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砺波市
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2025.11.29 10:00
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【戦国の合戦】
中部地方の合戦
永正3年〜永禄12年(1506〜1569)
〚1〛般若野の戦・一向衆、守護代・長尾を倒す
長尾能景 VS 一向一揆
◆能景⇒為景⇒景虎へと続く 一向一揆攻め
長尾能景の跡を継ぐ 為景(ためかげ)は
永正13年(1516)と 永正16年(1519)
越中に侵攻し、
永正17年(1520 )新庄の合戦 において、神保軍を破り 父の仇である 神保慶宗 を討ち取り
大永元年(1521)に 越中守護の 畠山尚順 からも その功績を認められて 新川郡守護職 に任じられます。
天文5年(1536)12月に 越中において 一向一揆が蜂起すると 為景は出陣して 栴檀野(せんだんの)で戦います。
この時 一揆軍は あらかじめ “落とし穴” を設けて、退却するふりをして為景軍を誘い その計略にまんまとハマった多くの将兵が落とし穴に堕ちて討たれました。
そして、為景自身も 一揆勢に討たれと言われています。
砺波市には 為景の死を弔い供養する 「為景塚」が残されています。
まさに 父子2代続けて一向一揆を相手に戦い、越中国内で非業の死を遂げたとも言われております。
しかし…栴檀野合戦以後も 為景が生存していたことが史料の上で確認されていて その没年は 天文11年(1542)とのことで、一揆相手に為景が討死したというのは俗説に過ぎません。
その後 為景の子である 景虎(上杉謙信)が
祖父以来の宿敵とも言える 神保氏を討つべく越中に侵攻したのは さらに遅れて 永禄3年(1560)のことでした。
—続ー November 11, 2025
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