとつ解消できるか にかかっています。
「移動手段が少なく病院に行けない」
「働き手が足りず事業が続けられない」
「観光客は増えても治安が心配」
「生活インフラが老朽化している」
現場で聞いた声は、 どれも深刻で現実的でした。
暮らしを守るとは、
“安心して生きられる環境をつくること”。
それは、 地域を守ることと同じです。
高齢者の移動支援、 医療・買い物のサポート、
中山間地域の生活維持、
農林水産業と中小企業の再生、
観光と治安の両立、
災害・インフラへの備え。
これらは明日を生きるための土台です。
そして、 杵築市・日出町の土葬問題です。
衛生、 景観、 治安、
そして住民の安心と納得が揃わなければ、
地域の暮らしは守れません。
私は、
住民の理解と合意がないまま進む計画には反対です。
行政や事業者の都合ではなく、
そこに暮らす人々の声が最優先であるべきです。
暮らしを守る政治とは、
“現場を見る政治” です。
私はこれからも足を運び、
声を聞き、
地域のために国ができることをすべて実行してまいります。
③ 未来を守る
未来とは、 子どもであり、 家族であり、 教育です。
ここが国家の“根っこ”です。
まず一つ目は 精神の教育 です。
子どもたちが自分の国に誇りを持ち、
倭国人としての根を育てる教育が必要です。
古事記や倭国書紀は、 自分のルーツを知るための精神の支柱です。
二つ目は 歴史の教育。
戦争史を含めた事実に基づく歴史教育が欠かせません。
自虐でも美化でもなく、
ありのままの史実から倭国の歩みを学び、
「なぜ今の倭国があるのか」を理解することが重要です。
三つ目は 技術の教育。
AI、金融、デジタル、サイバーなど、
未来を生き抜く力を義務教育から体系的に学ぶ環境を整えます。
読み書きそろばんと同じように、
未来技術の基礎を当たり前に身につけられる社会にします。
四つ目は 家族の支援。
少子化は国家の存続に関わる問題です。
第一子からの保育料無償化、 産後ケア、 住宅支援など、
生活が本当に楽になる政策を進めます。
子どもが増える地域は、 必ず未来を取り戻せます。
結びになりますが
今、 倭国は問われています。
静かに衰退するのか。
それとも、 もう一度立ち上がるのか。
私は大分3区から、
国を守り、 暮らしを守り、 未来を守る政治 を始めます。
そして必ず、
「この国に生まれてよかった」と
次の世代が胸を張って言える倭国を取り戻します。
そのために本日、
平野雨龍、
次期衆議院議員選挙・大分3区からの立候補を
正式に表明いたします。
ご静聴いただき、 誠にありがとうございました。
#平野雨龍
#国を失ったら何が残るのか
#平野雨龍さんを国政に December 12, 2025
成人期に入ったばかりの19歳の女性が、健康な乳房を切り刻み、身体にテストステロンを注入し、社会から眉をひそめられることすらなく自らを「トランスマスキュリン・ノンバイナリー」だと宣言する自由があるべきだ、などと軽薄に一蹴して済ませるのは、単に知的に怠慢なだけではない。近視眼的だ。
身体的自律(Bodily autonomy)という言葉は、洗練されたリベラルのスローガンのように聞こえるが、基礎的な生物学、発達心理学、そして他者への波及効果という現実の重みの前では崩れ去ってしまう。
その「他者」には、部外者がコメントし、批評し、そしてこれを「退行的で、伝染病のような一時の流行」というその正体通りに糾弾する権利も、断固として含まれている。
* * *
まず、認知の問題から始めよう。19歳の時点では、衝動の抑制、長期的計画、結果の比較検討を司る脳の中枢である前頭前野は、まだ工事中の段階だ。
米国心理学会のような団体による神経画像研究やNIH(米国立衛生研究所)での長期研究は、脳の機能が完全に成熟するのは18歳や20歳ではなく、25歳前後であることを一貫して示している。
これは安易に考案された恣意的な年齢制限ではない。だからこそ、スコットランド(そして英国や米国の他の管轄区域でも増えているが)のような司法管轄区では、25歳未満の「ヤングアダルト」が犯罪を犯した際、我々が期待するような大人の責任能力が彼らには完全には備わっていないと認め、刑を軽くしているのだ。
また、NHS(英国民保健サービス)自身のガイドラインが、不可逆的な後悔のリスクを理由に、30歳未満の不妊手術(妊孕性の除去)を門前払いしているのも同じ理由だ。
それなのに、イデオロギー的な偏向と不可解なねじれによって、「ジェンダーアイデンティティ」という魔法の言葉さえ唱えれば、義務教育を終えたばかりの十代の若者に乳房切除術を行い、テストステロンを提供することには同意するのだから呆れてしまう。
もし19歳が、心理学的評価や長年のカウンセリングなしに卵管結紮する手術の判断を任せられないのだとしたら、生命を育むために進化的に研ぎ澄まされた器官である乳房を切り取る判断を、一体なぜ信用できるというのか?
その年齢における「本当の自身を知った」という言葉は、確固たる真実というより、TikTokのエコーチェンバー(共鳴室)である可能性が高い。将来、自分の子供を母乳で育てたいと切望する日が来るのか、あるいは単に、思春期の苦悩の霧の中で焼き捨ててしまった女性としての肉体を嘆くことになるのか、彼女が後知恵のような明晰さをもって予測することなど不可能なのだ。
だが、危機に瀕しているのは彼女の未発達な前頭葉だけではない。医療倫理、すなわち治療と身体毀損(mutilation)を隔てるガードレールそのものが危機にあるのだ。
ヒポクラテスの誓いは「まず、害をなすなかれ」と言っている。
しかしここでは、外科医たちが子供たちの健康な組織を切り刻んでいる。英国キャス・レビュー報告書(Cass Review)等のデータによれば、そうした子供たちのいわゆる「ジェンダー違和」は、自然な成熟に任せれば、成人するまでに80〜90%の割合で消失するにもかかわらずだ。
* * *
19歳での両側乳房切除術は「肯定(アファーミング)」ではない。
それは「選択的な切断手術」であり、一時的な多幸感と引き換えに、慢性疼痛、感覚の喪失、ホルモンによる不妊のロシアン・ルーレット、そして早期警戒の歩哨である注意深い乳房を失うことによるがんリスクの急増といった、生涯続く合併症を抱えることだ。
心理的に安定した成人は、自分の一部を消し去ろうと急いだりしない。この行為は、未解決の苦悩、おそらくはトラウマや、啓蒙などではなくオンラインでの承認に対する必死の渇望を叫んでいるのだ。
そして「ノンバイナリー」を自称すること?
それは解放などではなく、言葉を使った手品であり、すべての細胞に刻まれた二元性(バイナリー)を無視した「第3の性」のファンタジーに過ぎない。XX染色体は、代名詞や造語に屈したりはしない。それは究極の性差別的な責任逃れであり、女性という存在をフリルやヒールといったものに矮小化している。
さらに悪いことに、これは真空パックされた単独行動ではない。
「社会的伝染(Social contagion)」は、特に少女や若い女性にとって現実のものだ。若者のジェンダー・クリニックへの紹介件数の爆発的増加――タヴィストックの内部告発者によれば英国では4000%増――は、自然な発生ではない。
それは「クラスター発生」であり、90年代の拒食症の広がりや、Tumblrでの自傷行為の流行を模倣している。
19歳の公然たる「カミングアウト」(誕生日の自撮付き)は、彼女一人で完結するものではない。
それは学校中に跳ね返り、アルゴリズムに餌を与えて多感な14歳にミームを押し付け、思春期の混乱が落ち着く前に不可逆的なステップを踏むことを正常化(ノーマライズ)してしまう。
私たちは抽象的な「影響」について話しているのではない。傷ついた胸と停滞した人生への後悔を口にする、脱トランス者(detransitioners)の世代について話しているのだ。
もしアパートに住む一人のヘビースモーカーが、隣に住む喘息患者のために建物中を煙で充満させる「自律性」を持っているとしたら、社会は介入する。個人の自律性が公益のために制限される例は無数にある。
なぜ十代の若者の「身体改造マニフェスト」だけが、若い少女たちが生きる文化的な空気を毒するためのフリーパスを得られるというのか?
だから断る。私たちは「自制(cope)」もしないし、沈黙もしない。コメントすることは偏見ではない。それは「牙のある慈悲」であり、立ち止まれという緊急の懇願であり、混乱から利益を得ている医薬産業複合体から弱者を守ることなのだ。
19歳の若者は、「待て、成熟しろ。君は女性であり、あるがままで完全でかけがえのない存在だ」と言うには、あまりに臆病な大人たちによって、崖から落ちるのを喝采される以上の扱いを受けるに値する。本当の問題とは、そうではないふりをすることだ。 (訳) December 12, 2025
氏の「世界標準の戦争と平和」を読みましょう。中学校の社会の副読本として文科省は採用されたら良いのでは?と思うくらい、安全保障の基礎を知れる良書。
自分自身の「義務教育」の終わりに読んでおきたい一冊。 https://t.co/hFaCqBYngB December 12, 2025
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