令和6年8月下旬、廃村旅2日目の朝、
島根県西部 益田市の離島 高島の探索。
灯台の少し手前には「井戸正朗君之碑」が建っていた。
碑をきっかけに「井戸正明は江戸期の石見銀山の代官で、享保の大飢饉のときにサツマイモの普及などで領民を救った」と知った。
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石見銀山 おでかけ
石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた倭国最大の銀山(現在は閉山)。上述の最盛期に倭国は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。大森銀山(おおもりぎんざん)とも呼ばれ、江戸時代初期は佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれた。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。本項では石見銀山の概要と歴史、および2007年に登録された世界遺産としての石見銀山についても言及する。
「石見銀山」 (2024/7/15 13:31) Wikipedia倭国語版より
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2024.10.04
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