真珠湾 トレンド
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2025.12.11 14:00
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……今年もこの類がTLに流れて来たもさ。
そのブラットン自身の回想録には「攻撃される時間や場所を特定するものではなかった」とあることを無視して、しかもよりによって映画をソースに「この日」にカビの生えた真珠湾陰謀論を唱える! https://t.co/6JQpfLs0ML December 12, 2025
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今日は12月8日。多くの倭国人は「真珠湾」を連想するでしょうが、1941年12月8日に倭国軍が香港(当時は英統治下)への侵略も開始した事実は、観光で香港に行ったことがある人も含め、ご存じない方が多いのでは。
倭国の統治下で香港住民の生活レベルは悪化し、餓死者も出ました。重い、負の歴史です。 https://t.co/BTqad4ovGG December 12, 2025
@persianabianca 昔、韓国行ったら道端にいたおじさんに韓国語で罵られたことあって。
こっちは何故罵られてるのか全く分からなくて困惑してたんだけど、バスツアーで連れて行かれた場所が、倭国の侵略関連の博物館だったようでした。
真珠湾でも罵られなかったけどな。
ま、どこの国も自国最優先は当然ですね。 December 12, 2025
田母神俊雄という人物が、自身を「明るくてユーモアがあるいい人」などと語るのは勝手だが、問題は彼が公的立場で繰り返し主張してきた歴史認識が、政府の公式見解、国際条約、一次史料、そして主要な歴史研究とまったく整合しないという、きわめて厳しい事実である。2008年に彼が発表した論文は「倭国は侵略国家ではなかった」「米国に引きずり込まれた」などと断じ、こうした内容が政府の採用している歴史認識と真っ向から衝突したため、自衛隊トップの一角である航空幕僚長を更迭されるに至った。これは政治的評価ではなく、倭国政府の正式な処分として記録されている事実である。
そもそも戦後倭国が国際社会で再出発する基盤となったポツダム宣言は、倭国の指導者が国民を「世界征服」に導いたと明記し、侵略の責任を前提にしている。倭国はこれを受諾した。さらにサンフランシスコ講和条約では、極東国際軍事裁判の判決を受け入れており、同裁判では倭国の対中・対東南アジア戦争が明確に「侵略」と認定されている。戦後の倭国政府は村山談話をはじめ、こうした歴史認定を踏まえたうえで「植民地支配と侵略」に対する謝罪と反省を公式に表明してきた。つまり、国家自身が「侵略」を認めているのであって、田母神の主張は自国政府と根本的に矛盾している。
真珠湾攻撃についても、既存の公文書は一点の曖昧さもなく、倭国側が綿密に準備した先制奇襲であったことを示している。対米宣戦布告が攻撃開始前に正式に手交されなかったのは偶然でも誤解でもなく、結果として明白な不意打ちとなったことが、日米双方の一次史料から確認される。開戦の意思決定は1941年12月1日の御前会議で天皇臨席のもと公式に裁可され、真珠湾、比島、マレーなどへの同時攻撃が命令された。これらはすべて倭国政府の主体的判断であり、「引きずり込まれた」という説明と史料上の事実はまったく一致しない。
対米関係を悪化させた経済制裁についても、本来の原因は倭国側の軍事行動にあった。中国侵略の継続、さらには1941年の南部仏印進駐が決定的な要因となり、米国は段階的に屑鉄輸出規制、資産凍結、石油禁輸などの措置に踏み切った。制裁は倭国の侵略行為への対抗措置であり、いじめでも挑発でもない。しかも1941年秋まで米国は対日交渉の継続を試み、一時は妥協案まで検討している。しかし倭国は中国・仏印からの全面撤兵を拒み、既得の勢力圏を維持しようとし続けたため、交渉は決裂した。田母神がしばしば口にする「ハル・ノートは罠だった」という言説も、研究成果と照らせば根拠がなく、既存の米国方針を整理した文書にすぎないことがわかる。
そして最も決定的なのは、田母神が執拗に語る「蒋介石やルーズベルト、共産主義勢力に引きずり込まれた」という筋書きが、一次史料にも学術研究にも裏づけられていないという点だ。歴史学界の共通理解は、倭国が自らの意思で満州国建設、対中戦争拡大、仏印進駐、三国同盟締結など一連の「能動的な選択」を積み重ね、その結果として米英蘭との対立を深めていったというものである。つまり、倭国は自ら進んで対立を激化させ、最終的には真珠湾という先制攻撃を選択したのであって、外部勢力に追い込まれたという説明は、史料を読めば成立しない。
開戦の詔勅が「自存自衛」を掲げていたとしても、それはあくまで戦時の国内向け政治文書であり、歴史的事実の証明にはならない。戦後の倭国政府は、そのレトリックを史実として受け継ぐどころか、むしろ侵略と植民地支配の責任を明確に認める立場を取ってきた。ここでも田母神の語る物語は、国家の公式評価と真っ向から食い違う。
以上の事実関係を確認すれば、帝国倭国が中国・東南アジアで侵略戦争を遂行したこと、真珠湾攻撃が倭国側の主体的決断による奇襲であったこと、米国の制裁がその侵略への対抗措置だったこと、そして戦後政府が侵略を公式に認めてきたことは、いずれも史料・裁判記録・条約・政府談話が一致して示す厳然たる事実である。そうした史料の積み重ねの前では、「倭国は侵略国家ではなく、米国に戦争へと引きずり込まれた」という田母神俊雄の歴史観は、単なる自己流の政治的物語にすぎず、事実と正面から向き合う姿勢を欠いた歴史修正主義的言説でしかない。 December 12, 2025
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