発展途上国 トレンド
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2025.11.30 05:00
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アメリカは、あれほどの世界的な先進国なのに。地域別で見たら発展途上国よりも出生率が高い地域があって恐ろしい、出生率が2を越えて人口置換が可能な地域とか東アジアではまずないぞ。 https://t.co/E0vgRYJrdH November 11, 2025
4RP
「故、倭国のマスゴミは・・・」を考えると・・・
「NHK等のマスゴミに就職した団塊世代(民間産業に就職できなかったマル経連)」の特徴について
大石康彦「かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、
「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、
言わねばならないであろう。」
今かから40年以上前に書かれた本での指摘を思い出だした。抜粋しよう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の28頁―32頁より)
今日、倭国の経済学界においては、いわゆる近代経済学とマルクス経済学という、
二つの大きな流派が存在している。・・こような、二つの大きな流派の対立並存は、
わが国におけるきわめて特殊な現象であり、西欧先進国から、アジア、アフリカの
発展途上国まで通観して、マルクス経済学が、倭国ほど昔ながらの『資本論』ないし
『帝国主義論』という形で残っている事例はほかにない。これは本家本元のソ連や
中国とかを取ってもそうなのである。そのようないわゆる社会主義国でおいてさえ、
資本主義体制に対する根本態度についてはともかく、日常の経済の営みそのものに
ついては、はるかに近代経済学的な分析が行われている。事実そうしないことには
世界経済の中で他の国には伍していけないのである。
『資本論』の一言一句を無謬のものと考え、それをいかに解釈するかに終始している
ようなマルクス経済学がはびこっているのは倭国だけである。
(省略)・・・・
「もちろん、欧米諸国においてもマルクス経済学の研究は行われている。しかしそれは
あくまで、19世紀の経済思想の一つとして――無論それは、かかるものとしては
きわめて大きい存在であるかもしれないが――いわば学説史的に研究しようとしている
にすぎないのであって、倭国のようにサミュエルソンの、いわゆる「リカードォの後に
出た(あまり重要でない)経済学者」の学説に、過大の席を与えていることありえない。
そして倭国の大学のようにいわゆる近代経済学をまったく学習することなく、マルクス経済学
だけを学習して経済学士号をとれるようなシステムは、世界のどこの国にもないであろう。
つまり今日、倭国でいうところの近代経済学が、その内容の99.9%を構成するような経済学の
通説としての体系が世界的に承認され、通用しているのである。この事実をわれわれは直視
すべきであろう。・・・・
かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、
「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、
言わねばならないであろう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の29頁―32頁より) November 11, 2025
「故、倭国のマスゴミは・・・」を考えると・・・
「NHK等のマスゴミに就職した団塊世代(民間産業に就職できなかったマル経連)」の特徴について
大石康彦「かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。」
今かから40年以上前に書かれた本での指摘を思い出だした。抜粋しよう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の28頁―32頁より)
今日、倭国の経済学界においては、いわゆる近代経済学とマルクス経済学という、
二つの大きな流派が存在している。・・こような、二つの大きな流派の対立並存は、
わが国におけるきわめて特殊な現象であり、西欧先進国から、アジア、アフリカの
発展途上国まで通観して、マルクス経済学が、倭国ほど昔ながらの『資本論』ないし
『帝国主義論』という形で残っている事例はほかにない。これは本家本元のソ連や
中国とかを取ってもそうなのである。そのようないわゆる社会主義国でおいてさえ、
資本主義体制に対する根本態度についてはともかく、日常の経済の営みそのものに
ついては、はるかに近代経済学的な分析が行われている。事実そうしないことには
世界経済の中で他の国には伍していけないのである。
『資本論』の一言一句を無謬のものと考え、それをいかに解釈するかに終始している
ようなマルクス経済学がはびこっているのは倭国だけである。
(省略)・・・・
「もちろん、欧米諸国においてもマルクス経済学の研究は行われている。しかしそれは
あくまで、19世紀の経済思想の一つとして――無論それは、かかるものとしては
きわめて大きい存在であるかもしれないが――いわば学説史的に研究しようとしている
にすぎないのであって、倭国のようにサミュエルソンの、いわゆる「リカードォの後に
出た(あまり重要でない)経済学者」の学説に、過大の席を与えていることありえない。
そして倭国の大学のようにいわゆる近代経済学をまったく学習することなく、マルクス経済学
だけを学習して経済学士号をとれるようなシステムは、世界のどこの国にもないであろう。
つまり今日、倭国でいうところの近代経済学が、その内容の99.9%を構成するような経済学の
通説としての体系が世界的に承認され、通用しているのである。この事実をわれわれは直視
すべきであろう。・・・・
かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、
「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、
言わねばならないであろう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の29頁―32頁より) November 11, 2025
「何故、倭国のマスゴミ(の上層部)は・・・」を考えると・・・
NHK等のマスゴミに就職した「安保闘争ー学園闘争」世代(民間産業に就職できなかったマル経連)の特徴について気付くわな
大石康彦「かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。」
と、今から40年以上前に書かれた本での指摘を思い出だした。抜粋しよう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の28頁―32頁より)
今日、倭国の経済学界においては、いわゆる近代経済学とマルクス経済学という、二つの大きな流派が存在している。・・こような、二つの大きな流派の対立並存は、わが国におけるきわめて特殊な現象であり、西欧先進国から、アジア、アフリカの発展途上国まで通観して、マルクス経済学が、倭国ほど昔ながらの『資本論』ないし『帝国主義論』という形で残っている事例はほかにない。これは本家本元のソ連や中国とかを取ってもそうなのである。
そのようないわゆる社会主義国でおいてさえ、資本主義体制に対する根本態度についてはともかく、日常の経済の営みそのものについては、はるかに近代経済学的な分析が行われている。事実そうしないことには世界経済の中で他の国には伍していけないのである。
『資本論』の一言一句を無謬のものと考え、それをいかに解釈するかに終始しているようなマルクス経済学がはびこっているのは倭国だけである。
(省略)・・・・
「もちろん、欧米諸国においてもマルクス経済学の研究は行われている。しかしそれはあくまで、19世紀の経済思想の一つとして――無論それは、かかるものとしてはきわめて大きい存在であるかもしれないが――いわば学説史的に研究しようとしているにすぎないのであって、倭国のようにサミュエルソンの、いわゆる「リカードォの後に出た(あまり重要でない)経済学者」の学説に、過大の席を与えていることありえない。
そして倭国の大学のようにいわゆる近代経済学をまったく学習することなく、マルクス経済学だけを学習して経済学士号をとれるようなシステムは、世界のどこの国にもないであろう。
つまり今日、倭国でいうところの近代経済学が、その内容の99.9%を構成するような経済学の通説としての体系が世界的に承認され、通用しているのである。この事実をわれわれは直視すべきであろう。・・・・
かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の29頁―32頁より) November 11, 2025
「30年の空白」、「何故、倭国のマスゴミは・・・」を考えると・・・
「アカヒ等のマスゴミに就職した団塊世代(民間産業に就職できなかったマル経で洗脳された連中)」の特徴について・・・
「マスゴミ・エゴノミスト」らの存在が気にかかる。征伐する必要がある。で、参考資料は以下
大石康彦「かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。」
今かから40年以上前に書かれた本での指摘を思い出だした。抜粋しよう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の28頁―32頁より)
今日、倭国の経済学界においては、いわゆる近代経済学とマルクス経済学という、二つの大きな流派が存在している。・・こような、二つの大きな流派の対立並存は、わが国におけるきわめて特殊な現象であり、西欧先進国から、アジア、アフリカの発展途上国まで通観して、マルクス経済学が、倭国ほど昔ながらの『資本論』ないし『帝国主義論』という形で残っている事例はほかにない。これは本家本元のソ連や中国とかを取ってもそうなのである。
そのようないわゆる社会主義国でおいてさえ、資本主義体制に対する根本態度についてはともかく、日常の経済の営みそのものについては、はるかに近代経済学的な分析が行われている。事実そうしないことには世界経済の中で他の国には伍していけないのである。
『資本論』の一言一句を無謬のものと考え、それをいかに解釈するかに終始しているようなマルクス経済学がはびこっているのは倭国だけである。
(省略)・・・・
「もちろん、欧米諸国においてもマルクス経済学の研究は行われている。しかしそれはあくまで、19世紀の経済思想の一つとして――無論それは、かかるものとしてはきわめて大きい存在であるかもしれないが――いわば学説史的に研究しようとしているにすぎないのであって、倭国のようにサミュエルソンの、いわゆる「リカードォの後に出た(あまり重要でない)経済学者」の学説に、過大の席を与えていることありえない。
そして倭国の大学のようにいわゆる近代経済学をまったく学習することなく、マルクス経済学だけを学習して経済学士号をとれるようなシステムは、世界のどこの国にもないであろう。
つまり今日、倭国でいうところの近代経済学が、その内容の99.9%を構成するような経済学の通説としての体系が世界的に承認され、通用しているのである。この事実をわれわれは直視すべきであろう。・・・・
かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の29頁―32頁より) November 11, 2025
「30年の空白」、「何故、倭国のマスゴミは・・・」を考えると・・・
「NHK等のマスゴミに就職した団塊世代(民間産業に就職できなかったマル経で洗脳された連中)」の特徴について
「マスゴミ・エゴノミスト」らの存在が気にかかる。征伐する必要がある。
大石康彦「かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。」
今かから40年以上前に書かれた本での指摘を思い出だした。抜粋しよう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の28頁―32頁より)
今日、倭国の経済学界においては、いわゆる近代経済学とマルクス経済学という、二つの大きな流派が存在している。・・こような、二つの大きな流派の対立並存は、わが国におけるきわめて特殊な現象であり、西欧先進国から、アジア、アフリカの発展途上国まで通観して、マルクス経済学が、倭国ほど昔ながらの『資本論』ないし『帝国主義論』という形で残っている事例はほかにない。これは本家本元のソ連や中国とかを取ってもそうなのである。
そのようないわゆる社会主義国でおいてさえ、資本主義体制に対する根本態度についてはともかく、日常の経済の営みそのものについては、はるかに近代経済学的な分析が行われている。事実そうしないことには世界経済の中で他の国には伍していけないのである。
『資本論』の一言一句を無謬のものと考え、それをいかに解釈するかに終始しているようなマルクス経済学がはびこっているのは倭国だけである。
(省略)・・・・
「もちろん、欧米諸国においてもマルクス経済学の研究は行われている。しかしそれはあくまで、19世紀の経済思想の一つとして――無論それは、かかるものとしてはきわめて大きい存在であるかもしれないが――いわば学説史的に研究しようとしているにすぎないのであって、倭国のようにサミュエルソンの、いわゆる「リカードォの後に出た(あまり重要でない)経済学者」の学説に、過大の席を与えていることありえない。
そして倭国の大学のようにいわゆる近代経済学をまったく学習することなく、マルクス経済学だけを学習して経済学士号をとれるようなシステムは、世界のどこの国にもないであろう。
つまり今日、倭国でいうところの近代経済学が、その内容の99.9%を構成するような経済学の通説としての体系が世界的に承認され、通用しているのである。この事実をわれわれは直視すべきであろう。・・・・
かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の29頁―32頁より) November 11, 2025
「30年の空白」、「何故、倭国のマスゴミは・・・」を考えると・・・
「NHK等のマスゴミに就職した団塊世代(民間産業に就職できなかったマル経で洗脳された連中)」の特徴について
この人ばかりでなく、「マスゴミ・エゴノミスト」らの存在が気にかかる。征伐する必要がある。で思い出した。以下、参照
大石康彦「かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。」
今かから40年以上前に書かれた本での指摘を思い出だした。抜粋しよう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の28頁―32頁より)
今日、倭国の経済学界においては、いわゆる近代経済学とマルクス経済学という、二つの大きな流派が存在している。・・こような、二つの大きな流派の対立並存は、わが国におけるきわめて特殊な現象であり、西欧先進国から、アジア、アフリカの発展途上国まで通観して、マルクス経済学が、倭国ほど昔ながらの『資本論』ないし『帝国主義論』という形で残っている事例はほかにない。これは本家本元のソ連や中国とかを取ってもそうなのである。
そのようないわゆる社会主義国でおいてさえ、資本主義体制に対する根本態度についてはともかく、日常の経済の営みそのものについては、はるかに近代経済学的な分析が行われている。事実そうしないことには世界経済の中で他の国には伍していけないのである。
『資本論』の一言一句を無謬のものと考え、それをいかに解釈するかに終始しているようなマルクス経済学がはびこっているのは倭国だけである。
(省略)・・・・
「もちろん、欧米諸国においてもマルクス経済学の研究は行われている。しかしそれはあくまで、19世紀の経済思想の一つとして――無論それは、かかるものとしてはきわめて大きい存在であるかもしれないが――いわば学説史的に研究しようとしているにすぎないのであって、倭国のようにサミュエルソンの、いわゆる「リカードォの後に出た(あまり重要でない)経済学者」の学説に、過大の席を与えていることありえない。
そして倭国の大学のようにいわゆる近代経済学をまったく学習することなく、マルクス経済学だけを学習して経済学士号をとれるようなシステムは、世界のどこの国にもないであろう。
つまり今日、倭国でいうところの近代経済学が、その内容の99.9%を構成するような経済学の通説としての体系が世界的に承認され、通用しているのである。この事実をわれわれは直視すべきであろう。・・・・
かってマルクスは、『宗教は人民の阿片である』と言った。いま、さらにより強く、「マルクス経済学はマルクス経済学者の阿片である。」、とわれわれはサミュエルソンとともに、言わねばならないであろう。
(大石泰彦著「経済原論(初版昭和55年7月10日)」の29頁―32頁より) November 11, 2025
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